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無理はよくない

「無理をする」ことは、あんまり、やらないほうがいいと思う。どちらかといえば、原則として避けるべき行為だとおもう。できるかぎり。

……と、なんだか、奥歯にモノが挟まったような書き出しになってしまった。

なんというか、少しの無理が必要な場合もある、とは思う。どこまでが自分の許容範囲かを知るために、用法容量を守ったうえで(つまり回数や頻度などを決めたうえで)、あえて限界を超えてみるのも、たまには悪くない。

ただそれは「無理している状態は、そう長く続かないのがふつう」という前提に立った場合のはなしだ。無理をすることを長くつづけてしまうと、無理をすること自体に慣れてしまい、感覚が麻痺してしまう。

そうなってくると、なかなかあやうい。実に面倒なことになる。

次第に、自分が無理してることに気づかなくなったり、気が進まないことを「気が進まないなー」とか言いながらなんとなく引き受けたり、ひどい場合は誰に頼まれたわけでもないのに、自発的にずるずるとやり始めたりしちゃう。

いや、気が進まないんなら、やらなきゃいいじゃん!(え、むしろ、なんでやるの???) という話なのだけれど、そういう至極あたりまえの自問を、自分に対してできなくなるんですよね。ふしぎふしぎ。

「うーん、ほんとうはねー、あんまりやりたくないんだけどなー、どうかなあー、気が進まないなー、まあでも、やってやれないことはないしね……そこまですごくイヤってわけでもないしね……」とか言いながら、結局やっちゃう。

えええええ!!!、そんなに、気が進まないのに!!??? やるんかーい!! みたいな。

実にあやうい。あやういうえにめんどうくさい。

で、その、イヤイヤながらやってる作業にたいして、他の人からなにか指摘をされたり「ここはもっとこうしたほうがいいんじゃない?」とかフィードバックをされたとき、素直に聞けるかどうか? といったら、うん、聞けないんだなあ。笑

「ええ? わたし、こんなに我慢してがんばってやってるのに???、なんか文句つけられたんですけど??」みたいな態度が悪い人間が爆誕する。ただただ迷惑だ。

やっぱりね、無理をすることを繰り返していると、無理をするスキルがあがってしまうんでしょうね。「繰り返し」の威力はすごいですからね。

かけ算九九だって、なわとびの練習だって、漢字練習だって、こどものとき何回も繰り返してるうちに上達しましたからね。どうせ上達をするのなら、自分はこれがしたい! と思うことを、スキルアップしたいですもの。

感覚が麻痺して、ある日致死量を超えてぷつんと糸が切れたかのように心や身体が壊れて、なんにも考えられなくなってからではおそいのです。せめて、自分が無理をしている、ということには、早めに気づいて助けを求めたり環境を変えたりできるようになりたいところですね。自分と、周りのひとを守るためにね。

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