13回目のクリスマス
13年前、娘との初めてのクリスマスは病院で迎えた。
死ぬかもしれないと言われていた大きな手術を無事に終えた後で、少し先の未来にようやく目を向け始めた頃だった。
外はもう寒くなり始めていて、娘が退院する頃には雪も降るかもしれない。外の寒さを知らない娘の、手術のために丸刈りにされてしまった頭が寒くないように、クリスマスプレゼントは温かそうな赤い毛糸の帽子を選んだ。
旦那とふたり店を回り、ああでもないこうでもないと、悩みながら選んだ帽子はとてもかわいくて、きっと娘に似合うだろうなと、クリスマスが待ち遠しかった。
クリスマス当日、病院へ向かい、娘に帽子をかぶせてみると。
あらまぁ、ぶっかぶか。
生まれてから一度も病院から出たことがなかった娘とはまだ一日たりとも一緒に生活できていなかった。
NICUにいた頃には完全に裸族、手術のために転院したこの頃の病院は病院の用意した病衣を着るように言われていたため、娘の服を買ったことは出産準備以来まだなく、娘が不在のまま行った買い物ではサイズ勘など皆無。
とはいえ自分たちの親としてのあまりの初心者ぶりに笑えてきて、そんな親の気持ちを知る由もない娘もぶかぶかの帽子をかぶり、紐や房を握って遊び無邪気に笑っていて。この大きな帽子かぶって、早くお家に帰ろうねって、3人で笑った。
だけど結局この帽子をかぶって娘が退院することはなくて、年が明けて1月の末に退院間近の娘の呼吸と心臓は止まってしまった。
戦い抜いてやっと娘が家に帰ってきたのは暑い暑い夏が来た頃で、帽子はしまいこまれたままになった。
そしてまた冬が来て、帽子をひっぱりだしてみたらまだ大きくて、またしまい込んで。それを何年も繰り返して、ようやく帽子がぴったりになったのは娘が6歳になった頃。
ぶかぶかだった帽子がようやくぴったりになった頃、大きくなった娘に自分では握ることのできなくなってしまった帽子の房を握らせて、あの頃と同じように写真を撮った。かわいくて、少しだけ、涙が出たことを覚えている。
6年もかかったね。
あれからまた娘も私も年を重ねて、やっと心肺停止前の娘の写真を見ることができるようになった。
娘が一緒にいない時でも、娘の帽子や服のサイズを間違えなくなった。
娘、またクリスマスが来るね。
今年はサンタさんに何をプレゼントしてもらう?あれが欲しいこれが欲しいとけして言わないあなたへのプレゼントに、今年もきっとサンタさんは頭を抱えるよ。
いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…