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映画「Beginning of Light 3」を見て

 この映画は、タール砂漠、アラビア海、ガンジス河、そしてカシミールからヒマラヤの果てまで約8000kmの旅路のドキュメンタリー映画で、インドの多様性と混沌さを描いた作品である。
祖母、母、娘とつなぐ、命と愛の物語でもある。そして、魂のバイブレーションで共鳴する旅でもあった。

 インドは何でもありで、全てのものを飲み込んでしまう。
古代、中世、現代とあらゆる時代が現実に混在していて、富と貧困は壁一枚で共存し、天国と地獄も共存している、まさにカオスである。
見方によって、100人いれば100通りのインドの思いがあるだろう。

 5000年前アラビア界より ペルシャ文明とインダス文明が交流していた。
カシミールではモーゼとキリストの伝説があり キリストのお墓もある。
そこは ヒンドゥー教 キリスト教 仏教がかつて共存していたが、今はイスラム教徒が多いです。
ヒマラヤでキリストが修行した伝説があり、リシケシは 聖者ババジが修行した洞窟がある。

 私はかつて、ラジャスタン、カシミール、ヒマラヤと旅したことがあるので、とても懐かしかった。また行ってみたいと思いました。

11/26(Sun)〜12/3(Sun)
Tokyo New Earth Bazaar & Exhibition “Dear Mother India”
東京ニューアースバザール&特別展​“Dear Mother India"

Beginning of Light 3

映画「Beginning of Light 3」
〜Dear Mother India 母なる愛に還る旅(仮題)上映会
タール砂漠、アラビア海、ガンジス川、インダス川、そしてヒマラヤの果てへと。
77歳の祖母と母と、
約8000kmの旅をした心のドキュメンタリー映画。

圧倒される地球の輝きを目の前にした時、
また、生きることに精一杯になった時、
忘れていた輝きを思い出す。
命の光を思い出す。

大河の流れのままに、
インダス・サラスヴァティ文明、遥か遠い記憶とルーツを辿って、
ブッダやジーザス、マスターたちが残した叡智に出会い続けた126日間。

それは”母なる愛”に還る旅だった。
「Beginning of Light」3作目
オリジナルの即興ミュージックや、インドで収めた祈りの響きと共に…
国境や宗教を超えて響き合う。
地球の愛の鼓動が聞こえた。
映像:三浦弥百紗

Himalayan Art House

5000年前の古代オリエントにおいて、アラビア半島を経由して、ペルシャ文明とインダス文明の間で交流が行われていたことが、近年の考古学的調査によって明らかになっています。

ペルシャ文明は、紀元前3500年頃にイラン高原に成立した文明で、インダス文明は、紀元前3300年頃にインド北西部に成立した文明です。両文明は、地理的に約2,000km離れていましたが、アラビア半島を経由した交易によって、密接に交流していたと考えられています。

ペルシャ文明とインダス文明の交流の証拠としては、以下のようなものが挙げられます。遺跡からの出土品:両文明の遺跡からは、互いの文明の特徴的な遺物が出土しています。例えば、ペルシャ文明の遺跡からは、インダス文明の陶器や青銅器が出土しており、インダス文明の遺跡からは、ペルシャ文明の印章や硬貨が出土しています。
言語の類似性:両文明の言語には、いくつかの類似性が見られます。例えば、両文明の言語には、同じ語根を持つ単語や、同じ語順を持つ文法構造が見られます。
宗教・文化の類似性:両文明の宗教・文化にも、いくつかの類似性が見られます。例えば、両文明には、死後の世界を信じる宗教や、偶像崇拝の文化が見られます。

これらの証拠から、ペルシャ文明とインダス文明は、貿易や文化交流を通じて、密接に結びついていたと考えられています。

具体的には、以下のような交流が行われていたと考えられています。交易:両文明は、交易を通じて、商品や技術、情報を交換していました。例えば、ペルシャ文明は、インダス文明から綿製品やスパイスを輸入し、インダス文明は、ペルシャ文明から銅や青銅器を輸入していました。
文化交流:両文明は、文化交流を通じて、宗教や芸術、建築などの分野で影響を与え合っていました。例えば、ペルシャ文明の宗教であるゾロアスター教は、インダス文明の宗教に影響を与え、インダス文明の芸術は、ペルシャ文明の芸術に影響を与えていました。

ペルシャ文明とインダス文明の交流は、両文明の繁栄に大きく貢献しました。また、古代オリエントにおける文化交流の重要な例として、注目されています。

Bard

ヒマラヤでキリストが修行したという伝説は、古くから存在しています。その起源ははっきりとわかっていませんが、キリスト教と仏教の交流が盛んであったインドのカシミール地方で、両者の教えを融合した形で生まれたものと考えられています。

この伝説によると、キリストは十字架刑に処された後、復活してインドに渡り、カシミールで修行を積んだとされています。修行の期間は30年から70年ともいわれ、その間、ヒマラヤの秘境で仏教の教えを学び、悟りを開いたとされています。

キリストがヒマラヤで修行したという伝説は、インドの古文書や、キリスト教徒の巡礼者による記録などに残されています。また、ヒマラヤには、キリストが修行したとされる場所や、キリストの墓とされる場所がいくつか存在しています。

以下に、キリストがヒマラヤで修行したという伝説の根拠となる、主な文献や記録を挙げます。『アヴァター・ナマ』:16世紀にインドで書かれた文献。キリストがインドに渡り、カシミールで修行したと記述されている。
『クルターナ・サンヒティ』:17世紀にインドで書かれた文献。キリストがヒマラヤで修行し、悟りを開いたと記述されている。
『キリストの旅』:18世紀にイギリスで書かれた文献。キリストがヒマラヤで修行し、仏教の教えを広めたと記述されている。

これらの文献や記録は、キリストがヒマラヤで修行したという伝説の存在を裏付けるものですが、キリストが実際にヒマラヤで修行していたかどうかは、科学的な証拠がありません。

キリストがヒマラヤで修行したという伝説は、キリスト教と仏教の交流の歴史を示すものであり、また、キリストの教えの普遍性を示すものとしても注目されています。

Bard


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