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32回目の告白

抜けるような青空に、白い雲が点々と散らばっているのをぼんやり眺めた。屋上のフェンスに寄りかかって見える眼下には、たくさんの生徒が行きかい、各々騒ぎながら写真撮影していたり、花束を渡されたりしている。
ーー卒業か。
実感ないなあ、なんて思ってまた青空を見上げる。しばらくそんな時間が続き、不意にガチャリと扉が開く音がした。
「ーーやっぱりお前だったか」
いつもの声が、耳に届く。
「ーーその言葉もそろそろ飽きてきました」
青空からその人に視線を移し、口を開く。
「来てくれてありがとう、先生」
「ああ。ーーというか、飽きたって言われてもなー」
いつも通り、短い髪を掻きながら先生は私の方に歩いてくる。
「だっていっつもおんなじ事しか言わないじゃないですか」
先生が私の目の前に立つ。
「まあ、そうだけど、32回目ともなると最初の一言に困るんだよ」
そう、これは32回目の告白。
「いや、別に先生の登場の一言とかどうでもいいんで」
軽口を叩きつつ、それでも自然と鼓動は早くなる。
ーー32回目なのに。
何故こんなに緊張するんだろう。
「…でも、記念すべき32回目の告白に変わり映えのない登場はおかしいですよ!」
大声で無理矢理、鼓動を誤魔化す。
「いや、32って記念すべきってほどでもない、微妙な数字じゃね」
どくんどくん。
「じゃあ、およそ30回目!」
どくんどくんどくん。
「じゃあって何よ」
どくんどくんどくんどくん。
「あと、3回ほど減らしておけば、ちょうど30回目になったのか…」
どくんどくんどくんどくんどくん。
「なんで俺はそんな打算的な告白を受けないといけないの」

どくん。

私の鼓動の音がばれたかのように、不意に屋上がしんと静まり返る。
先生と目が合う。
そうしたらもう、離せなくなる。
否応にも意識してしまう。
先生の髪の色とか。目の奥とか。思ったよりごつごつしてる手とか。きっちり着たスーツから薄らみえる鎖骨とか。全て。
熱が顔に集まってくる、音が聞こえた気がした。
…ああ。
……ああだめだ。
落ち着け。落ち着けよ私。
じゃないと、顔が赤くなって、意識していることがバレてしまう。
素早く息を吸って吐く。
頭を空っぽに。
そしたら今度は別のことが頭を占めた。
私の、願い。

私のことを先生が好きになってくれますように。

これまで散々告白してきて、時には軽い調子の告白もあった。
そんな時でも毎回密かに本気で、振られると悲しくて家で泣いた。
ああ。
でも。
軽いふりをした告白も覚えててくれたんだ。

軽い、冗談のような告白。それを含めて、32回目。
だから。
期待してしまう。
私の願いと先生の願いは同じなのではないかと。
期待してしまう。
想いは通じているのではないかと。
期待してしまう。
先生はもうすでに私を好きでいてくれてるんじゃないかと。

…期待してしまう。

だから。
私はいつも。
「…先生」
願いを込めて頭を下げて手を差し出す。
「絶対幸せにする。から、私と付き合って」
数秒の空白。いつも、私にはそれが一生に感じられる。
その瞬間、頭に思い浮かぶのはいつも最初のこと。
初めての、告白。
ーーその時は、スパッと切り捨てられたなあ。
好きですって言ってから全く間をおかずに、うん、ごめんなって言われたもんな。よくあることだったんだろうな。
普通だったら諦めるのに、何故か往生際悪く次の日も告白したんだっけ。
今思うと不思議すぎる。何故。
ーーでも、その時の先生の驚いた顔はおかしかったな。目がまんまるくなって、ほんとにびっくりしてた。
3回目はまた一ヶ月後。
クリスマスにたまたま先生に会って、駅のツリーの前で。その時先生に彼女がいないって知って、嬉しくなったなあ。
5回目はバレンタイン。チョコと一緒に伝えたけど、どっちも受け取ってもらえなくて、帰って一人で食べたのは苦かった。
けど、ホワイトデーにのど飴くれて、テンション上がって抱きつきかけながら告白して、断られながら避けられた。
10回目は2年になったら、先生のクラスにだったから、これは私のこと好きだって確信して、余裕満々で告白したら、1回目の如くスパッと切られた。若干黒歴史だなあ。
20回目は文化祭。クラスの出し物が喫茶店で、品物と共に「私の愛もセットで」とかなんとか言って。内心ドキドキだったけど、先生には笑って流されたのはちょっとショックだった。
30回目はこの前のバレンタイン。また先生のクラスで、もうその時には、学校中に先生への恋がバレてて、周りに騒がれたな。2年から戦略を変えて、団体で渡すことにした。友達何人かと職員室の机の上に置いて逃げ帰ったら、帰りに先生に会っちゃって、好きですよー!って叫びながら逃げた。あの時のチョコは食べてくれただろうか。

それで、32回目。
頭を下げて、手を差し出した状態で微動だにせず、その瞬間を待つ。
不意に、頭にぽんと手がおかれた。
ーーあ。
「ごめんな」
そう言った時の先生の顔は見えない。
頭に載せられた手が離れていく。
呆然としたまま顔を上げる。
ごめんな、なんて告げられなくても、手を取らず、頭に手を置いた時点でもう、わかってしまっていたのだから。
やはり涙が、一粒頬を伝い、ーー伝ったことを意識すると、一気に涙が溢れてきた。
ぼろぼろぼろぼろ。
「なんで…」
本当は聞かなくてもわかってる。
「それはーー俺が教師で、君が生徒だからで」
本当はただ、単純なことだ。
「卒業した!私の名前呼んだの、先生じゃん!」
わかってる。
「ーーそれは…」

わかってるよ、先生。

ただ、別に私を好きじゃないだけだよね。

なのに、こんな先生を困らせる質問をして、答えを聞いたら聞いたで傷ついて泣いてしまう。

ーーほんとにどうしようもないなあ私。

涙がいくつも溢れてくる。止まらない。顔もだいぶぐちゃぐちゃだろう。
「ーーだから、私の気持ちを先生だからって否定しないでよ」
逃げないで向き合って。
先生だけは私の気持ちを否定しないで。
先生に否定されたらもう、誰がこれを恋と認めてくれるの。
「…ねえ先生」
ずっと同じ事しか考えられない。
なんで。
どうして。
先生は私を好きになってくれないの。
こんなにあなたが好きなのに。

「……先生…」

もう地面しか見えない。
水滴はまっすぐ落ちていく。
「ーーごめんな。それでもお前の気持ちには応えることはできない」
先生の言葉の一つ一つは鉛のようにずっしりと心に溜まっていく。
「それはっーー」
もうわかったから、と続けようとした時、先生がすっとしゃがみ込んだ。
え、と声が出る。
先生の手が、頬に当てられ、ぐっと涙が拭われる。
「…あのな、今からすごい勝手なことを言う。呆れてもいい。怒ってもいい。それは俺の傲慢だから」
私と目を合わせ、囁くように告げると、目を伏せて話し始めた。
「…君の1回目の告白は、正直言って、いつものことだったんだ。まあ、年頃の女子には恋なのか憧れなのか、わからなくなったりすることも多いし、君もそれだろう、と」
最初から好きだったのかと言われると、わからない。先生の言うとおり憧れだったのかもしれない。
「だから、次の日また告白された時、驚いた。それで、やっぱり君の気持ちは恋じゃなかったんだなって思った」
次の日告白できたのはなんでだったんだろう。あまりにスムーズにふられすぎて、ふられたことをわかってなかったのかもしれない。
「………でも、いつからか、どんなに疲れてようとイラついてようと、君の一生懸命の告白を受けると、心があったかくなるようになった。…勝手だな。それでも、…君に告白されて、俺は嬉しかった。嬉しいと思うようになった」
伏せていた目をあげ、先生はしっかりと私と目を合わせ、目の奥を覗き込むように、ふっと囁くように、でもはっきりと告げた。

「俺を好きでいてくれて、ありがとう」

あ。
ほろほろほろほろ。
涙が止まらない。
目が溶けてしまっているのではと思うほどに。
急な感情のジェットコースターで最早痛いくらいだ。
いろんな感情が蠢きあって、どうすればいいかわからない。
ただ。
わかることもある。
胸を張って言えることがある。

先生。

私はあなたに告白したことを後悔する日はこれからさき、一生ない。

一生ないのよ先生。

やっぱり私はあなたを好きになってよかった。

「…先生。私、諦めません」
涙を拭って、先生の目を見つめる。
「また、大学卒業したら告白しにきます。だから、四年間私がいなくて寂しくなって、ふったことを後悔すればいいんです」
またすぐに涙が溢れてくる。一粒、先生の頬に落ちて、すうと流れた。
「そしたら、また好きって言ってあげます」
そう言って、にっと笑う。
「…そうか」
先生はそう言って安心するように微笑んだ。
「…あと、先生。人の顔に勝手に触るのセクハラですからね」
「えっ、あっ、そうか、すみません」
少し焦った先生に少し吹き出してしまう。
先生も少し笑って、それから静寂が訪れる。
立ち上がった先生の目を見て
「…先生さよなら」
「…うん。またな」
そしたらもう振り返らずに屋上を出る。
カンカンと音が響く階段を降りて、外に出たら、青空がさっきより澄んで見える。
周りの騒めきもだいぶ静かになってきた。
さっきまでいた屋上を見上げる。

もしかしたら。
この恋が実る日は来ないかもしれないけど、
先生が私を好きになることはないかもしれないけど、

諦めたくないよ。

ねえ、先生。
浮気しないでね。
私、絶対また会いに来るから。
きっとあなたに会いにいくから。

そしたらそのときは、33回目の告白を、どうかあなたに。


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