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友達って何だろう?

友達って何だろう?ということをよく外国人の生徒と話しますね。友達の定義について考えるとき、やはり人それぞれなのかなと思いますけども。まあ、だいたいこういった傾向があるなっていうのは、その国によってなんとなくあるような気がします。私の生徒さんは西欧諸国の方々が多いですけども、そういった方たちと友達の定義について話すときなんとなく日本人よりはあちらの人たちの方が常につるんでいる。いつも同じメンバーと一緒にいるというイメージがありますね。私たち、日本人はどちらかというと、人付き合いに関しては割とあっさりとしているところがあるんではないでしょうか。例えば、幼馴染や小学校時代の友達中高大学の友達、それぞれにいるとは思いますけども、意外とね、子供の頃のお友達はもう連絡もつかないよ。なんて言う人も多いと思いますし、それでいて別にその人たちが今どこで何をしてるかなと気にかけるわけでもないですよね。実際にあんなに小さな頃は気があってすごく楽しくって毎日毎日過ごしていたのに、なぜかいつの間にか縁遠くなってしまうっていうことが日本人にはあると思います。

反面、向こうの人たちは幼なじみとか長い付き合いの友達っているんですね。というかねびっくりするくらマメな人多いですね。記念日とか誕生日とかクリスマスとか何かにつけてきちんとその人とお祝いするべき日を覚えていてお互いにお祝いのプレゼントをやったりとか、一緒にレストランに行ったりしてるんですよね。なので私、日本人は割とそういうのなんかは他の国の人たちと比べるとちょっとズボラかな、ちょっとどうでもいいようになっちゃってるかなという気がしますね。

向こうではそれだけ記念日を友達であれ、家族であれ、大切にしているというイメージがあります。それだけ付き合いをしているとやはり友達の定義も日本人のそれとはちょっと感覚が違ってきてやっぱり何でもない時でも例えばメッセージとかがなかったらどうしてる?元気?とかね、さりげない声掛けをするようにしてたりとか疲れて連絡取りたくない時ってのはもちろんありますけども、そうい時もお互い立場をリスペクトしあって、お互いに孤独にならないような、少しベタベタしたような(日本人からすると)距離感でお付き合いをしてる人たちが多いなって思います。

常にその友達のことを頭の片隅に置いて生活してる感じがしますね。これはね文化の違いなのかな。もうどっちがいいとか悪いとかっていうわけではないのかもしれないですね。おそらく私は何かの記念日とか誕生日のたびにお互いに会ってレストランとかでご飯食べたり、パーティーなんかしたら疲れると思うんですけども、あの人たちはすごいですね。それをやってるんですよね。慣習として染み付いてないと、できない。

なので意外と日本人同士の友達の方がその時その時の生活場面、生活状況に応じた友達とだけ付き合ってて、外国人の方たちは割と生活状況が激変しても長く付き合ってる友達がいたりしてまめに連絡を取り合ってるという違いがある。

友達だからこそ困ってる時は助けなきゃとか、友達だからこそ困ってる時、弱った時は助けを求めなきゃって、お互いに頼りあってるっていうのが自然なんだよ。っていう話を聞くんですよね。

なんとなく私たち日本人って友達でさえも、もし友達のことを頼りにして、夜中に電話でもしたら迷惑かかるよな。なんて考えてしまいますね。相手の迷惑をとにかく考えるというのは日本人のちょっとあまり良くない行き過ぎた気質かなと思うんですけども。それで友達がいるにもかかわらず、誰にも助けを求めることができなくて孤立してしまったらね。本末転倒なような気がします。何のために友達が…っていうね。ですので、そういったところではやっぱり何か大変なことがあったらすぐに助けてくれるような友達がねいるという彼らのこと、ちょっと羨ましくもあります。私もそうでありたいなと思うので、人と人との出会いを特に大切にして友達になったならば、なるべく長いお付き合いをしていけるようにお互いに連絡を取り合っていけるようにというのを最近は心がけています。

友達だったら、お互いに迷惑かけ、お互いに助け合って生きていける間柄なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

はい。なのでそこら辺は日本人の感覚の友達と西欧諸国の方々が考える友達の感覚がちょっと違うのかなと思いました。というのは、私の経験からお話しさせていただいただけのことです。もしお楽しみいただければ幸いでした。ありがとうございます。

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