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【読切短編小説】アンドロイドの花嫁

 西暦二○九四年。

 この時代、発達したAIとネットワーク、そしてアンドロイド技術によって人類の生活はかつてないほどの変化を遂げていた。わたしたちの身の回りにはこの二十年ほどで、人間と見分けがつかないレベルの人型アンドロイドが広く普及し、人間と共に普通に生活している。

 しかし、この年、人類とアンドロイドの関係を大きく揺るがす大事件が起きたのだ。そしてその年は、わたしにとっても運命の年になった。この物語は、普通の女子高生だった、わたし、安藤まなの回想録である。

◆◆◆

 けんちゃんは、まるで少年漫画の主人公だ。

 けんちゃん――。

 本名、石丸拳とわたし安藤まなは、中学からずっと同じクラスだった。そして、同じ高校を受験し無事合格。高校でも一年と三年で同じクラスになれた。実は、わたしはけんちゃんのことが好きだ。その想いは伝えていない。そして、今日もけんちゃんの一挙手一投足から目が離せない。

「おーい。拳が自然石を素手で割るらしいぞ!」と男子たちが騒いでいる。

 石丸拳は学ランを脱いで、シャツ一枚になって、自然石らしきちょっと大きめの石と対峙している。シャツの下の細身で筋肉質の体型がわかる。わたしは、他の野次馬の後ろからさり気ない感じで、その姿を目で追う。ちょっと、そこの野次馬、じゃま。もっとしゃがんでよ。と思いながら、あくまでさり気なくその様子を見守る。

「はっ!」と石丸拳が勢いよく拳を振り下ろす。

 鈍い音がした。そしてしばらく経って「ぎゃぁあ」という叫び声が聞こえる。わたしは驚いてけんちゃんのところへ駆け寄る。

「けんちゃん! 大丈夫! 怪我してない?」とわたしは、ここぞとばかりにけんちゃんの手をやさしく握る。

「大丈夫だっ! 俺は不死身だからな」といって、手を振りほどかれてしまう。そして、少しやせ我慢したあと「痛ったああああ」とけんちゃんは叫んだ。

「保健室行こうか?」とわたしが言うと、

「大丈夫だよ! まなっ! 俺は不死身なんだぜ!」とやせ我慢した顔で笑いながら言った。

 えっ? ちょっと。かわいい。けんちゃんの笑顔かわいすぎる。ああ、家に持って帰りたい。とわたしはニヤけそうになる顔を押さえて「もぉ! すぐ無茶するんだから」と怒ってみせる。いや全然怒ってないけど。

 幸せすぎる高校生活の一ページだ。しかし、この幸せもあの女の登場で全て台無しになってしまった。

 安倍麻里亜――。

 そう、けんちゃんの幼馴染だとかいう、あの女が転校してきたことが全てを変えてしまったのだ。

◆◆◆

「今日は転校生を紹介する。夏休み前のこの時期だが、みんな仲良くするように」とアンドロイドの担任は言った。見た目はほぼ人間と変わらないが、先生たちはアンドロイドだ。この時代、学校で働いているのは、メンテナンスをするエンジニアを除けば、アンドロイドになっていた。重労働かつ大規模な管理を伴う業務には、人間の労働は不要になっていたのだ。

 黒髪ロングヘアーにメガネ姿のその女は、電子ボードに手をかざす。腕につけたバンドからデータが読み込まれ、電子ボードには、安倍麻里亜という文字がサッと表示される。その他、開示可能な個人情報が付随していくつか表示された。

 阿部麻里亜
 十七歳
 九月八日生まれ
 東京生まれ
 八歳のときにオーストラリアに移住

「阿部麻里亜です。海外に住んでいたのですが、病気の治療で日本に戻ってきました。体調が万全でないためご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうか宜しくお願いします」と言って麻里亜はお辞儀をした。

 かなりの美人で男子たちは色めき立っている。たしかに美人だ。でも、わたしだってそれなりにかわいい方だと思う。そんなに変わらないんじゃないかと思う。それに、そのメガネはなんなのよ。近視が根絶されたの何年前よ? 旧式のメガネデバイス? ダッサ! ないわー。などと分析しながら、けんちゃんの方に目をやると、いつになく真剣な目で転校生を見つめている。

「もしかして、まりっぺ? まりっぺだよね?」とけんちゃんが前のめりになって驚いた顔で言った。

「石丸くん……その呼び方はやめてよ! も、もうお互い高校生だし……」と麻里亜は顔を赤くしてうつむいた。

 わたしはすぐにふたりが幼馴染だとわかった。

 しかも、麻里亜は照れてはいるが驚いた様子はなく、この学校にけんちゃんが居ることを知っていたのだ。そして、次の瞬間、麻里亜は照れながらも、わたしの方へちらりと見るとてつもなく冷たい目線を送ってきたのだ。えっ? わたし、あなたのこと知らないんだけど? わたしナニカした?

 教室は、ふたりの関係に興味津々といった感じで、休み時間はふたりの関係を聞き出そうと人だかりができていた。

◆◆◆

 阿部麻里亜――。

 この女は危険だ。わたしの脳内コンピューターがそう分析していた。まず、この時期に転校というのがおかしい。病気といっても、この時代未知のウイルスでもない限り、ほとんどの病気は根絶されている。しかも、日本は別にオーストラリアに比べて特別な医療体制があるわけではない。強いていえば、アンドロイド開発においては先進国だが、医療は海外と比べて平均的な水準だ。

「石丸くん。ちょっといいかな? ふたりだけで話したいの」と麻里亜が言ったのが聞こえた。

 興味のないふりをしていたわたしが慌てて振り返ると、ふたりが教室から出ていくところだった。しかも、麻里亜はけんちゃんと手をつないでるではないか。わたしは、すこし取り乱して席を立つとふたりの跡をつけた。教室では、きゃーきゃーと囃し立てる様な声が聞こえる。

 ふたりは屋上に向かった。わたしはバレないようにこっそりとふたりのあとをつけた。屋上に出るとふたりはなにか話はじめた。わたしは、屋上のドアの陰に潜んでふたりの会話に耳をすませた。

「この街もすっかり変わったね」

「その……なんで、まりっぺは海外に引っ越したの? 俺に何も言わずに……」とけんちゃんが気まずそうに聞く。

「もう、まりっぺはやめてよ」

「ごめん、でも」

「あのね……わたし、もうすぐ死ぬんだ」と麻里亜は目に涙を浮かべて言った。

 陰で聞いてるわたしも、けんちゃんも突然の麻里亜の衝撃発言に固まって何もいえない。どういことだ。いきなりのシリアス展開にわたしは戸惑う。いや、騙されるな。相手は計算高い女だ。そう言ってけんちゃんの気を引きたいだけかもしれない。この時代に若くして死に至る病などほとんど根絶されているはずだ。

「あのさ、陰でコソコソしてないで出てきたらどうかしら? この泥棒猫!」と麻里亜は突然激しい口調で言った。明らかにこちらに気がついてる。

 わたしは、観念して両手をあげてふたりの前にちょっと気まずい表情で姿を現した。

 わたしがふたりに近づくと、間髪入れず麻里亜がわたしの頬を平手打ちにした。

「あんたに……あんたなんかに、人の気持ちなんか絶対わからないんだからっ!」と麻里亜は言い放って、ツカツカとひとりで教室に戻っていった。

 えっ? ええっ? ほぼ初対面の女子にビンタされて、わたしは膝から崩れ落ちる。

「まりっぺ! ねぇ! どうしたんだよっ! まりっぺーっ!」とけんちゃんがまりっぺの跡を追った。

 ほほう、けんちゃん。わたしは無視ですかぁ……そうか、そうですか……。でも、わたしたぶん被害者なんですけど? なんなの? この急展開は? しばらく、放心状態で佇んだあと、わたしはなんとか気を取り直し、教室に戻った。 教室ではすでに授業が始まっており、アンドロイドの教師にわたしは形式的な注意を受けて席についた。けんちゃんは、少し神妙な顔でうつむいている。麻里亜はこちらを見ようともせず、手元の教材デバイスを指でスクロールさせていた。

◆◆◆

 あの屋上ビンタ事件から、わたしたち三人の関係はギクシャクしていた。いつも元気で少年漫画の主人公みたいだったけんちゃんは、あの日以来人が変わったように大人しくしている。わたしは、気まずくてけんちゃんに話しかけられない。逆に麻里亜は平然と他の生徒たちと仲良くしているようだった。 安倍麻里亜は、高校生活を謳歌しているようだった。それに比べてわたしの高校生活は……。だいたいおまえは、病気じゃなかったのかよ。

 次の事件は、体力測定の日に起こった。五十メートル走で麻里亜が倒れたのだ。驚いたことに、保健室に運ばれたあとに救急ドローンが学校に着陸し、麻里亜は東京でも一番大きな大学病院へと搬送されていった。

 麻里亜の病気は嘘ではなかった。だとしたら、あの日、屋上で彼女が言ったもうすぐ死ぬという発言も本当だったのだろうか? なんなんだ。あの女は、わたしの日常を返してよ! あんたが、どんな不幸を背負ってるかしらないけど、わたしとけんちゃんを巻き込まないで! 体力測定の間、ずっとそんなことを考えていた。わたしの体力測定の結果は、極めて平凡なものだった。なんの特徴もない平凡なこのわたしの身に何が起きているのだ。

 その日、わたしは自宅に戻ると、ベッドに横になってから、何気なく空間テレビをつけた。部屋の明かりが暗くなり、部屋全体に立体映像が広がる。腕のデバイスをかざして「おまかせで、なんか番組選んで」とわたしはAIに命令した。デバイスに蓄積された情報を元に検索が始まった。

 いくつかの候補が空間に現れ、わたしはニュース番組に視線を送った。部屋の中央にニュースキャスターの全身像が投影される。

「本日、日本で初めてのFAB症候群の患者が都内の大学病院に運び込まれました」と女性型アンドロイドのキャスターは言った。

 FAB症候群――。

 初めて聞く病名? というか症候群は病気じゃないんだけ? 海外ではすでに社会問題になっているらしい。詳しいことがわかってないため症候群とされているが、死に至ることもあるそうだ。この時代に原因不明で死に至る病がまだあるんだと、わたしは驚いた。その概要は、十四年ほど前に世界で広まったものらしく、ある研究を根拠に人間の脳にある、特別な細胞が高額で売買されたそうだ。なんでも、その細胞をアンドロイドに組み込むと、まるで人間そのもののような高い精度が出るという噂が広まり、世界でもかなり多くの細胞の売買が行われたということだった。しかし、一年ほどでその細胞の採取に危険があることが判明し、現在では禁止されているということだった。FAB症候群とは、Fallen Angel Blessingのことで、日本語だと、【堕天使の祝福】という、なんだか中二病っぽい響きの言葉が元になっているらしい。

 大学病院か。まさか、麻里亜がこのニュースの症状ってことはないだろうとわたしは勝手に結論づけた。しかし、彼女はもうすぐ死ぬといっていた。もし、この病気なら海外から日本に戻ってきたことも説明がつく。アンドロイドと関係がある病気なら日本が最先端だからだ。しかし、わたしは麻里亜がそんな悲劇のヒロインであるという展開が面白くなかったので、その考えを頭からかき消した。

 次の番組は、東京に国際的テロリスト集団のメンバーが潜入した可能性があるというニュースだった。そのテロリスト集団は、反アンドロイド主義を掲げて国際的に活動する狂信的な組織で、日本への密入国が発覚したあとに、逃亡し現在行方がわからないということだった。キャスターの横に、犯人の立体映像が表示されてゆっくりと回転している。この人物を見かけたらすぐに警察に通報するようにとテロップが回転しながらスクロールしている。

 なんだか今日は物騒なニュースが多いなと思いながら、わたしは大好きな少年漫画が原作の3Dアニメのサムネイルに視線を送りチャンネルを変えた。部屋のなかを所狭しとアニメのキャラが元気に走り回り、大迫力の爆発炎上の中、主人公と敵が激しいバトルをはじめた。今日配信された最新話は、敵の手中に落ちたヒロインを主人公が助けだす話だった。なんともレトロな展開だがそこが良いのだ。このアニメの主人公は、けんちゃんにちょっと似ているのだ。わたしはニヤニヤしながらアニメをみて、そのまま眠りについた。

◆◆◆

 次の日学校に行くと、麻里亜はまだ病院らしく欠席していた。けんちゃんの方をちらりと見ると、神妙な顔でうつむいてる。どうしてこんなことになってしまったのだ。わたしの平凡だけど幸せだった高校生活は、完全にかき乱されてしまった。

 三限目が終わる頃にその事件は起きた。

 授業の真っ只中に、教室の扉が、昨日見たアニメのように吹き飛ばされたのだ。突然の非現実的な出来事に恐怖よりも現実感がない。

 破壊されたドアから、透明なシルエットが浮かび上がる。軍事用ステルス迷彩のマントのようなものを脱ぎ捨てると、厳つい外国人男性が姿を現した。その容姿には見覚えがあった。そうだ、昨日のテレビで見た国際テロリストだ。まさか、この学校にくるとは。いったいどうなってるのだ。なんでこんな急展開が続くのだ。もしかすると、あの女を追って来たのだろうか? そうだ、そうに違いない。FAB症候群はアンドロイドと関係が深い病気だ。麻里亜はやはりFAB症候群だったのだ。不幸な身の上だとは思うが、なんという疫病神だ。

 テロリストの男は、対アンドロイド用の軍事用強化スーツをまとっており、人ならざる力で、教壇に立つアンドロイド先生をレーザー式ナイフのようなもので串刺しにした。あっという間の出来事だった。アンドロイドの教師はバラバラに破壊され、茶色がかった液体が全身から飛び散る。テロリスが教壇に立つと、教師の腕を切り取って火をつけた。

 アンドロイド教師の腕はしばらく燃え続け、教室にゴムが焼ける匂いが充満する。そして、火が消えるとそこには、アンドロイドの機械のような骨格が残されていた。

「どうだ? 見た目は人間に似せているが、こいつらは人間じゃない? それはわかるな? 日本の学生さん」とテロリストは言った。正確には、聞き取れない外国語のあとに自動翻訳された音声が教室に響き渡った。そう言い放ったあとすぐに、テロリストは、腕のバンドデバイスを掲げて生徒の個人情報をサーチし始めた。改造された違法バンドらしく、セキュリティを突破して生徒の個人情報が次々と引き出される。

 引き出されたデータは、次々の教壇の前の電子ボードに表示される。このテロリストはたぶん麻里亜を探しているのだろう。あんたが探してる麻里亜は入院してここには居ないんだって。次々と生徒の名前や年齢、出身地が電子ボードに開示されていく。

 やがて、わたしの名前も電子ボードに表示された。麻里亜は居ないのに!とわたしは思いながら、電子ボードに表記された自分のデータに驚いた。

 安藤まな
 XX歳
 十月十日生まれ
 出生地 東京

年齢の数字が少し乱れてから、次のように表示された。

 安藤まな
 十三歳
 十月十日生まれ
 出生地 東京

 あれ? 十三歳? わたし中学生だったっけ? いや高校生だよね?

「見つけたぞぉ」とテロリストの男は言った。

◆◆◆

 テロリストは、まっすぐこちらに向かってくる。そして、わたしを小脇にかかえるとすぐに教壇に戻り、カメラ付きのドローンを飛ばして自分の姿を撮影しはじめた。外ではパトカーらしきサイレンの音が聞こえている。教師のアンドロイドが破壊されたことで、セキュリティの通報があったのだ。

「我々は独自の調査網を使って、この日本という国で、違法に製造されたアンドロイドについて調査していたのだ」とテロリストの男はカメラに向かって演説するように言った。

 ちょっと! わたしは違うんだって。あんたが探してるのは麻里亜じゃないの? とわたしは思いながら、テロリストの小脇に抱えられたまま恐怖で動けずにいた。

「ま、まなを離せ!」とけんちゃんの声が聞こえた。

 けんちゃん。久しぶりに名前を呼ばれた! そして、かっこいい! 昨日みたアニメの主人公みたいだとわたしは思った。

「おまえにとって、この娘はなんだ?」とテロリストは言った。

「まなは……友達だ!」

そっかぁ友達かぁ……ですよねぇ。と少し残念な気持ちになりながら、少し冷静さを取り戻して「けんちゃん! みんな! 逃げて! もうすぐ警察も来てくれるよ!」とわたしは叫んだ。

 テロリストの男はドローンのカメラに向かって言った。

「この中継を観ている世界の同志諸君! なんと哀れなことだろうか? この少年は騙されているのだ! いまその証拠をみせよう」そういって、テロリストは、わたしの腕をつかんだ。まさか……とわたしは息を呑んだ。

 まるでスローモーションのようにゆっくりとレーザーナイフが振り下ろされるのが見えていた。

 わたしの腕は、きれいに胴体と切り離される。

 切断面から、パァッと、真っ赤な血が腕から吹き出した。

 どうみても、人間の血だ。

 さっきの先生とは違う。

 わたしは人間なんだって!

 そして、ほんの少し間をおいて激痛が走った。

 わたしは金切り声をあげた。

「まなぁーっ!」とけんちゃんの悲痛な叫び声が聞こえる。

 テロリストの男は、命を顧みず飛びかかってくるけんちゃんをかるく薙ぎ払うと、さっきの教師にしたようにわたしの手を燃やし始めた。肉の焼ける匂いがする。わたしはもはや声も出せずに失神しかけていた。

「同志諸君! みたまえ、この醜い骨格を」テロリストの男がそういうと、火が消えたわたしの手をドローンのカメラがズームしているようだった。

 わたしの腕――。

 火が消えると、それは、顕になった。

 わたしは薄れゆく意識の中で、自分の腕を見て全てを悟った。あれ? もしかして、わたしって……。

◆◆◆

 意識が戻ったとき、わたしは病院に居た。いや、病院というより実験室のような場所だった。わたしの周りには医師というより、学校で時々メンテナスをしている技術者のような服装の人たちに囲まれており、なにやら、いろいろなケーブルをつながれているようだった。

 そうだ! けんちゃんは? クラスのみんなは? 無事? とわたしは技術者に話しかけようとした。しかし、声は出なかった。しかたなくわたしは、周りの状況を確認することにした。

「とても精巧に造られています。FAB細胞を移植された違法個体で間違いないようです」と技術者らしき男が、その上司らしき男に報告をはじめた。

 その報告によると、わたしは人間ではないらしい。十三年前に四歳相当の体を与えられたアンドロイドだそうだ。テロリストが開示したのは改ざん前のわたしの本当の戸籍データだった。わたしの体はテロリストが証明したように機械のものだが、他のアンドロイドと違って成長することが可能らしかった。

「FAB細胞についてわかりやすく説明してくれないか?」と上司らしき男が技術者に言った。

 技術者による解説は「遺伝子は人間の完全な設計図ではない」という講義から始まった。コンピューターのデータに置き換えればわずか7百5十ギガ程度のデータしかない遺伝子には、単純なタンパク質の生成方法しか記述されていないそうだ。では、なぜそれだけの情報で生物は正確に体を成長させることができるのか。それが、FAB細胞という卵子に含まれ、最終的には主に肩甲骨の周辺に多く分布することになる特殊な細胞の働きによるものだと言うことだった。

「なるほど、肩甲骨か。まるで天使の羽だな。いや、羽のない天使、それが我々人間だということか。堕天使の祝福とは、しゃれた名前を考えたものだな」と上司らしき男は言った。

 FAB細胞の原理は解明され居ないそうだが、その細胞経由で遺伝子に情報が送られることで人間の形に成長させていくのだそうだ。では、なぜアンドロイドにそれを移植したのかといえば、人間のように成長するアンドロイドを作るためということだった。当時、この情報を元に原理がわからないまま無理やり人と見分けがつかないアンドロイドを違法に製造するケースが増えたのだそうだ。しかし、この移植手術はすぐに禁止される。人間の持つFAB細胞の半分をアンドロイドに移植すれば、そのアンドロイドは人のように成長する。しかし、後になって移植した元の人間の健康面に問題が出ることが判明する。それが、テレビで言っていたFAB症候群であることはなんとなく想像できた。

「人の手にはあまる技術だな。しかし、この娘には可愛そうなことをしたものだ。自分がアンドロイドだと知らずに育てられてきたのだからな」と上司の男は言って研究室から去っていった。

 わたしは誰かのFAB細胞から造られたアンドロイドだった――。

 麻里亜――。

 そうだ、麻里亜はそれを知っていたのだ。どうやって調べたかはわからないが、わたしのFAB細胞は麻里亜から移植されたものだ。わたしは謎が解けたことで少し安堵したのか、意識が薄れて眠りに落ちた。

◆◆◆

 目を覚ますと、わたしはふつうの病院のベッドに横になっていた。そして、ベッドの横には両親と、けんちゃんが居た。けんちゃん。良かった、生きていたんだ。無事だったんだ。

「けんちゃん……」とわたしは言った。ちゃんと声が出る。はっと気がついて両腕を見ると、腕は両方ともちゃんとついていた。指もちゃんと動く。しかし、考えてみれば、人間の切断された腕がこんなに早く治るはずがないと気がついて少し悲しい気持ちになった。

「あのあと、警察が突入してテロリストは逮捕されたよ……クラスのみんなも無事だ」とけんちゃんが言った。

「あの、わたし……」と言いかけてわたしは言葉に詰まる。

「すみません……まなさんとふたりで話をさせてもらえませんか?」とけんちゃんはわたしの両親に言った。いや、両親というか所有者というべきなのか。

「あのさ、俺、馬鹿だから、医者の説明とかエンジニアの説明とか全然わからなくて、でも、俺はあの時、まなが酷いことされたとき、気がついたんだ。まなが大切だったって……」とけんちゃんは涙を流しながら言った。

「友達として?」とわたしは意地悪で言った。いや、そもそも友達どころか、わたしは人間じゃないし。

「俺はまなが好きだ!」

 わたしは心臓が止まるかと思った。いや、心臓っていうのかな。アンドロイドには心臓あるんだっけ? などと考えているとケンちゃんが続けていった。

「結婚しよう!」

 えっ? ちょっと、なに? なんなの? 恥ずかしい。もう殺して! いや壊してかな? なんなのこの急展開。

「まなが眠ってる間に、世界最大のアンドロイド人権推進委員会の人から提案があったんだ。俺もまなももうすぐ十八歳だろ? だから、結婚することで世界にアンドロイドと人間の共存をアピールできるんじゃないかって」

「でも、麻里亜さんは……わたしにFAB細胞をくれたのは麻里亜さんなんでしょ?」とわたしは言った。

 けんちゃんは、ただ悲しそうな顔をして何も言わなかった。

◆◆◆

 高校の卒業式が終わったあと、わたしはけんちゃんと結婚した――。わたしとけんちゃんの結婚式は、世界中が注目する結婚式になった。

 わたしは世界で初めて、アンドロイドの花嫁になったのだ――。

 けんちゃんと結婚できたことは素直に嬉しかった。そして、アンドロイドであっても人権が認められことも素直に喜ぶべきことだった。

 でも、わたしは時々思い出すのだ。わたしにFAB細胞をくれた麻里亜のことを。

 麻里亜は、テロリスト事件の翌日に体調が悪化し亡くなったそうだ。アンドロイドへのFAB細胞の移植は四歳児に対しておこなわれていたそうだ。そして、世界中で、FAB細胞を移植した人間が十四年ほど経過した頃に次々と亡くなっているという現実をわたしはあとになって知った。

 世界にはわたしと同じ様なFAB細胞を移植されたアンドロイドが一万体以上存在する。つまり一万人が、これから十八歳で亡くなっていくのだ。

 治療法はまだ見つかっていない。

 そして、アンドロイドに人権が認められた現在においても、わたしのような成長する人間に近いアンドロイドは当面製造されることはないだろう。いや、あってはならないと思った。

 麻里亜は亡くなる前に、手書きの遺書を残していたそうだ。

 麻里亜の両親は多額の借金をし、高額で娘のFAB細胞を売ったそうだ。もちろん、娘が死ぬとは思ってなかったらしい。麻里亜は両親に対して、自分が死ぬことは両親のせいではないと書き残していたそうだ。

 わたしの両親は、実の娘を早くに病死させ、子供ができないこともあって違法アンドロイドの購入に手をだしたそうだ。しかし、購入者に罪はなく、両親が処罰されることはないとのことだった。

 遺書と一緒に、わたしに宛てた手紙があった。

 親愛なるまなちゃんへ

 あのときは、ビンタしてごめん。

 でも、まなちゃんはわたしの細胞を持っている姉妹みたいな存在なんですよね。どうみても人間にしか見えないまなちゃんを見てわたしは安心しました。まなちゃんは姉妹であり娘でもあると勝手に思っています。

 わたしは死ぬけど、人間っていつかは死ぬものじゃない? だから、せめて自分の血を分けた相手を見たくて日本に来ました。

 自分でも色々調べて、たぶん日本で治療しても助からないって分かってたし、わたしはずっと病気がちでそれほど楽しい人生でもなかったから、だからせめて、最期に、生まれ故郷の日本で少しでも普通の生活を送ってみたいと思ったのです。

 あと、石丸くんとまなちゃんがどういう関係かはすぐわかりました。だって、まなちゃんはわたしの血を分けた分身なんだから、ぜったいに石丸くんを好きになるに違いないと思ってました。女の勘ってやつです。

 あと、おせっかいかもしれないけど、アンドロイド人権団体に、人間とアンドロイドの結婚を提案するメールを送りました。

 うまくいくといいなぁ。わたしなんかのことは忘れて幸せになってください。

 最期に心残りがあるとすれば、まなちゃんと友達になれなかったことです。

 わたしは、手紙を読み終えると泣いた。

 どういう仕組みかわからないけど、あとからあとから、涙が出てくるのだ。まるで人間のように、わたしの涙はただとめどなくあふれていた。



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そろそろ、社長少女の電子書籍が正式リリースになりそうです。正式リリースに伴い無料公開していたnote版は閉鎖されます。この機会にぜひnote版も読んで下さい(電子書籍版とは内容が異なります)



 

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