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底が抜けた社会で希望をもって生きるには?

もうすでにあなたの中に希望が備わってるんだよね。
たとえ助けが必要なはずの人であっても互いに助け合えること。


どんなクソな世の中になろうと、生物としての人間に備わった力。
その力はどんなに社会が劣化していったとしても奪うことができない。

◆◆◆

ケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」があまりに衝撃だったので、最新作の「家族を想うとき」を映画館へ観に足を運んだ。
家族の幸せのために働いているはずが、逆に家族を壊していく様子が映し出されていく。

イギリスの地方都市に住む家族の物語。ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして仕事に追われる毎日。母のアビーは介護福祉士として遅くまで働きづめ。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも乏しくなっていくばかり。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。

思ったこと。
人を狂わせて壊して、犠牲の上に成り立つ経済や世界っていったいなんなんだろう?それで生きられてうれしい?喜べる?
自分の隣で人が壊れていく世界なんて耐えられないなあって。
「わたしはダニエル・ブレイク」以上にケン・ローチの怒りが込められているように思えた。

観終わった後しばらくして、こう問いかけている自分がいた。
底が抜けた・タガが外れた社会で、じゃあどうやって希望を失わずに生きていけるだろう?

◆◆◆

その問いに対するヒントは「わたしはダニエル・ブレイク」の中にすでにあった。

壊れてしまいそうな彼女をそっと支えたのは
助けが必要なはずのダニエルだった

それはたとえ助けが必要なはずの人であっても互いに助け合えること。
ケン・ローチ監督は怒りだけでなく、でも人間捨てたもんじゃないぜって姿も提示しているんだなと気づいた。

自身も心臓病を患い困っているダニエルは、シングルマザーのケイティを助ける。元大工の技術を活かして、ケイティの住まいの修繕補修をかって出る。ケイティもそんなダニエルに感謝し夕食をふるまう。

困っている人であっても別の困っている人の力になれる。
困ってる人であっても、決して弱い人ではない。
困ってる人であっても、決して力のない人ではない。

困ってる人だからこそ、別の困ってる人の苦しさや痛みを思いやれる。
僕はそうダニエルじいさんから学んだ。

◆◆◆

底が抜けた・タガが外れた社会になろうと、どんなクソな世の中になろうと、人間にはそれに屈しないだけのプライドがあり、そんな人と人は互いに力になれる。

もうすでにあなたの中に希望が備わってるんだよね。
どんなクソな世の中になろうと、生物としての人間に備わった力。
その力はどんなに社会が劣化していったとしても奪うことができない。


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