見出し画像

学校の宿題を廃止したい理由

学校の宿題は廃止した方が良いと思っている。
その理由は3点ある。
①家庭の教育力の差が如実に現れる
②教師の働き方改革につながる
③そもそも宿題は学力定着に繋がるのか

①家庭の教育力の差が如実に現れる
 宿題というのは基本的には家庭でしてくるものである。しかし、子どもたちが1日の半分以上を過ごしている家庭環境とは様々である。
 ある子どもは宿題ができる机が用意されており、保護者から「今日の宿題はなあに?」と関心を向けられ、宿題でわからないところは個別に指導してもらえるような環境である。
 またある子どもは、家の中がぐちゃぐちゃに散らかっており、宿題をできる机なんてあるわけもなく、保護者はスマホに夢中で子どもに関心も向けず、わからないところがあっても誰からも教えてもらえずわからない苦しみを家でも味わわないといけないような環境である。
この家庭の教育力(とても抽象的な言葉でありその意味は様々なものを含むが、あえて使わせてもらう)の差を学校が埋めるなんてことは到底できないものであり、にも関わらず、その差を感じさせるような宿題を課すというのは無責任にも思える。
 そもそも子どもが家でしてくる宿題を含めての学力形成というのもまた無責任に思える。宿題というのは学力形成にどうしても必要な課題であるのならば、それは学校の授業の中ですべきだし、授業時間が足りないので、その分を宿題にしているというのであるのならば、それは学校側の怠慢と言われてもおかしくない。
 「家庭学習の習慣をつけさせるため」という理由であるのならば、それは学校側のエゴにも思える。教育の第一義的責任を負うのは保護者である。これは教育基本法第十条にも書かれている。つまり、宿題は家庭での教育について口を出すようなものである。家庭学習が必要だと考える家庭では学習塾やら通信教育をするだろうし、学校以外の時間は楽しく遊ぶべきとする家庭では子どもを自由に遊ばせるだろう。サッカーをさせたい家庭もあれば、ピアノをさせたい家庭もある。それはそれぞれの家庭の価値観であり、誰かがその時間に介入するべきではない。
 学校は学校内の教育活動については責任を負うべきであるが、家庭の教育内容にまで責任を負うのは職権濫用なのである。

②教師の働き方改革につながる
 学校の先生の働き方は過酷である。始業前から子どもたちは登校し終業の約1時間前まで子どもたちは学校いることもあり、残りの1時間は会議やら研修が詰め込まれている。子どもたちが学校にいる間は、まさしく息のつく暇もないくらいに忙しい。先日、NHKの番組で小学校の先生の1日の休憩時間の平均が1分というデータも出ていた。授業の合間の10分の休憩時間は子どもたちの休憩ではあるが、教師は休んでいられない。なぜならば、「宿題を点検しないといけないから」である。宿題は毎日欠かすことなく出される。それを毎日点検して、その日のうちに返さなければ宿題を出すことはできない。本来は休憩時間にも教師は子どもたちと関わり子どもとの信頼関係を築いて欲しいと思うし、授業準備だってして欲しい。しかし実際問題、宿題の点検で授業の合間の休憩時間は無くなってしまう。
 小学校には宿題がない日というのがたまにある。そんな日の1日の流れというのは、非常にゆったりとしている。子どもたちともたくさん関われるし、何より気持ちに余裕がある。気持ちに余裕のない先生からは良い教育は生まれにくいと思う。
③そもそも宿題は学力定着に繋がるのか
 身も蓋もない問題提起である。しかし、宿題を続けている明確な理由は「宿題が学力形成に寄与する」というエビデンスがあるからではなくて、「学校の先生たちも子ども時代に宿題をしてきたから」という程度のものであろう。そこに科学的な根拠があるとは思えない。
 確かに、学校で出された課題を、自宅で時間をかけて集中して取り組める学習環境が用意され、わからないところがあれば保護者に個別指導をしてもらえるような環境がすべての子どもに保証されているのならば、そこに効果はあるとは思う。しかし、それは①でも述べた通りである。
 学力定着に寄与する子もいればしない子もいるけど、すべての子どもに一律に同じ課題を出すというのは何だかバカらしくも思えてくる。だからと言って、子どもの家庭環境に合わせて宿題の質や量をオーダーメイドをするのも非現実的である。

 学校でつけたい力というのは学校の授業時間のみで完結するべきである。この主張はとても理にかなっているのではないだろうか。学校の宿題は廃止したいと思っている。