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第27週 教育者 鳩山春子


はじめに

第27週めの教育者は共立女子大学創立者の一人鳩山春子さんです。

子ども時代 

鳩山 春子(はとやま はるこ)さんは、文久元年3月23日(1861年5月2日)に

信濃国松本藩士(戸田松平家家臣)渡辺幸右衛門(多賀努)氏と賢子さんの五女として長野県松本市にお生まれになりました。

明治になって一家は多賀と改姓されます。多賀春子さんとなられます。

学生時代

1874年4月、春子さんは竹橋女学校に入学されます。

1877年3月、竹橋女学校の廃止につき、新設の東京女子師範学校別科英学科に入学されます。

1878年7月、春子さんは東京女子師範学校別科英学科を卒業されます。

そして同年9月に東京女子師範学校師範科本科に入学されます。

1879年5月13日、アメリカのフィラデルフィア府女子師範学校入学の許可がおりたそうですが、8月に政府の都合により留学が中止となってしまいます。

同年9月に文部省の依頼により春子さんは東京女子師範学校師範科に復学され、一級昇進されます。

1881年7月30日に東京女子師範学校を卒業されます。

就職と結婚

同年8月9日に母校のお茶の水東京女子師範学校に就職されます。

同年11月に鳩山家に嫁ぐため辞職されます。


1881年11月16日に鳩山和夫氏と結婚されます。1883年1月1日に春子さんは戦後に総理大臣になる長男の鳩山一郎氏を出産されます。1884年2月4日に次男の鳩山秀夫氏を出産されます。


同年6月2日に東京女子師範学校御用掛を拝命されます。

1886年2月20日に新設の文部省直轄東京高等女学校から御用掛を拝命されます。

共立女子職業学校の創立

1886年3月に宮川保全氏と共に共立女子職業学校(共立女子学園)の創立に参加されます。春子さんは本務の傍ら、教授職も務められます。

この学校は、当時の女性は男の人に頼らないと生きていけない時代なので、

男性がいなくても生きていけるための職業的訓練を身につけるためにできた最初の職業学校と言うことが出来るそうです。



1895年11月に高等女学校の設備がない地方に大日本女画学会で通信教育が開始されます。その後高等女学校が普及するまで十数年この活動を継続されます。

1899年1月に共立女子職業学校の財団法人化にともない、春子さんは商議員となられます。

学校の進化と共に

1912年4月に共立女子職業学校に家庭科を新設されます。

1913年に東京女子高等師範学校講師となり、職員を兼任されます。

1914年に共立女子職業学校の理事となられます。

1916年3月31日に共立女子職業学校の副校長になられます。

1922年10月30日に学制頒布50年記念式で東京市教育会長から表彰を受ける。同年12月8日に共立女子職業学校第6代校長となられます。

1923年9月1日に共立女子職業学校の校舎・寄宿舎が関東大震災により焼失し復興に全力を尽くされます。

1924年2月11日に勲六等瑞宝章を受章されます。

1925年4月に共立女子職業学校に専門学校を併置、初代校長となられます。

1927年4月に共立女子職業学校にて「女子技芸講習録」を編輯し、1年間の通信教育を始める。

1927年5月27日にローマ教皇ピウス11世より1925年聖年祭記念布教博覧会功労賞を受賞されます。

1927年12月に日本婦人海外協会顧問を嘱託されます。

1928年2月1日に大礼記念国産振興東京博覧会評議委員を嘱託されます。

同年5月に東京府下中学校博物教育会の賛助員として推挙されます。

同年6月1日に御慶記念婦人子供博覧会顧問を嘱託されます。

1928年6月16日に帝都教育会長から表彰状と功牌を受けられます。

1928年10月1日、共立女子職業学校長に続いて共立女子専門学校長を兼任されます。

1928年11月10日、勲五等瑞宝章を受章されます。

1938年7月12日に78歳で亡くなられます。同日に叙勲四等瑞宝章を受章する。


鳩山春子さんの家族


夫:鳩山和夫(衆議院議長)
長男:鳩山一郎(第52・53・54代内閣総理大臣)
嫁:鳩山薫(共立女子大学学長)
孫: 鳩山威一郎(外務大臣)
次男:鳩山秀夫(東京大学法学部教授)
曾孫:鳩山由紀夫(民主党代表、第93代内閣総理大臣)、鳩山邦夫(元総務大臣)

このように春子さんの家族は政治家一家、教育家一家として現在まで多くの子孫が政治、経済、学問の道で活躍しておられます。



薄田泣菫氏は著書『茶話』のなかで、春子さんが息子の鳩山一郎氏を担ぎ出して精力的に支援し、政友会の別の候補者を辞退させた際に、大隈重信夫人の大隈綾子さんが癇癪を起した話を面白おかしく書き、「侯爵夫人(綾子)はもとから春子夫人のお喋舌とお凸額とが気に入らなかつた」と記しているというエピソードがあるそうです。

春子さんの日本史的意義

こうして春子さんは教育者だけでなく、夫の鳩山和夫氏を賢妻として助けのちに連なる鳩山一族の礎ともいうべき存在でした。

また息子の鳩山一郎氏のために立憲政友会の別の候補者を辞退させ、当選させたことが統帥権干犯問題や鈴木喜三郎に繋がり軍部の専横の増大を間接的に生んだといわれています。



鳩山春子さんの著作

鳩山春子さんの著作には以下のものが知られているそうです。


著作
『英和対話書』鳩山和夫閲、中央堂、1887年9月。全国書誌番号:40084492。
『婦人の修養』大日本女学会、1907年12月。全国書誌番号:40003485。
『婦人の修養』精美堂、1912年2月、3版。全国書誌番号:40003486。
『我が子の教育』婦女界社、1919年11月。全国書誌番号:43009356。
『我が子の教育』日本図書センター、2016年5月。全国書誌番号:22760080。ISBN 9784284308205。
『婦人生活の改善』先進堂、1920年3月。全国書誌番号:43029414。
『婦人生活の改善』大空社〈叢書女性論 17〉、1996年1月。全国書誌番号:97022962。ISBN 9784756800268。
『婦人の修養』博文館、1921年5月。全国書誌番号:43006475。
『我が自叙伝』鳩山春子、1929年10月。
『我が自叙伝』鳩山一郎、1953年7月、新版。全国書誌番号:22155774。
『自叙伝 伝記・鳩山春子』大空社〈伝記叢書 78〉、1990年4月。全国書誌番号:91010598。ISBN 9784872363777。
『鳩山春子 我が自叙伝』日本図書センター〈人間の記録 3〉、1997年2月。全国書誌番号:98000231。ISBN 9784820542421。
編集
『鳩山の一生』鳩山春子、1929年10月。全国書誌番号:73015503。
『鳩山の一生 伝記・鳩山和夫』大空社、1997年9月。全国書誌番号:98085201。ISBN 9784756804761。
翻訳
『模範家庭(西洋家事読本)』大日本図書、1913年4月。全国書誌番号:43007816。
『修訂増補 模範家庭(西洋家事読本)』大日本図書、1914年3月、訂正3版。全国書誌番号:43007817。
『修訂増補 模範家庭(西洋家事読本)』クレス出版、1990年4月、複製版。全国書誌番号:90034225。ISBN 9784906330218。
共著
鳩山春子、鳩山薫子『家政』実業之日本社〈嫁入文庫 第11編〉、1917年11月。
鳩山春子、鳩山薫子『家政』第一書房、1982年6月、改訂版。全国書誌番号:82047138。


めぐめぐがすごいと思う鳩山春子さんのこと

1留学できなかったということから、学校に残られ、その後すぐ結婚するという道を若い時に選び、その家族を日本の政治史に影響するまでの人物に育てておられること。

2女性がきちんと職業を持つことが出来るようにという使命のために教育者として共立女子学園のために生涯尽力されたこと。

3多くの人々にその才能を見込まれ、自分の関わる学校以外にも多くの学校に関わり、多くの賞を受けておられること。


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