3度目の転職

今の会社で働き始めて、1年と半年くらい。その間も、フリーライター、スナックチーママの仕事は続けてきた。

といっても、ライターの仕事は月1〜2本がせいぜい。チーママの仕事も週1回なので、ハードワーカーかと問われればそうでもない。

この生活に終止符を打とうと考えたのは、どうしてだったんだろう。誰も気にすることはないだろうけど、じぶんのために備忘録として綴っておこうと思う。


今の仕事と生活を愛してた。このことは間違いないと思う。

今の会社の仕事はというと…

時代の流れにあった、人を明るく楽しい気持ちにさせてくれるサービス。

スピード感のある仕事をバリバリとする先輩と同僚たち。感謝と謙虚さ、誠実さを持っている人ばかりで、いっしょに働ける日々は、わたしにとってかけがえのないものだった。


なのに、なんでやめてしまうの?

わたしは、根本のところに一つ大きな問題を抱えていた。期限付きのこの生活を許容するわけにはいかないということ。というのも、わたしは「派遣社員」という雇用形態で会社員をしていた。どんなに私が望んでも、この生活は一年半後に強制的に終了されるものだ。

派遣の仕事をはじめた最初のうちは「ライターとして生計を立てていきたい。その傍で、一時的に安定的な収入になるものがほしくて、けど正社員に戻るには自分は社会不適合者すぎるだろ…」っていう思いを持ってた。だから、選んだ。

定時であがれて、ライターの仕事に費やす時間も確保できる。それは、わたしの希望とばっちりマッチしてた。

けど、どんどん、仕事に慣れていくと、その先の欲求が生まれてきた。より高い水準の仕事に挑戦したくなっていくし、いまの職場の人たちともっと長く働けたらいいのになって願うようになってしまった。

契約期間が終了したとき、わたしは30歳を過ぎている。そのときに、白と出るか黒と出るかわからないチャレンジを、時間という一番の財産を投入してでも、リスクをとるべきかどうか自問した。


正直なところ、ライターとして、この一年半で、自分の能力に、諦めともいえる感覚が出てきた。記事一本を仕上げるのに途方もなく膨大な時間がかかる。締め切り間際でも、時間をかけて出来たものが、修正いらずの精度の高い文章にまで引き上げることができていれば問題はない。だが、わたしの場合はそうではなかった。

努力を重ねても、締切に追われて、心はヘトヘトになるし、睡眠を削れば体はひどく疲れる。若い時は無理できたことも、無理がきかなくなってくる。

こんな日々は、本当に、わたしを幸せにしてくれるのだろうか…。仕事は、もっと低コストで成果を安定的に出せること、かつ人から求められることをやったほうがいい。「好きを仕事にする」は聞こえがいいし、その誘惑は甘いけれど、求められた水準に達していなければ、実際は仕事を頼む方も受けた方も不幸にする。そんなもの、やめてしまっていいんじゃない?意固地にならず、もっと得意なことをやりなよ。

わたしが欲しいのは、好きな仕事とかじゃなくてまわりからの信頼。任せてもらえたら、期待値以上で一個ずつ打ち返すことのみに集中して。その速度をもっと加速させたい。いっしょに仕事をする人たちから良い影響を受けて、そんな考え方に段々と変わっていった。この一年半いっしょに働いてきた人たちにはものすごく感謝している。働く上で大事にすべきことを、その人たちは働き方で体現して、わたしに教えてくれた。


ずいぶん前に、ある人から言われた言葉が、わたしの心にはいまだトゲみたいに刺さってる。

「きみの文章は、読みづらい。論理破綻してる。支離滅裂」

指摘するのはその人の勝手だが、けっこうキツい言葉をもらって怖くなったし、じゃあどうしたら良くなるのか、わたしには全然伝わってなくて、苦しかった。この言葉は鉛のように重く、思った以上に心を抉って。どんどん私から書くことを遠ざけていった。

とはいえ、納得するところも一部あった。実際、構成を考えて、それをもとに作るのは、どちらかといえば不得意だ。思ったまま、感覚で書いてる。だから、話が前後したり、ぐるぐると同じところで止まってしまったり、言いたいことが2個も3個も出てきてとんでもない場所に着地したりする。


とくに、インタビュー記事は、重複なく順序立てて伝えるものになってないと、読みづらい。情報が整理整頓されてない文章は、読み手に負担を強いる。インタビュー記事の文章には、難解な単語も、変わった言い回しも必要ない。その代わりにインタビュイーが持つ考えやニュアンスを正確に捉えて、言語化する能力が必要だ。どうにも、わたしは、齟齬なく情報を理解したり、顔の見えない相手に文字だけの情報で伝えたりするのが、苦手らしいと。仕事をする中でそう感じることが多くて、嫌でも少しずつ認めるしかなかった。

弱点ばかりが目立つ私は、ライターという仕事自体やめたほうがいいかなと落ち込んでた。入念な準備をして取材にのぞみ、わかりやすく丁寧にまとめられるライターに嫉妬した。嫉妬する反面、友人のライターたちがどれほど血がにじむような努力をしているか、身を削りながら作っているかも見ていて、それはすごく尊敬している。才能ある彼女たちでさえそこまで苦しむんだ。じぶんが現時点でマイナスの能力なのに、すこしのプラスに引き上げるってすごく骨が折れることなのは、分かりきってる。だめだ。やっぱ、わたしには真似できない。インタビューは普段お会いできない人と話ができるっていう面白みはあるけれど、インタビュー記事を書くライターでい続けることをようやく諦めることにした。


尊敬する、ある編集者の先輩がこう言っていた。

『ライターにはいろんな道があるんだから、みんな自分の頭で考えて、自分に合ったスタイルでやればいいんですよ。デマを流したりステマしたりパクったりしなければ。原稿を書く苦しさを乗り越え、信頼を積み重ねる難しさを噛み締めながら、歯を食いしばって頑張ろうぜ。以上、編集者としての意見でした。』

その言葉を聞いたおかげで、わたしはじぶんのためになら書けるかなと今は思えてきた。

たとえば、得意なこと(エクセルのこととか。マクロも)を人に教えるような文章は書けるだろうし。ほかにも、自分の経験にもとづいた、心情を描写する文章なら書けそうだ。


視野を広げれば、書くことなんて無数にある。書く場所も、インターネットの世界でいろんな人に届けることができる。だれも、なにも、禁止などしてなくて、書かないことを選択してたのは、他ならぬ「私」だった。

なにが、実際に他人から求められるかを知りたくて。書き続ける中で、それがハッキリと輪郭分かる形になればよいなぁと今は思っている。

わかりやすい文章を書くのはとても骨が折れるし、苦しみもある。けれど、発信することでその先にあるものを見てみたい。継続していくことで、信頼を積み重ねていきたい。

言葉は行動を制限する呪いにもなるし、そっと背中を押して勇気を与えてくれるものもある。

後者の使い方ができるようになれば、それはものすごく素敵なことなんじゃないかなぁ。


こんな感じで書き連ねまくって、着地点がぼんやりしちゃうんだよねw

何はともあれ、10月から正社員で働きます。経営戦略で必要なこと何でも屋さんになるかんじ。といっても、スナックチーママも、インタビューしないライターも続けていきます。ライターとしては、伝えてだれかしらに実際に喜んでもらえた知識とか、自分の考えとか小説とか、書いていく感じにしていきたいかな。徐々に慣れていこうね。

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