書籍紹介『注文に時間がかかるカフェ たとえば「あ行」が苦手な君に』
『注文に時間がかかるカフェ たとえば「あ行」が苦手な君に(大平 一枝)』という本の紹介というか感想みたいなものです。
Xで流れてきたSTさんのポストからこの本を知りました。吃音の本というのはわかっていましたが、タイトルから「暗闇の世界を知るダイアログ・イン・ザ・ダークや、二足歩行者が少数派の世界を体験できるバリアフルレストランのような体験をするカフェの話なのかな」「もしくは、時間に追われる現代人に対すして、時間がかかることを前提にしたアンチテーゼみたいな内容なのかも」とふわっと想像していました。
僕は支援学校で働いています。吃音の子も場面緘黙の子も当然います。ゆっくりゆったり待つことや、絵カードや筆談、音声機器やそれらのアプリなど他の方法を探すことは僕らにとって当たり前のこと。「ゆっくり話してごらん」「落ち着いて」など話し方のアドバイスをしないなんてことも頭に入っています。
吃音とは、話す時に最初の一音に詰まってしまうなど、言葉が滑らかに出てこない発達言語障がいの1つです。 主な症状には、音や語の一部を繰り返してしまう「連発(繰り返し)」、語の一部が伸びてしまう「伸発(引き伸ばし)」、言葉を発するときに詰まってしまう状態「難発(ブロック)」の3つがあります。
(画像はLITALICO発達ナビより)
(画像はNHK健康chより)
(画像は時事メディカルより)
でも、そんなことを知っていたり、吃音の子たちと関わったことがあるから吃音のことを知っていると思っていたのは、ただの思い込みだったことを思い知らされます。
序章で筆者の大平さんが、吃音当事者、そして注文に時間のかかるカフェ(注カフェ)の発起人でもある奥村安莉沙さんと打ち合わせする場面が描かれます。
本を読み進めると会話をしている大平さんと奥村さんの場面が浮かんできます。何気ない日常のワンシーン。
でも、奥村さんは苦手な音を避け、瞬時に言い換える作業をしながら会話されている。
そんな吃音の当事者がいるんだ。
自分は自分が関わってきた支援学校にいた吃音の子たちしか知らなかったのだと気づかされます。
吃音は、全国に120万人いて、100人にひとりの割合なのだそう。本の中では田中さんに出会うくらいの確率だと説明されていました。頭の中に今まで出会ってきた田中さんが何人も浮かんできます…が、同じように浮かんでくる吃音の方は田中さんの数に到底つりあいません。
出会ってきた人たちの中には、そうやって言い換えをしている吃音の方もきっといたはずなのです。
全然違うのですが、高校生の頃「あーそうかも」「あーうん、それで」のように返答に考える際に「あー」と言ってしまう癖を揶揄われ、喋りづらさを感じ、「あー」と言わないように練習したときのことを思い出します。そんなのは比べるまでもないことなのだろうけれど、思春期の自分にとっての苦い思い出です。
タイトルにもある注文に時間のかかるカフェとは、特定の場所にあるお店ではありません。
(画像は注文に時間のかかるカフェより)
どこかに決まった店舗があるわけではなく、大学、施設、商店街の一角、個人経営のカフェやイベント会場。どこへでも出張し、一日限定ですのでカフェを開店します。
注カフェ側から開催場所を探すのでもなく、『吃音を持つ若者には接客という経験を通して自信を、来場者には交流を通して吃音についての理解を、』という注カフェの目的に賛同した個人や団体からの依頼によって、カフェごとにプロジェクトが立ち上がります。だから注カフェは主催者ではなく、NPOや会社でもありません。
主催者は会場を押さえ、ドリンクなどの実費、会場費、奥村さんの人件費・交通費・宿泊費を負担します。
原則として提供されるドリンク、フードは無料です。おつりのやり取りをなくすためでもあります。また衛生面や各種申請に配慮したり、無用なクレームを避けるためにも、ドリンクはペットボトルや缶にするなど簡易なものにされています。
利益を上げるためでなく、吃音当事者がゆっくり接客をすることが目的なので、お客さんは予約制で1時間10名が目安、開催地の告知もギリギリです。
スタッフは開催地ごとにX(旧Twitter)、Instagram、公式ホームページで募集され、オンライン面接で標準4名が選考されます。
最初はクエッションマークが浮かびますが、考えれば注カフェの輪を広げていくことや、参加する吃音当事者の若者に寄り添うことを重視した形なのだと気づきます。
本を読み進め、吃音当事者の若者たちは、注カフェに参加するまで同じ症状の友だちと出会うことは少ないのだということを知ります。
それは自分のこと共有する相手が限られているということ。
盲学校時代にかかわってきた弱視の子たちの姿が重なります。地域の学校から盲学校へルーペや単眼鏡といった弱視レンズの使い方を練習しに来るのに、小学校へ戻ったら友だちの前で恥ずかしいから使わず、見えていないけれど見えているフリをして黙って席に座っている…。
吃音があること、見えにくさがあること、それらが少数派で普通ではなく、なんだかよくわからないものという価値観が世の中全体にあるから…そうなってしまうのでしょうか。
多様性という言葉をそこかしこで目にするようになりましたが、今の世の中でみんなが本当に多様性を受け入れられているのでしょうか。
10年以上前の研修で聞いた話を思い出します。
「アメリカの学校を見学して驚いたのは、障がいが当たり前のこととしてみんなに受け入れられていることでした。宿題のプリントを先生が配ったときに、LDの子が『俺LDやからみんなよりプリントの枚数少ないはずやん』と言うと、周りの子たちも『ほんまや、LDやねんから減らさなあかんやん』と口を揃えて言い、先生も『そうやった、君はLDだったね』と言ってプリントを回収する。そんな場面が当たり前のようにあったんですよ」少し記憶が曖昧ですが、そんな内容です。
そんな風に違いを当たり前のものとしてみなが受け入れる土壌なしに多様性のある社会とかダイバーシティとかお題目のように唱えるだけでは何も変わらないのではないでしょうか。
本の中には注カフェを通して成長する何人もの吃音当事者の方の姿が描かれ、それが胸に響きます。
屋上ライブで歌った心杏さん、スターバックスで吃音者のファーストペンギンになった渡邉さん、全校生徒に向けてカミングアウトし、吃音研究に打ち込み、その研究プレゼンで推薦入試に合格した中澤さん、注カフェ参加者が変わっていくストーリーに心を打たれます。
僕自身が関わってきた盲学校や知的障がいの支援学校へやってくる子たち。地域の小中学校から自信を失って堅い殻にこもって、受けてきた深い傷を隠して、あるいは中途失明で人生を見失って。
その子たちが大人や周りの友だちとの関わりの中で、あるいはその子たちができるようになる配慮や工夫を受けて、自分を発揮し、「できた」体験を通して変わっていった姿がそこに重なるからかもしれません。
注カフェのようにそれぞれが自分を発揮できる場所があることってとても大事なんだなと再確認します。
そして本の中では際立つのが、日々の注カフェの業務で精一杯のはずなのに、いくらでも時間を割いて吃音当事者の子たちに寄り添い支えようとする奥村さんの姿です。
今にもポキリと折れてしまいそうなその姿に、隣にいないはずの僕ですら「今はもう一旦休憩しましょう。これ以上はダメですよ。」と言ってしまいそうになってしまいます。
スタッフからの悩み相談やアンケートに真摯に向き合い、例えばマスクに配慮事項を書くことや、休憩室を設置するなど細かな改善を重ねられている。
四章 注カフェ香川同行記にはそんな奥村さんの献身的な姿、見ていて胸がキュとなる姿が描かれている。
なにが彼女をそんなに突き動かすのか。
彼女の歩んできた道のり、小2で「喋り方がうつるかもしれないから、奥村と話さない方がいいってお母さんに言われた」と言われ、周りから避けられる経験、ずっと喉が痛かった中学時代、自分だけ入れない大縄跳びのようにタイミングがつかめない高校生活、どうやったら死ねるかをかんがえていたときの小説『いのちの初夜』との出会い、吃音を明かして気兼ねなく仲間と付き合えた大学時代、200社落ちた就活、就職2年目で声を出せなかったバイク事故、オーストラリアへの語学留学、そこでのパートナー、吃音治療のセラピー、そして念願のカフェで働く…それらはこの本の中で語られています。
うちの娘の机に置かれている絵本がある。僕が娘に贈った『にげてさがして』というヨシタケシンスケさんの絵本。
奥村さんもうちの娘の絵本とよく似た詩に出会っていました。
うちの子たちになにかがあったときに、僕と妻は子どもたちが逃げ込める場所でありたいと思います。
そして、僕の働く支援学校が、僕が関わる子どもたちにとっての南の島でありたいと思います。
奥村さんの語る言葉や姿勢がこんなにも響くのは、安心できる居場所、そして自分らしさを発揮できる場所である、南の島を開拓している同志だからかもしれません。
なんて自分のことをよく言い過ぎてしまいましたが笑。
吃音を抱える若者たちにとっての南の島である、注文に時間のかかるカフェについての本読んでみませんか。南の島で自分らしさを発揮する彼なの姿は心に響きます。
そして、誰かにとっての居場所、南の島となり、南の島を開拓していく、広げていく…そしていつしか社会そのものが南の島になっていく。
僕自身も誰かにとっての南の島でありたい。
そんなことを考えた本でした。
注文に時間のかかるカフェのホームページもぜひ覗いて見てください。X(旧Twitter)のアカウントもあり、こちらに予約フォームが掲載されるそうです。奥村安莉沙さんのアカウントもあります。
注カフェを支えるサポーターのクラウドファンディングはこちらから
本の最後に紹介されていた「号令に時間のかかる教室」のホームページもあり、もうすでに第1回が行われています。
表紙の画像はAmazon.co.jpより引用した本の表紙です。