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おしゃれもマナー

2022/12/29(木)

今日から年末年始の休みに入った。
娘が昨夜から泊まりに来ていたのと、昼過ぎに職場の人に会う用事があったのとで、洗濯物をたくさん回して干した以外には特になにも掃除などしなかったなぁとなんとなく一日がもったいない気がしてモヤモヤしていた。
お風呂場のちょこちょこある黒カビのことが気になり頭から離れず、18時頃から突然にお風呂掃除を始めた。
これをやって正解だった。
このモヤモヤとした気持ちを引きずって年を越すのは嫌だったから。
さっぱりとしたお風呂に今日は早めに入り、朝から仕込んでいたおでんを食べて、ゆっくりと今noteを書いている。

以前、Twitterで目にした、まどみちおさんの「カニ」という詩。

この詩を読んで、あぁ。私も「わたしっ!」と生きれたらなあと思った。
本当の私って案外自分でわかってない。
自分っていつもこうだなぁって思うようなことが本当の自分なのかもなーと思う。

「藤井 風はボーダーを超えるということを戦略的に取り組むのではなく、自然体のまま体現しているアーティスト。だからこそ、『死ぬのがいいわ』のようなきっかけがあったときに真価が発揮された」#藤井風

世界進出をしている藤井風くんのことについてTwitterにこんなことが書いてあって、カニがカニっと生きること、私が私っ!と生きることとは自然体のまま生きるってことなのかもなって思った。
どこにも力が入っておらず、自然。
そんな感じ。
そんな時、願わずとも人はなにかしら夢を叶えたり繁栄したりするのかもしれない。


私は子供が幼い時も爪を伸ばしマニキュアを塗り、自分をキレイにすることばかりしていて親に注意されたなーということをふと思い出した。
私は自分で自覚しているのは、おしゃれが嫌いなわけではないのだが、センスは持ち合わせていないということだ。
自分がキレイめファッションが好きだというのはわかってる。
けどセンスというものは私には備わってないようだということは知っている。

自分をなんとなく綺麗に見せる雰囲気を作るのは得意かもしれない。
雰囲気は大事だ。


この先の文章は、以前書きかけたnoteが下書きに残っているのを見つけたものだけど、今日のnoteと繋がるようなことだったのでアップすることにした。


50歳という年齢になってから、49歳までとはなにか違う。と感じることが少しずつ出てきた。
それらを通して気づいた事について書いてみようと思う。

それは、この年齢になったらおしゃれやメイクは自分のためだけではなく、周りに対するエチケット的なものも含めたものになるということ。

たとえば、白髪との付き合い方。
グレイヘアを目指すとしたら、日々キチンとおしゃれをしてきちんとメイクもしなければいけない。
でないと、単なる白髪の手入れのできていない人のように人には映ってしまうからだ。

ずっと白髪をどうしていこうかと考えていた。しかしそのことに気づき、仕事柄、あまりおしゃれをして仕事場に行けない私は、ある程度白髪の似合う年齢になるまでは白髪染めをマメにする方がいいというところに落ち着いた。
休みの日はおしゃれやメイクをしっかりできたとしても、仕事に疲れたおばさんみたいになって行くのはちょっと避けたいところだ。
私はある程度白髪の似合う年齢(たとえば60半ばとか70歳)になったらグレイヘアを目指そうかなと思った。今はまだそんな気分ではないし、似合わないと思うから。

だかしかし、グレイヘアに限らず、50歳を過ぎたら清潔感の感じられるおしゃれとメイクは必須だと思った。
〝身だしなみは周りに対するエチケット〟
そう心に留めてこれからの人生、身だしなみには常に気を遣っておきたい。

文字を綴ることで誰かの何かの気づきに繋がればと書いています。いいなと思われる記事がありましたらサポート頂けると嬉しいです。