変わるものだ、という話


変わるものだ、という話


私が英語に挫折感を覚えたのは中学二年生の頃だった。

風邪か何かで数日学校を休んだだけだったが、英語の授業の進みがとても早く、復帰してからは知らない文法や知らないページの内容に付いて行けず、何故かそれ以上勉強する気がなくなってしまったのだった。

以来、私の英語力は中二のレベルで停滞している。

しかし40を過ぎた現在、私はアルファベットまみれの論文の翻訳をライフワークとしているし、それを楽しいと感じている訳で、人生において何がどう変化するかは分からないものだ。

アルファベットといっても、私が嬉々として翻訳しているのは英語ではなく、チェコ語である。

翻訳する対象は、15世紀のチェコで起きたフス戦争についての論文や歴史書だ。
ひょんな事からフス戦争に興味を持ち、それについて詳しく調べようとしたら日本語の文献がほとんど無く、チェコ語の歴史書や論文の翻訳にたどり着いたという訳である。

私は英語に挫折したぐらいなので、語学に対する向学心などは皆無の人生を歩んでいた。
チェコ語の翻訳をしている現在においても、チェコ語を改めて勉強したりはしていない。文法も発音もさっぱり分からない状況だが、それでもなんとかなっている。

チェコ語の論文を初めて見た時は、これを翻訳するなんて無理!と思っていた。(100ページ越えの論文とかザラにある)
しかし他にフス戦争について調べようとしても日本語の資料は調べ尽くしたし、なにより、日本語の研究書には知りたい情報がほとんど書いて無かったのだ。
よって、チェコ語の資料を漁る以外に情報を得る手段がなくなってしまい、しぶしぶ翻訳に手を染めた、という流れとなる。(ちなみに英語でフス戦争について書いてある歴史書などもあるようだが、英語に対するトラウマにより、私はその存在から目を逸らしている)

やり方としては、対象となる論文をまずノートに書き写し、それに訳文を書き込む方法をとっている。
スマホの翻訳アプリを使いながら論文や歴史書を一語ずつ翻訳し、なんとなく意味が通るように意訳しているので、誤訳もあるかもしれない。

しかし翻訳が目的なのではなく、あくまでフス戦争の情報収集が目的なので、誤訳の疑いや意味不明な箇所があれば、同じような事象について書いてある別の論文を探し出して翻訳してみるのだ。
つまり同じ事象についての複数の論文を翻訳することにより、情報の整合性を高めようとしているという訳である。

論文や歴史書と言ってもたくさんの種類があり、フス戦争全般をざっくりと説明するものや、フス戦争の人物について詳しく書いたもの、古くは1800年代に書かれた歴史書などもある。
多くはweb上で閲覧できるが、重要図書などは大学の研究者にしか公開されていないものもあり、いつか私もそれを研究できる日が来るようになりたいなと思いながら、今は指を咥えて他の論文の翻訳にいそしむのである。

ともあれ、翻訳を進めて行くと、そこには知りたいと思っていた情報が溢れていた。
それは例えるなら、文脈の地層を掘り進み、太古の宝物を発掘するような感覚である。
これは楽しい!

例えばフス戦争の語源となったヤン・フスという人物がいて、その教えの賛同者はフス派と呼ばれるのだが、そのフス派がチェコ各地で暴れ回るため、反フス派の勢力と戦争になる。
驚くべきことに、その反フス派には、生前のヤン・フスと親交のあった人物が多く参加しているのだ。ヤン・フスと仲良しだったのならば、フス派のほうに参加するのが自然だと思うのだが、なぜ彼らは反フス派についたのか。

この疑問も、論文や歴史書を翻訳して行く中で解明できるのである。
はっきりとこうだ、と定義はできないが、複数の論文をすり合わせることにより、自分の中で仮説を立てることができるようになって来るのだ。

すなわち、生前のヤン・フスの教えと、その死後に信者達が取っている行動には大きな乖離があり、生前のヤン・フスを知る友人らは、その行動がヤン・フスの名を汚すものだと感じているが故に、反フス派となったのではないか、と。

実際、ヤン・フスは武力による革命とは真逆の、対話と演説による平和的な宗教改革をモットーとしていた。

しかし信者らは、ヤン・フスの思想と理想を実現させるためには既存の権力を倒さねばならない!と言って武器を手にしたのである。
これは、ヤン・フスの名が戦争に利用されたに等しいことで、ヤン・フスを古くから知る者はこれを許せないだろうということが想像できるものである。

これ以上書くと新たな論文となってしまいそうなので、今回は止めておく。

最近は翻訳で飽き足らず、別のツールを利用してフス戦争について調べることもしばしばである。
その一つが前世占いといったオカルト・スピリチュアル的なもので、幸いなことに私は前世でフス戦争の時代に生きていたことがあるらしく、霊視や占い、ヒプノセラピーなどによって、歴史書に書いてあることを当事者の目線で見せてもらうことが出来るのであった。

一気に胡散臭くなった気もするが、私にとってはチェコ語の翻訳もヒプノセラピーも同じようなものなのだ。
フス戦争についての情報が得られるのならば、手段は何だっていい。
何なら、日本人で、フス戦争時代の前世を持ち、その記憶がある人と会って話すのが一番の望みである。

いないかね、そんな人。


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