プロの家庭教師だけど、「親ガチャ」という言葉にひとこと言いたい。

親ガチャという言葉が流行っているらしいです。

子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方。(weblio辞書「親ガチャ」より)

どこに生まれるか。どんな親のもとで育つか。兄弟構成など・・・は子ども本人にはどうしようもできない、という意味合いで使われる言葉のようですね。

子の側からしたら、いろいろ言いたい気持ちもあると思います。周りがみんなお金持ちの家の子で、自分だけ庶民?だとしたら。ガチャ失敗・・・と思うのも、まあ無理もないのかもしれません。

親側から聞いたら辛い言葉だと思います。完璧な親なんてそうそういません。というかそもそも完璧な親や家庭環境とは何なのでしょうか?そんなもの、定義のしようがないと思います。

私は家庭教師として様々なご家庭に訪問していまして、ご家庭の内部事情を知ってしまうことも少なくありませんでした。

勉強している隣の部屋で夫婦喧嘩が繰り広げられたこと、親が子の進路を勝手に決めてしまうこと、子どもから親の離婚問題を相談されたこと、家に自宅警備員がいること、あからさまにきょうだいを贔屓していること、お客様の個人情報があるので詳細には書きませんが、こういうことは割とどこにでもあります。というかこれくらいならもう日常茶飯事なので驚きもしませんしなんとも思いません。もっとえらい目にあったこともありますが守秘義務からここでは書けません。本当にいろいろあります。

「子どもに家庭教師をつけられるなんて、お金持ちで素晴らしい家庭」みたいなイメージが一般的にはあるかと思います。

家がすごく大きくてきれいで、理想的な家庭に見えても、そりゃあ何かしらのことはある。家庭教師をつけられるイコール経済力あって余裕あって素敵な家庭、というのは短絡的な考えに過ぎません。

内情は色々あります。でも、それは表に出さない。家に来る人間だからたまたま知り得るだけで。外の人間にはわからないでしょう。

「隣の芝は青い」とはよく言ったものだと思います。

友達の家がすごく大きくて、家庭教師をつけるくらいには裕福に見えたら、羨ましくも見えます。

「いいなあ、お前の家はさ。俺は親ガチャ失敗したわ」

親ガチャという言葉は、こんな感じで使うのでしょうか。

でも、見えているものが全てでは決してない、ということを知ってもらいたいです。

私の実家も裕福ではないので、親のせいだとか、不平不満を述べたくなる気持ちは理解できるつもりです。

「親ガチャ失敗」そう思うことは褒められたことではないけれど、思うことだけなら勝手でしょう。でも、それを誰かに言ったところで、言われた側も「うちだって色々あるわ」と思うでしょうし、言われる親側は間違いなく辛い。

だから心の中で「親ガチャのせいだ」と思うのは勝手ですが、それを表明することには百害あって一利なしでは?と思うのです。

子が家庭環境に不満を持って、言いたくなる気持ちはすごくわかる。自分は不運だ、恵まれないって思いたくなる気持ちもわかる。そう思ってたまに自分を慰めるのも悪いことだとは思いません。そうやって心を守らないとやっていられない時もあるでしょう。

でも、それ以上の効用は期待しないほうがいいのだろうと思います。この言葉を使ったところで状況はきっと改善しない。

(もちろん、虐待があるとか、明らかに犯罪クラスの問題点があるならば、もはやガチャ云々の問題ではないので、然るべきところに相談すべきです。)

だから、よほどのことがある家庭以外なら、子ども側から家庭を選べないという意味で子どもの心の慰めとしてこういう言葉が出るのは仕方がないかもしれない、と思います。

そして親御さんは万が一こんなことをお子さんから言われても、気にしないでほしいです。主観的な話で恐縮ですが、「もしかして私って・・・」と思っていたり、こういう言葉で傷つくタイプの親御さんに毒親はほとんどいらっしゃいません。

でも、もし自分の生徒さんがそんなことを言ったら「思うだけなら勝手にすればいいけれど、その言葉はみんなを不快にするしあなたにもメリットがないから言わないほうがいい」と伝えようと思います。


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