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『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を読んだ。

だいぶ前に読み終わったけど、結構内容が長かったので読み終わってからも数回チラチラ覗いてみて読んで、ふと思い出してはまた読んで...みたいな感じで、ふわふわと生活の一部になりかけていた。そうだ感想書いておこうと思い立ってようやく書いてみることにした。


まずこの名前を見た瞬間に絶対面白いだろうと思った。

“清少納言”も“フィンランド”も“京都”も絶対面白いワードだ。最強ワードの組み合わせ題名で面白くないわけがない。

ということで購入したら予想以上に分厚くてびっくりした。著者は京都1000年の沼にハマってしまったんだなと思った。

表紙に「ASIOITA JOTKA SAAVAT SYDÄMEN LYÖMÄÄN NOPEAMMIN」とフィンランド語が書いてあったのでネットで調べてみた。フィンランド語での原著の画像が出てきた。コテコテな日本の感じだった。この絵だと清少納言の物語だと思いそうだなという印象を持った。

本の中で著者さんは清少納言のことを「セイ」と言っていた。それが自分にとってとても新鮮だった。日本の義務教育で習った「清少納言」は「清少納言」という4文字熟語の塊でしかなかったし、テストに出れば紙にその名前を書くだけの無機質な平面的な存在だった。
「セイ」と言われて、自分は初めて「清少納言」という文字に人間味を感じることができた。

著者さんがすごいなと思ったのは、その「セイ」を求めて「セイ」が生きていた京都に1000年の時差を経てやってきたことだと思う。遠いフィンランドから。
京都にどれだけ1000年前から変わらない景色があるのか自分はよく分からないが、著者さんはそこに「セイ」を見出したように思えた。

また東北大震災のときに京都にいたというのが驚いた。自分もたまたま京都に数ヶ月滞在してたときに地震に遭ったので同じ時期に京都にいたんだなぁと勝手に親近感を持ったりした。日本語が分かっててもあの時は不安でたまらなかったのに、日本語が分からない状態でさぞ不安だっただろうと思う。

終始この本の語り口は軽快で面白いし著者さんの思慮深さを感じる文章だった。翻訳本を笑いながら読めたのはこの本が初めてだった。
でもそれが著者本人の文才なのか、訳者のかたの翻訳の力量なのかさっぱり分からない。いつかこの本の原著を読んでみたいと思った。それにはフィンランド語を勉強する必要がある。フィンランド語の勉強を志すいい理由ができた。頑張ってみようと思う。

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