教育勅語(1890年)
1889年(明治22年)2月11日の大日本帝国憲法発布によって日本の国策の基本ができ、翌年の1890年(明治23年)10月30日に、教育の基本方針を示す明治天皇の勅語である「教育ニ関スル勅語(以下、教育勅語)」が発布されました。
教育勅語発布の背景としては、当時、国民道徳の方針が明確ではなく、徳育の混乱が起きていたことを憂いた天皇から「徳育の方向性をまとめるように」という命を受けて、首相の山縣有朋(やまがた ありとも)は文部大臣 芳川顕正(よしかわ あきまさ)に指示しました