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前世探究記

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研究太郎(Q太郎)が自身の前世を探究し、いろいろ解明していく様子をまとめました。
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記事一覧

占いに行ってきましたよー(゜∀゜)

占いに行ってきましたよー(゜∀゜)

2024年10月27日
占い師のR先生のところへ行ってきました。

チェコ旅行の報告と、例の写真の鑑定をお願いしてきました。

先生いわく、
「Q太郎さんのnote見ましたよー!すごい読みやすいですねー!」

とのこと!
さらにいわく、

「さきほどチラッと手相が見えましたが、改めてちゃんと見せてもらっても良いですか?」

といって、私の手相を見てくれました。

「旅から帰ってきて、手相が変わりま

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研究の進捗

あーーーーー!

フス戦争の研究をしすぎて、その成果をまとめたノートのどこに何を書いたか分からなくなってきました!

今は、1421年のラビー城包囲戦についての調べ物をしていました。

その戦いは、ヤン・ジシュカが右目を負傷した戦いでもありました。

もともと隻眼だったヤン・ジシュカは、この戦いにより完全に両目の視力を失いました。

で、このジシュカの右目を撃った人物の名前を知りたくて調べた記憶が

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谷村新司「英雄」

私は親の世代の影響で、昭和の歌謡曲が好きです。

谷村新司さんも好きなアーティストの一人でして、子供の頃からテープに録音した(母がラジオの音源を録音していた)ものをよく聞いていました。

谷村新司さんといえば、「昴」や「サライ」などの曲が有名ですね。
しかし今回の記事で書きたいのは、「英雄」という、少しマニアックな曲になります。

「英雄」の発売は1988年とのこと。私8さい。
ラジオで聞いたのは

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アレシュ、映る。の話

アレシュ、映る。の話

チェコ旅行は夢のようなひとときでした。

それを人に話すのもまた楽しいことで、と言っても、聞いてくれる人はごく限られており。

わたしが週末によく行く整体院のお姉さんや、
わたしが不定期によく行くアロママッサージのお姉さんのAさんや、
わたしが不定期に頻繁に行くアロママッサージのお姉さんのBさんや、
わたしがたまに稀に行くアロママッサージのお姉さんのCさんなど。

どうやら私はマッサージに行くのが

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馬鹿だと思われるような話

馬鹿だと思われるような話

私は変わり者でしょう。

前世を探究するために、はるばるチェコを訪れるなんて。

でも、無謀な旅はしなかったつもりです。
仮説を立て、その根拠を入念に調べ上げ、検証のためのプランAとプランBを用意し、万全の態勢で臨んだ旅行でした。

仮説のための前提:
私の前世は15世紀のチェコに生きていて、幼少期の数年を「リーズンブルク城」で過ごした。
名をアレシュという。
アレシュはほどなくして養子に出された

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私もやってみたざます、の話

私もやってみたざます、の話

WAKUさんの真似をして、私もやってみました。

用意するもの

Copilotというアプリと、質問したい内容

質問した内容

◆noteを書いている研究太郎さんについて教えて下さい

ほっほーう。
こりゃあ嬉しい!

なるほど、私ってこうなのね。これまでの自分の「航路」が見えたようで、ちょっと誇らしくなりますね。

自己肯定感が上がりますな(゜∀゜)

次の質問

◆研究太郎さんの魅力を教えて

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続・チェコからのメッセージ〜アレシュからの感想〜

続・チェコからのメッセージ〜アレシュからの感想〜

チェコ語で書かれた「15世紀の裁判記録」を自動翻訳機にかけたら、設定ミスによりシッチャカメッチャカな日本語になった、という出来事がありました。

そのシッチャカメッチャカな翻訳の中に、たまにちゃんとした日本語の文章も見え隠れしておりまして、それがどうやら、過去の人々から現代の研究太郎へ向けてのメッセージとして読み取れるのではないか、という話の、続きとなります。

果たして、チェコ旅行から帰ってきて

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前世探求を通して何をしたいのか、の話

私が自分の前世について興味を持ったのは2019年のことです。
2017年に大怪我をし、その後遺症にずっと悩まされていて、その原因というか、そうなった意味を知りたいと思ってスピリチュアル方面のアプローチをしたのが、前世探求の入口でした。

2024年の現在も、後遺症は相変わらず続いております。
後遺症は右手のしびれ、握力低下、そしてときおり襲う激しい痛みです。

今はよっぽど良くなりましたが、重い物

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チェコ旅行記・後日談、の話

チェコ旅行記・後日談、の話

帰国後、実家の近くの駅に降り立ったのは18時頃でした。

雨上がりだったようで、夕日に照らされた空には虹がかかっていました。

駅まで母が車で迎えに来てくれました。ありがたや。

5日ぶりの再会でしたが、飛行機は無事か、台風の影響はないか、現地で犯罪に巻き込まれたりしていないか、財布を忘れてきたりしないか、美人局に遭ったりしていないか、食べ物は口に合ったか、通訳のお嬢さんに失礼なことをしなかったか

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羽田空港〜ヘルシンキまで

羽田空港〜ヘルシンキまで

死ぬかと思った!

ジェットコースターより怖いじゃん、離陸するとき!

うぎゃーって心の中で叫んでました(笑)

エコノミークラス、せまい!

窓の外、最初は東京の夜景が見えたけど、海上に出たら真っ暗。星空とかも見えないのね。

三人掛けの窓側の席にしたんだけど、翼の根本のところで、視界の半分は翼。

離陸のときはうぎゃーって思ったけど、高度が安定したらパニックはおさまった。

あと、気圧で右腕痛

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旅行記•最終日

旅行記•最終日

訪問の字を間違えていた。恥ずかしい(笑)

2024年8月13日から15日までの3日間を観光に費やし、16日は早朝にプラハを出発し、帰路に就く予定でした。

なので、実質的には8月15日が観光の最終日となります。

リーズンブルク城を始めとした、数々の名所を訪れた私は、すでに満足していました。

ヤンフスの部屋とカレル橋を見学し終えたあと、私はマルケータさんに提案します。

「観光はこれで満足です

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旅行記•ヤンフスに思いを馳せる

旅行記•ヤンフスに思いを馳せる

旅行3日目の続きです。

プラハ城の見学を終えたら、次はカレル橋と、べトレヘム礼拝堂の見学に向かいます。

べトレヘム礼拝堂というのは、ヤン•フスが説教師として勤務していた場所で、隣接した建物にヤンフスが生活していた部屋があります。

フス戦争を語る時、このヤン•フスを無視することはできません。

彼の本来の教えは「聖書の通りに生きる」ということでした。
なので、「汝の敵を許せ」という非暴力を説い

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旅行記•武器や鎧、衣装を見る

旅行記•武器や鎧、衣装を見る

プラハ城内「黄金の小道」。

城壁自体が居住区となり、さまざまな職人や市民が暮らし、居酒屋などもありました。

現在、そのいくつかは保存されており閲覧が可能です。
アクリル板で仕切られているため、調度品などに触れることはできません。
しかし例えば居酒屋などは、客室とキッチンが分けられており、キッチンには肉を捌くための刃物や分厚いまな板があり、床下には冷蔵庫代わりの小さな収納があったり、あとは演出な

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旅行記•塔を登る

旅行記•塔を登る

チェコ旅行3日目は、いよいよ「プラハ城」に行きました!

コースとしては、プラハ城、聖ヴィート大聖堂、カフカの家周辺、べトレヘム礼拝堂とヤンフスの部屋、カレル橋、新市街市庁舎、という順に周りました。
まずは画像をご覧ください。