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世の中には圧倒的に犀が足りない

 世の中には圧倒的に犀が足りない、と言っても動物のサイのことではなく漢字の”犀”である。世の中には圧倒的に”犀(という漢字)”が足りない。

 例えば脳内に架空の友人を登場させる。彼女が「そういえば動物の”サイ”ってどんな漢字だっけ」と聞く。何をどうしたらそんな会話になるのだろうか、という考えはいったん隅に寄せて、私は漢字の”犀”が入る熟語または名称を考え、引き寄せて、確認する。祈りと願いを込めて頭を打ち出の小槌のようにふるふると振るわせるが、出てくるカードは2枚だけだ。すなわち、「『金木犀』のセイ」「『室生犀星』のサイ」である。

 しかし問題が生じる。どちらの漢字も難しく世間一般では使われないため相手がどちらかを知っていないと伝わらないということだ。というかなんで金木犀は”キンモクセイ”という読みなのに『犀(サイ)』の字を当てるんだ、おかしいだろ。『金』と『木』は分かる。キンモクセイのあの小っこい橙の花を”金”に例えているのだろう、それはセンスがある。『木』は言わずもがな、だが突然の『犀』の登場だ。なぜ。訳が分からん。キンモクセイの豊かで芳醇な香りをひとたび嗅げば、獰猛で凶暴なサイも猫のように丸く寝転がってしまう、という例え話なのだろうか。そして室生犀星は動物のサイが好きだったのだろうか。

 妄想を膨らます。動物園でサイ園に入る飼育員は服の下にキンモクセイを何本も忍ばせている。八つ墓村に出てくる村人A~Zのように頭にもくくり付けているかもしれないな。ハチマキには「特攻」の二文字。むせ返るような色気のある臭いが直撃して飼育員は閉口するが、身の安全には代えられない。サイの死角から近づいて鼻の前でフリフリと花を振る。サイは寝る。終わり。

 話が逸れた。もちろん金木犀や室生犀星以外の手段がある。スマホで調べて「これ」と見せればいい。ペンとメモ帳を取り出して書いて渡してもいい。便利と簡単の二段重ね。人に漢字を教えるという手段ではおそらく二番目にノーマルな方法だと思う。
 しかし、私はできるだけこの手段を取りたくない。なぜか。うまく説明できないしこの気持ちがどこから発生しているもんなのか分からないのだが、こう、言い知れぬ敗北感がある。冷静になると「私はいったい何と戦っているのだろう...」と虚無に包まれたり、「そこにプライドあるってどういうこと?」と疑問を呈したくもなり、精神が蝕まれること必至なのだが、それでも「負けたくない(だから何にだ)」という気持ちが凌駕する。

 漢字の成り立ちから考えてみようか。”犀”の部首はおそらく『尸(しかばね)』だ。では「尸の下に横棒が縦と横で2つずつ計4つあって、その下に牛を書くんだよ」ではどうだろう。しかしこれもまた金木犀室生犀星と同じ問題が生じる。『尸』を『しかばね』と読むのを知っている人はたぶん少ないそれに「しかばねの下に...牛を...」とは物騒な言葉である。この会話がたまたま耳に入った人に、「こいつの田舎では死んだ人間を牛の下に置いて弔うのだろうか。はて、踏みつけられた死体とそれを踏みつけた牛のどっちがかわいそうだろう」と思われたら地獄だ。やめよう。

 そうか、閃いた。『犀』という文字を含んだ新語を作って流行らせればいいのだ。いくつか作ってみた。
・犀高(さいこう):サイもバック宙するくらい昂った気持ち。
・犀促(さいそく):コレコレをやらなければサイを突っ込ませてあなたの身体を粉々にしますよ、という脅し。
・犀リウム(さいりうむ):サイの角に見立ててサイリウムを鼻の上に接着剤で固定させること。アイドルの歌唱に合わせてヘドバンすればよりサイっぽい。

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 私に造語のセンスは無いということが分かった。

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