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占いに行ってきましたよー(゜∀゜)
2024年10月27日
占い師のR先生のところへ行ってきました。
チェコ旅行の報告と、例の写真の鑑定をお願いしてきました。
先生いわく、
「Q太郎さんのnote見ましたよー!すごい読みやすいですねー!」
とのこと!
さらにいわく、
「さきほどチラッと手相が見えましたが、改めてちゃんと見せてもらっても良いですか?」
といって、私の手相を見てくれました。
「旅から帰ってきて、手相が変わりま
アレシュ、映る。の話
チェコ旅行は夢のようなひとときでした。
それを人に話すのもまた楽しいことで、と言っても、聞いてくれる人はごく限られており。
わたしが週末によく行く整体院のお姉さんや、
わたしが不定期によく行くアロママッサージのお姉さんのAさんや、
わたしが不定期に頻繁に行くアロママッサージのお姉さんのBさんや、
わたしがたまに稀に行くアロママッサージのお姉さんのCさんなど。
どうやら私はマッサージに行くのが
旅行記・随想録①「パニック」
今回の記事は、私が2024年8月12日から17日にかけて初めて海外旅行に行ったときの振り返り記録である。
出発の前日。
私は姿見の鏡台の前に立ち、明日の出発の装備を纏った自身の姿を見ていた。
背中にナップザック、右肩から袈裟懸けに肩掛けバッグ。
首からは100均で買ったパスポート入れを下げ、さらに盗難防止ストラップ付きのスマホも首から下げている。
そこに汗拭き用のタオルも引っ下げるので、首肩周
馬鹿だと思われるような話
私は変わり者でしょう。
前世を探究するために、はるばるチェコを訪れるなんて。
でも、無謀な旅はしなかったつもりです。
仮説を立て、その根拠を入念に調べ上げ、検証のためのプランAとプランBを用意し、万全の態勢で臨んだ旅行でした。
仮説のための前提:
私の前世は15世紀のチェコに生きていて、幼少期の数年を「リーズンブルク城」で過ごした。
名をアレシュという。
アレシュはほどなくして養子に出された
チェコ旅行記・後日談、の話
帰国後、実家の近くの駅に降り立ったのは18時頃でした。
雨上がりだったようで、夕日に照らされた空には虹がかかっていました。
駅まで母が車で迎えに来てくれました。ありがたや。
5日ぶりの再会でしたが、飛行機は無事か、台風の影響はないか、現地で犯罪に巻き込まれたりしていないか、財布を忘れてきたりしないか、美人局に遭ったりしていないか、食べ物は口に合ったか、通訳のお嬢さんに失礼なことをしなかったか
羽田空港〜ヘルシンキまで
死ぬかと思った!
ジェットコースターより怖いじゃん、離陸するとき!
うぎゃーって心の中で叫んでました(笑)
エコノミークラス、せまい!
窓の外、最初は東京の夜景が見えたけど、海上に出たら真っ暗。星空とかも見えないのね。
三人掛けの窓側の席にしたんだけど、翼の根本のところで、視界の半分は翼。
離陸のときはうぎゃーって思ったけど、高度が安定したらパニックはおさまった。
あと、気圧で右腕痛
チェコ旅行記・ヘルシンキ〜ヤロメルシ、リーズンブルクへ
こんにちは。
チェコに来ました。
ヘルシンキ空港から再びヒコーキに乗り、プラハ空港を目指します。
今回のフライトは2時間弱。
離陸の加速は思ったほど怖くありませんでしたが、着陸のときの衝撃がすごかったです。
プラハ空港に到着後、案内に沿って手続きを済ませ、出口へ向かいます。
出口が複数あったらどうしよう、とか不安になりましたが、ちゃんと出口に辿り着きました。
そして、通訳アシスタントのマル
チェコ旅行記•リーズンブルク宿泊〜ヴィシェフラド
チェコ旅行、弾丸のような移動を重ねておりますが、しみじみと感じたことがあります。
地図と現実は違う、と。
今回の旅の最大の目的地であった「リーズンブルク城址」は、地図上ではすぐ近くを川が流れておりました。
距離にして、せいぜい数十メートルぐらいと思っていたのですが、実際にはほぼ崖の上にリーズンブルク城はあり、確かに川は近くを流れておりますが、高度差があったのです。
川が流れているのはいわゆる
旅行記•ヴィシェフラド
今回のチェコ旅行は、通訳アシスタントさんを頼んで本当に正解でした!
通訳のマルケータさんは、現在観光ガイドとしての勉強も始めたとのこと。
私たちの他にもたくさんの観光客が居て、中にはツアーで参加した人たちがガイドさんの説明を聞いているシーンにも遭遇しました。
するとマルケータさんは、「私もいずれ、あのように皆さんに説明できるように頑張らないとですね。でも、難しそう!」と、ちょっと不安そうでした。
旅行記•武器や鎧、衣装を見る
プラハ城内「黄金の小道」。
城壁自体が居住区となり、さまざまな職人や市民が暮らし、居酒屋などもありました。
現在、そのいくつかは保存されており閲覧が可能です。
アクリル板で仕切られているため、調度品などに触れることはできません。
しかし例えば居酒屋などは、客室とキッチンが分けられており、キッチンには肉を捌くための刃物や分厚いまな板があり、床下には冷蔵庫代わりの小さな収納があったり、あとは演出な
旅行記•ヤンフスに思いを馳せる
旅行3日目の続きです。
プラハ城の見学を終えたら、次はカレル橋と、べトレヘム礼拝堂の見学に向かいます。
べトレヘム礼拝堂というのは、ヤン•フスが説教師として勤務していた場所で、隣接した建物にヤンフスが生活していた部屋があります。
フス戦争を語る時、このヤン•フスを無視することはできません。
彼の本来の教えは「聖書の通りに生きる」ということでした。
なので、「汝の敵を許せ」という非暴力を説い