![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75174985/rectangle_large_type_2_53e99634b5ce781c9f53ef4641370817.jpeg?width=800)
悲しくて泣いた娘の姿を見て、嬉しいと思う日が来るとは
娘が泣いた。
3歳の娘が泣いた。
目いっぱいに涙をためて、
ためた涙を流しながら、泣いた。
その様子を見て私は、とても嬉しく思った。
我が子にはずっと笑って過ごして欲しいと思うのが親心だろう。
だけど、
悲しくて泣いた娘の姿を見て、親のわたしは嬉しく思ったのだ。
我が子の泣く姿を見て嬉しく思う瞬間なんて、おぎゃぁと生まれたあの瞬間だけかと思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい。
ーーー
先日、娘の保育園の卒園式があった。
2歳児クラスまでの3学年だけがある小規模保育園だったので、娘は卒園の学年だった。
娘は卒園式を、とても楽しみにしていた。
なにせ、3年弱通った保育園なのだ。
平日10時間以上を一緒に過ごした大切な友達や先生がいる保育園。
親友も出来た。
3歳の親友とはどのような存在かと言うと、おもちゃのレゴに、その親友の名前をつけたほど。家で遊んでいる時も、まるでその子と一緒に遊んでいるかのようだ。
↑左のレゴに娘の名前を、右のレゴに親友の名前をつけて、レゴの中で一緒に遊んでいる
卒園式の前日は、
「(親友の)Aちゃんに会えるね。あと、SちゃんとTちゃんも。Aくんも。大好きなR先生もS先生も…」
と、クラス全員の名前を、関わった先生全員の名前を、ずっと言っていた。
そして当日。
保育園の最寄駅に着いたら、「Aちゃんに会う!」と親友の名前を言って、保育園まで走り出した。
そして、娘が保育園に着いてドアを開けたら。
「娘ちゃーん!」
娘の周りに、友達が集まってきた。
なんと、同学年の子全員が。
(※ みんなは朝から保育園にいて、娘は転園していたため、卒園式の時間からの参加。よって1人遅れて参加の状況。)
みんなニコニコしながら、集まってきた。
娘と親友は、手を繋いでずっとジャンプしていた。
とっても楽しそうだった。
そりゃそうだよな。
と思いながら、私はこの3年弱に思いを巡らせた。
↑卒園式でもらった素敵なひよ子
娘が保育園に入ったのは、生後2ヶ月だった。
歩けない、立てない、食べない、なんてレベルじゃない。
寝返りさえ出来ない。首も座っていない。
自分で何も出来ない存在だった。
ただただ、毎日仰向けになって、ミルク(母乳)を飲んでいるか、泣いているか、寝ているか、たまに笑っているか、という赤ちゃんの時だった。
よく聞くフレーズがある。
“0歳から保育園に預けるのはかわいそう”
もし今、あなたが、「0歳から保育園に預けるのはかわいそうかも」って迷っていたら。もしくは今保育園に預けていて、罪悪感を覚えていたら。是非このnoteを読んで欲しい。
保育園に預ける=プロが一緒に育児をしてくれるということ
これが頭では分かっていても、罪悪感を持つ人もいるかもしれない。
だけど、わたしは、この3年間、罪悪感を持つことがなかった。
なぜか。
娘が「保育園へ行きたいくない!」と泣かなかったからだ。
一度も。
なぜ、娘は「保育園へ行きたくない!」と一度も言わなかったのだろう。
もちろん、娘にとって素晴らしい保育園だったということもあると思うけれど、一番の理由は。
生後2ヶ月で通い始めたから
だと思っている。
娘自身の物心がつく前からそこにいたから、人見知りが始まる前からそこにいたから、だからこそ、保育園という場所が、娘にとっての居場所となった。『物心つく前からいて安心できる場所』となった。3年間、毎日とても楽しく保育園へ通えた。
どのぐらい保育園が娘にとっての居場所になったかと言うと、日曜日も保育園へ行きたがったほど。
「今日は保育園お休みだよ」と何度言っても行きたいと言ったので、一緒に、保育園のドアの前まで行ったこともあった。空かないドアを見るまで納得しなかった。
大好きな、担任の先生。
大好きな、園長先生。
大好きな、給食の先生。
大好きな、夕方遊んでくれる先生。
大好きな、絵本を読んでくれる先生。
そして何より、大好きなお友達。
娘にとって保育園は、大好きな人に会える場所であり、家と同じぐらい心地よい場所になったのだ。昔からいる当たり前の場所、とでも言うべきか。
だからこそ、娘は泣いた。
卒園式が終わったタイミングで泣いた。
卒園式が終わって、親友とバイバイしなきゃいけないタイミングで、ポロポロと涙をこぼしながら泣いた。
娘にとって、保育園がここまで必要不可欠な存在になるとは。
そう思った。
だから、悲しくて泣いた娘の姿を見て、親のわたしは嬉しく思ったのだ。
(写真はフリー素材)
娘にとってだけでなく、親である私にとっても、必要不可欠な存在だった。
平日フルタイムで仕事をしている私にとって、物理的に必要不可欠な存在であることは言うまでもなく。
プロが一緒に育児してくれる安心感も、言うまでもなく。
それ以上の存在だった。
卒園式では、先生方全員が、娘の成長を喜んでくれた。
「最初に来た時は赤ちゃんだったのに。本当に大きくなったねぇ」
「出会った頃は赤ちゃんだったのに、もう卒園なんて…!」
「なかなか離乳食を食べてくれなかったけど、今では一人で上手に食べられるようになったねぇ」
など、しみじみと色んなお声かけをしてくださった。
娘の成長を一緒に喜んでくれる人が、こんなにたくさんいるなんて!
昔と違って、現代の子育ては孤独な面もあると思う。
でも、保育園に通ったことによって、たくさんのプロの保育士さんと一緒に子育てが出来た。
育児の困ったことも相談できた。
そして何より、娘の成長を一緒に共有できた。
娘の成長を共有できる人がたくさんいたからこそ、頼れる人がたくさんいたからこそ、孤独な子育てから解放されたし、だからこそ子育てに余裕が出来て、子育てを楽しめるようになったのだと思う。
自立とは、誰にも頼らずひとりで生きていけることではない。
自立とは、頼れる先を増やすことだと、誰かが言っていた。
それと同じ。
子育ても、自分ひとりで頑張るのではなく、
頼れる先を増やすことこそが、
子育てを楽しむコツだと思う。
そして、頼れる先の信頼できる選択肢として、
保育園があるのだ。
↑卒園式でもらったチューリップ
あぁ、保育園に通って、本当に良かった。
娘が涙を流しながら泣いているのを見て、そう思った。
わたしまで泣きそうになるのを、こらえながら。
(2,576字)
月曜日は、日経xwomanテラスにも書いています!
アンバサダーやってます。
クリックしてもらえると嬉しいです。
ありがとうございます!サポートとても嬉しいです。いただいたサポートで、娘に絵本を買っています。