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書籍紹介『いまのあなたで大丈夫! 全盲ママが伝える繋がる子育ての魅力』

『いまのあなたで大丈夫!全盲ママが伝える繋がる子育ての魅力(西田 梓)』という本の紹介です。

この本は全盲ママである(夫婦共に全盲)筆者のこれまでの歩みと子育て経験の記録です。

僕自身は盲学校で勤務していた経験があるので、見えない人がいろいろなことをできるのを知っています。職場には全盲の方も弱視の方もいた。スポーツも、子育ても、料理もやり方次第でできるし、丸々の鯛1匹を捌いて刺身にする人や手引きをして一緒に歩いている僕を「もっと早く!」と急かして案内する人に出会ってきた経験があるので、筆者がいろいろなことができることには驚きはしません。

でも筆者の出会ってきた、「見えている人が視覚障がいに感じる壁」は、進路開拓でいろいろな福祉事業所と接してきた経験を思い起こさせます。

盲学校卒業先の進路や実習先として、いろいろな福祉事業所にアポを取っては、「うちでは視覚障がいは…」と断られることが何度もありました(でも、大抵実習を受け入れてもらった後には、「見えないから何もできないと思っていたんですけど、こんなにできるものなんですね」と言われるのだけれども)。筆者の最初の保育園での「見えない=できない」と思われ、認められなかった経験とはすこにニュアンスは違うかもしれないが、そんな過去を思い出した。

この本で印象に残っているのは、まえがきとあとがきの部分です。少し引用します。

まえがき

 私と夫には、全盲という視覚障害があります。お互いに実家は遠く、身近に頼れる身内もいません。
「誰かの力を借りるなんて恥ずかしい。周りに迷惑をかけてしまう」
「なんでも一人でやれてこそ一人前の親」
 こんなふうに考えていた私でしたが、娘の子育てを通じてたくさんの人たちと出会い、その中で気づきました。子供にたくさんの愛情を注ぐことと、一人きりで頑張ることは違うのだと。そして、誰かに依存するのと、力を貸してもらうのは全く別だということも。それから気持ちが楽になっていったのです。
あとがき
「梓さんにとって障害は、一つの個性なんですか?」
時折、こんなことを聞かれます。そのたびに、私ははっきりとお伝えしています。
「障害は私の個性ではありません」と。

私は、"絶対にできない"部分を『障害と捉えています。厳しい言い方かもしれませんが、『後世』と言う聞こえのいい言葉のすり替えは、"絶対にできない部分"からの逃避にほかなりません。
「個性だからできなくてもしかたないよね」
 こんなふうに思われては困るのです。障害を『個性』と受け止められてしまえば、努力の入り込む余地が完全になくなってしまうからです。
 私は見えなくてもどうすればできるのかを考えて生きてきました。それが私にとっての障害との付き合い方です。障害によって生じた問題を「どのように工夫していくか」。そこにこそ、真の『個性』があります。
 もちろん、私一人だけの力だけで全てうまくやって来られたわけではありません。困ったとき、たくさんの仲間が「どうすればできるか」を一緒に考えて、一人では思いつかなかった方法で知恵を絞ってくれました。問題を解決するのに、障害の有無は一切関係ありません。

この内容は、「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎さんの言葉を連想させます。

依存と言っても、どっぷり相手に甘えるということではありません。何を頼り、自分でするための工夫をどうするのかを考えることや相手との信頼関係がその根底にあります。

そういう意味では、ヒトは誰しもが、誰かに依存しています。根っこの部分を押さえられていれば、一人でしなくてもいい、甘えたって、頼ったって、依存したっていい、そう思います。

もちろん一人で全てやってきた自負のある方もさらっしゃると思いますが、突き詰めていくと本当に自分一人だけでできることなんてほとんどなくて、その度合いの違いがあるだけなのかもしれません。

そうは言いながらも、自分ができるための工夫を重ねていく筆者の姿に、盲学校時代に見えない・見えにくい子どもたちに繰り返し伝えた、「見えないからできないではなくて、見えないからどうすればできるかのやり方を考えよう。そのためのやり方は伝えるから、一緒に練習していこう」という自分の言葉は間違いではなかったのだと少し安心します(もちろん子どもたちはそれぞれで、ゴールもそれぞれちがうのですけれど)。

そして障がいは個性なのかという話。

筆者は障がいは個性ではないと語ります。絶対にどうすることもできない部分だからです(その意味で、身長や体型や性別や頭髪の薄さなども個性ではないのかもしれません。もちろんそれを個性と思う人はいるでしょうが)。

障がいに限らず、性格をどこまで個性とするのかにはいろいろな意見があるでしょうし、それは周りに合わせることを優先するか、自分の思いを優先するかの社会のありようによって変わってくるのだろうとも思います。

でも僕が思うのは、その絶対にどうすることができない部分も含めた現実に対して「どういう態度をとるのか」の積み重ねが個性になるのではないかということです。

障がいにはそれぞれの特性、傾向が確かにあります。ASD、自閉スペクトラム症は細かいことが気になったり、言葉の裏がわからないかもしれないし、ADHDは忘れっぽかったり、待ち合わせに遅れがちかもしれない。でもそんな特性に対して、どう向き合って、どう工夫するのかが、その人を形作っていく、個性になっていくのかな。

この本には、そんな筆者の個性がたくさんあふれていました。


筆者の西田梓さんは、TwitternoteYouTubeなどで視覚障がいやご自身の生活についての情報を日々発信されています。興味のある方は覗かれてみてはいかがでしょうか。



表紙の画像は、Amazon.co.jpより引用しました。