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子どもは大好きだけれど自分のセクシャルではどうすることもできないという葛藤の日々だった20代 ~心境の変化~

以下の記事は、2019年4月に投稿したのですが、一度削除した内容です。
削除した理由は、シンプルに自分のセクシャルマイノリティな部分を知ってもらうことが怖くなったからです。

正直、知ってもらう怖さは今も変わらないのですが、私の中で「無かったことにしたくない!」っていう気持ちが大きくなってしまったので、再びそのままの内容で投稿する決断をしました。

当時、たくさんの方にスキを押して(応援して)くださったこと、とても嬉しかったです。
改めて感謝申し上げます。

セクシャルマイノリティはカミングアウトをする必要は全くありません。
マイノリティだからって主張しなくてはならない、という暗黙のルールは存在しません。
ただ、「私は」noteに色々なマイノリティを所持していることを書いてきたのに、この部分だけ “隠す” のは何か違う気がしたのです。
しかも一度投稿しているということは、私の中でこういう人間がいるということを知ってもらいたいという気持ちがあるからだと気付き再投稿の決断に至りました。
もう一度、自分を解放しようと思います。

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悪気もなく、コミュニケーションの1つとしてプライベートの話をしなければならかった前職。

前職は仕事内容がヘビーだったからこそ、プライベートの家族の話とか恋人いるの?とか所謂「ほのぼのする話」を求められることが多かった。

幸い、今の職場は全然そういう視点からのコミュニケーションを取らないから本当に助かる。(もちろん仕事のコミュニケーションは密。)

正直、前職まではこの葛藤が凄かった。

子どもは好き。健康体。だけれど、自分の子どもは無理。

娘の孫は可愛いとか、姪甥にいとこを…とか色々な気持ちが自分の中に浸食されて自分にプレッシャーを掛けてしまったり。

保育に携わる者としては、自分も子育てしているというのは保護者にとっても、信頼されやすいのが一般的だ…と思ったり。

職場の先輩からも「家族は良いよ。^^」とか悪気もなく話してくれて、返事に困ったり。

アセクシャル。そして性嫌悪。

この言葉を知らなかったから、本当に自分の「わがままさ」がしんどくて辛かった。

性自認は女性。恋愛対象は男性。つまり、“見た目”多数派な私。

HSP強めだから一目惚れもするし、好きな人から告白されれば、そらもう、天にも昇るような気持ちになる。

だけれど。性的指向が私の気持ちを阻害した。

なぜ、大好きの気持ちは性的行為とセットなのだろう。
なぜ、密な触れ合いがなければ分かり合えない、という考え方なのだろう。
なぜ、気持ちだけでは信用されないのだろう。

20代はこの葛藤が物凄かった。

頑張って挑戦したこともあった。
が、見事に失敗してそのままフラレた。

理解しようとしてくれた人もいたけれど、それは「いつか私の指向が変わるだろう」という期待が相手にあったから。
変わらない私にその人は冷めていった。

これらの失敗経験は私の性的指向をより強く感じた。

ずっと「自分はわがまま」だと思っていた。
いい加減、大人になれよ…って自分を責めていた。

でも、今は視野が広がって、自分にばかり目が行っていた20代から少しずつ全体が見えるようになって、自分のようなタイプも少なからずいる、ということが分かって、子育て経験がなくても保護者から信頼される経験もできて、少しずつ考え方が変わった。

アセクシャルだから、性嫌悪だから、パートナーができないわけではない。
自分に子どもがいないから保育士として劣っているわけではない。

それが分かったら今まで自分は性的指向を悪者にしてきただけだった、ということに気付いた。

たまたま、今まで性的指向が合わなかった人と上手くいかなかっただけ。
たまたま前職の職場の雰囲気が合わなかっただけ。

きちんとお互いに信頼関係を築いていけば強固なパートナーになっていける。
自分に子育て経験がなくとも、子どもとたくさん向き合って関わってきた私は “未来の希望” を育てている。

という気持ちでいられる私は大分生きやすくなった。

両手を広げてのびのび深呼吸できる今の自分が形成されるなら、20代の頃の葛藤は良い肥やしだと今では思えるんだから、人生は面白い。


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