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自分自身を見失わない、ということ

昨日、1つ前の投稿の記事を恐る恐るFacebookに投稿してみた。友達に、知っている人に、見られたくない。だけど、見てほしい。相反する2つに気持ちがごっちゃになって、頭がオカシクなりそうだった。

NVC(共感コミュニケーション)のニーズリストでニーズを見てみると、

求めていたのは「心の平安」と「受け入れられること」。

その奥にあるのは「自由」。誰かに「そのままでいいよ」とか、「そのままで素敵だね」って言われたいのかもしれない。誰かの目を気にして、今まで自由に表現するこを怖れていた。

そして「つながり」。自分が一番大事にしていることを表現することで本当の意味で誰かとつながりたいということ。

そんな無防備さを感じることが、生きているということかもしれない。

今日も頭がぐるぐる悶々としていたけど、坂爪さんの記事を見て、

「あ〜これで良かったんだ!」と背中を押された気がした。

自分に恥ずかしくない生き方をすると言うことは、恥の多い人生を生きると言うことだ。

そう、恥ずかしい。だけど、

潔く、明朗と、自分が思う正解のど真ん中を生きればいいのだ。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。

そして、

本当は、みんなひとりが怖いだけだ。ひとりになるのが怖いから、みんなと同じであることを優先する。無難であることを、一般的であることを優先する。結果、自分自身を見失う。

私は自分を見失なかった。自分の声に耳を傾けて、「やりたい」と言っていることをやっただけだ。失敗かもしれない。だけど、それさえも間違えじゃないんだ。

きっとこれを読んでいる人も、Facebookの投稿を読んだ友人も、特に何も感じていないだろう。恥ずかしい、と思っているのは自分だけ。

もし「つながり」を求めているのなら、自分と(坂爪さんの言う「縦」と)つながろう。

今の私に大事なことは、先に横につながろうとしないこと。

ただただ、自分を信頼してやりたいことをやって行くだけ。そうすれば自ずと横のつながりもできていく

次は何を書こうか。

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