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ユーモアな仕返し | 落語日記『くしゃみ講釈』

私にとって笑える落語と言えばこの演目。クライマックスの唐辛子の粉を炙った煙で講釈師がくしゃみを我慢できなくなるシーンは何度観ても笑ってしまう。

「やられたらやり返す、倍返しだ!」が一世風靡したように仕返し劇と言うのでしょうか、悪者・憎き物をやっつけるストーリーというのは爽快感もあり人気なのだろう。私もその手のモノのファンである。

落語の演目である『くしゃみ講釈』は言うてもいつも偉そうにしている講釈師に面子を潰されたため、一泡吹かせてやろうとして唐辛子の粉を炙って公演を一回だけ台無しにしてやろう、と言った許される程度の仕返しである(実際に唐辛子の粉を炙った煙を吸ったらとんでもなく辛い可能性もあるのだが...)。

私なりのこの演目の解釈としては、人は面子を潰される・恥をかかされるとカーっとなってしまう。そして仕返しをしたくなる衝動が起こるとなかなか抑え切れるものではない。でも、仕返しをやりすぎたら結局のところ非は自分の元に返ってくる。自分の気の持ち様だけの話であって、仕返しをするにも程々にしておきなさい、といったもの。
(ぜひ正しい解釈など知っている方、教えてもらえると嬉しいです)

また、当時講釈師に客を取られた噺家が自分の悔しさをぶつける為に作った演目なのでは、とも勘繰ってしまう。それはそれで洒落が利いていて私はユーモアだな、とも思う。

この人生の処世術を私は密かに活用している。会社で横柄な態度の上司に対して、ちょっとしたストレスを与える。決してモノを壊したり害を加えない。そうするとこういう方々は敏感なので直ぐに反応を示す。そして私は心の中で「あースカッとした」と負の感情を帳消しにする。決して後に引きずることをしないというルールとセットにする。

これが何となく自分の精神のバランスを整えることに役に立っていると私は思っている。ちゃんとやり過ぎには注意しながら。

わざとストレスを与えるのだから、嫌なやつかもしれない。それでも様々な情動が起こる人間関係を生き抜くための一つの処世術として割り切っている。

そんな私なので逆の立場で態度の悪いふてこい店員さんとかに遭遇しても、ああこの人はストレスを帳消ししているのかなと受け流す。それもマイ・ルール、100%実行できている訳ではないが。

人間の悩みは全て対人関係にある。
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くしゃみをすると「誰かが噂してるのかもよ」なんて言われた。欧米でもBless youと魂が口から抜け出す、なんて表現されるように悪い知らせの予兆と捉えられる。

おそらくかぜの引き始めに留意すると言う意味合いであるが、くしゃみ講釈を知った私は自分の行動を戒めるサインか、とも考える。負の感情を受けたらユーモアに変えてくしゃみと共に笑い飛ばしたい。

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