自己対話をする、の話


自己対話をする、の話



私は幼い頃から絵を描くのが得意でした。今回は、私が絵を描く事の意義について、自身のインナーチャイルドと対話してみたことを記事にしてみました。



以下、自己対話の様子です。
インタビュアーは大人の私。答えるのはインナーチャイルドだったり、そうでなかったり。
ではどうぞ。



なぜ絵を描くの?

人から褒められたいから。すごいって言われたい。

なぜ人から褒められたいの?すごいって言われたいの?

小さい頃、絵を描くとみんなから褒められたし、すごいって言われたから。またそうなりたい。

なぜ、そうなりたいの?

何もしないときの僕(私は普段の一人称は僕と言っています)は、誰からも相手にしてもらえない気がする。絵を描くと、みんなに注目してもらえる。

注目を浴びるのが好きなの?

うん、注目を浴びたい。でも、大人になってからは、僕より絵の上手い人がたくさんいて、僕が絵を描いても注目してもらえなくなった。
絵を描く他に何か(注目されるための)特技はないかな、と思ってたら、手を怪我した。

手を怪我したらどうなった?

絵は描けなくなったけど、みんなに優しくしてもらえた。

それで満足した?

ううん。お母さんだけ、優しくしてくれなかった。

どうして?

心配させて親不孝だって。

でも、お母さんは心配してくれているんでしょう?それは優しさだと思わない?

今は思う。でもそのときは悲しかった。

その時と今と、何が変わったからお母さんの優しさを感じ取れるようになったと思う?

手を怪我してお母さんに冷たくされて悲しくて、それの原因を自分のせいにしたくなくて、前世占いに行った。
そしたら前世のことをもっと知りたくなって、調べていたら楽しくなって、悲しい気持ちがどっかへ行った。
悲しくなくなったら、お母さんの気持ちが分かるようになって仲直りできた。

今は、みんなに褒められたいとか、注目を浴びたいとか思うことはある?

たまにある。

それはどんなとき?

前世のことを調べて発見したことを、みんなに伝えたいと思う時。褒められたい、っていうよりは、面白いものをみんなにも教えたいっていう気持ちになる。

せっかく調べたものが、思うような評価を得られなかったらどう思う?それでも調べつづけたいと思う?

もちろん、調べ続けるよ。誰にも評価されなくても、自分を楽しませることができるものだから。

絵を描いていたときと今と、どっちが楽しい?

絶対に今の方が楽しい。絵を描くのも楽しいけど、せっかく描いた絵が誰にも評価されないと悲しくなる。
でも前世を調べる事は、皆に無視されたとしても平気。
褒められなくても、評価されなくても続けたいって思うし、挫折感もない。

皆から相手にされないかもしれない、って不安になっていた気持ちは、まだある?

もうない。自分の中に、一本の軸が通った感じがする。もうブレないっていう安心感がある。

家族や友達に理解して欲しいという気持ちはある?

あんまりない。これに関しては、今のところは誰からの評価もいらないかな。でも、いつか僕の調べた事を世界に発信して、誰かの役に立つものにしたいって気持ちはある。


自己対話はこんな感じでした。



自己対話を終えたら、幼稚園のときの記憶を思い出しました。

それは初めての登園日、生まれて初めて、お母さんと離れ離れになって他人の集団に放り込まれた日です。

きっと泣くんだろうな、と自覚しながら、泣くまい、泣くまい、と我慢しながら過ごしていたのを覚えています。
しかしとうとう我慢できなくなり、お昼過ぎ頃にわんわん泣いてしまいました。
それを見た優しい子が、僕の手を引いて幼稚園の庭に連れて行ってくれました。午前中に雨が降ったのでしょうか、砂場には水たまりができていて、先生と何人かの子供が泥団子を作って遊んでいました。

◯◯くんも一緒に泥団子つくろう、と、先生が誘ってくれました。
言われるがまま泥団子を作っているうちに、悲しい気持ちがどっかへ行ってしまい、数分後にはケラケラ笑いながら、先生との泥団子遊びに夢中になっていました。



前世探究は、泥団子と同じ効果があったということですね。

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