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パーキンソン病な父と

こんにちは、家事も節約も好きな人です。

昨日父に変化あり。まとめるには長すぎて少しだけ書き起こし。



 繊細な動きから奪われる

最初はみんな腱鞘炎かと思っていた。指のこまかな動きが奪われて文字がくずれ、

じわじわとインナーマッスルが思うように動かなくなり、

ブレーキが遅れるよりは早めに諦めて運転免許を返納して、

脳に電極を埋め込んで薬も併用しながら、発症して13年くらい。


とうとう目の筋肉も

 最近は目の筋肉も動けなくなってきて、視力が測定不能で老眼鏡を作れず、フォークが皿で空振りしていたみたい。

眼か…眼にも筋肉があったなーと
原始的過ぎて気づかなかったくらい。

油絵を描いていたから書きかけのテーブルを見るとせつない。

いつのまにか親も私もそんな年齢になってきました。

 

一時入院

午前中に立ち上がろうとして意識を失い、かくんと、本当に電池切れのように全身の力が抜けて、顔から転んだらしい。

父は意識が回復して退院未定のまま入院、母とドアでバイバイをしたし、パニックにはならなそう、よかった。

(前回の父は気がついたら病院のベッドだったもので点滴を抜いて「帰りたい」など一騒ぎあって…、そんな気持ちもわかりつつ、看護士さん すみません!)


私は母と入院の書類や準備。たびたび入院するので母は準備が早く、前回は正月だった。だんだん慣れていくけれど、それもなんだかな。

 

母と昼ごはん

昼を食べ損ねていた母に何を食べたいか尋ねたら、回転寿司に行きたいらしい!

 母「お父さんが病気になってから外食は1人で行けないから、誰かが作ったものを食べたい。元気をだしましょう、ついてきなさい。」

わかりますその気持ち、
私たち今は主婦だもんね。

お供して、
貝汁や季節の魚で寿司を10貫くらい。

お腹が満たされると落ち着く

 私はお供と運転手に徹して、家へ帰ったら母も仮眠を取れていた、よかった。

お腹が満たされると落ち着くし、
温かい貝汁で力が抜けた気がする。

親と別れて、自宅へ帰ってきたら子どもたちがふにゃふにゃ元気だった、ああもうかわいいい!
みんな長生きしてね。


子「お母さんは何歳まで生きたい?」

今朝、朝ごはんを食べながら下の子がそんなことを尋ねてきて、何かしら感じとっていたようす。

私「うーん、70くらい?」
もうちょっと長くがいいかな

私「じゃあ75?」
90とかどうかな

 私「長いねえ! あと半分くらいかなあ」
半分なんかすぐよ、90にしてて。

 娘に言われたら厳守、私が子どもたちの長生きを願ったように、小さな子どもがいつのまにか終りの概念を知り、私の長生きを願ってくれているのですね。


私は90まで生きておこうと思います(笑)

 今日はここまで!

お立ち寄りありがとうございました🪺


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