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【読切短編小説】異世界彼氏と彼女の事情

 俺の名前は坂田正男。年齢は五十五歳。

 少しぽっちゃり系だがダンディーなおやじだと仲間内からは言われている。数年前に目の病気を患ってからは、まぶしい光をさけてサングラスをかけることが多い。逆に耳は衰えておらず、若い人にしか聞こえないという高周波のモスキート音まで聞こえている。

 職業はアニメ雑誌のライターだ。

 最近は出版不況とやらで雑誌もなかなか売れない。今日はそんな売れないアニメ雑誌に、とあるアニメの紹介記事を書くために、東京都町田市にある小さなレストランにやってきた。どうでもいいけど、東京のシルエットってシーラカンスに似ているよな。町田市はシーラカンスのヒレみたいにつきだしているところだ。断じて言うが町田市は東京であって、神奈川ではない。

 ちなみにこの店、料理の味はまずまずと言ったところだが、客が少なくて執筆には良い環境なので、俺はちょくちょく通っていた。

 今回執筆している紹介記事のアニメ作品は、今流行りの異世界モノだ。それにしても最近は異世界モノが多い。異世界モノはWEB小説の人気作を中心になかなかユニークで面白い作品がアニメ化されてきた。俺も嫌いではない。だが、最近はさすがに増えすぎて食傷気味というのが本音だ。

 とはいえ、俺もプロのライターだ。どんなにつまらない作品でも、最高に面白そうな紹介文を書くのが仕事だ(と思っている)。

 いま書いてる紹介記事の作品は、異世界に転生した高校生が、自らの運命にあらがい元の世界に帰還しようとする極めてベーシックな異世界ファンタジーだ。

 異世界転生の作品は大体パターンが決まっている。導入は、主人公が死んで異世界に転生するところから始まる。死に方はいくらかバリエーションがあるが、トラックにはねられて死ぬケースが多いようだ。そして、連載中の状態でアニメ化されることが多く、結末がどうなるかはわからないケースがほとんどだ。いま紹介記事を書いている作品も、WEBで連載が続いており、結末はまだ公開されていない。

 セーブもできる異世界ライフ――。

 それが俺がいま紹介記事を書こうとしているアニメのタイトルだ。

 主人公の名前は、ホンダ・ナツメ。彼は、トラックにはねられて、まるでゲームのようなファンタジーの世界に転生する。

 そこで、青い髪のエルフ――ミレイアと出会うのだ。

 エルフは、異世界転生では定番の種族だ。そして、だいたい訳アリの境遇をもっている。

 主人公のホンダ・ナツメは、おおむね平凡な身体能力と頭脳を持った普通の高校生だ。そのあたりは異世界でも変わりはない。しかし、彼は異世界で、ある特別な力を手にする。

 それが、【魂のセーブ】という権能だ。

 この能力は、まるでゲームのセーブデータのようにセーブした地点からやり直せるのだ。しかし、この能力にはいくつか制限があった。セーブ出来る場所は魂の石がある場所に限られる。この石は世界のいろいろなところに隠されており、触れるだけでセーブが有効となる。しかし、一度セーブしてからロードの呪文を発動すると壊れて二度と使えなくなってしまうのだ。

 青い髪のエルフ――ミレイアは、その世界では忌み嫌われていた。なぜなら、その世界ではかつて、青い髪のエルフの姿をした魔女が世界の半分を破壊するという厄災をもたらした歴史があったからだ。しかし、主人公ホンダ・ナツメは、ミレイアの願いを叶えるために力を貸す決意をする。ミレイアの願いは、その世界の王となり、魔女を倒し世界の平和を取り戻すことだった。

 ストーリーは大体こんな感じ。以前に似た作品もあったので、若干二番煎じ感が強い。しかし、【魂のセーブ】という設定がなかなか面白く、独特の展開を生み出していた。

 現在、アニメは三期まで作られており、原作はまだ完結していない。

「また酷いこと言われたの? でも、あなたは悪くないわ。あなたは自分の運命に従っただけ!」

 背後の席からそんな会話が聞こえてきた。今日のお客は、どうやら、俺と後ろの席から聞こえる会話の主だけのようだ。音楽もかけてない店内には、すこし大人びた女性の声がやさしく響いていた。

 運命――。

 運命などという日常会話ではあまり聞くことがない言葉が俺の気持ちをとらえた。俺は執筆の手をとめて後ろの席の会話に耳をすませた。

「でも、あんな結末になるなんて……。ぼく、頑張ったんだよ。先生と離れてからどうやってこっちに戻ってこれるか……あっちでも、そればかり考えてた」と少し頼りない感じの男の声がした。

「もう、いつまでも、わたしを先生って呼ばないでよ。そもそもわたしは先生じゃなかったし、わたしはあなたより四歳も年下なのよ」

「ごめん。でも、ぼくなんかずっとニートで引きこもりだったから、年齢なんてなんの意味もないガキのままなんだと思う」

 会話の内容からすると、男の方は、元引きこもりニートだったようだ。アニメのライターなんかやってる俺が言うことではないかもしれないが、ゲームやらアニメやらが引きこもりの原因なのかもしれない。女性の声色からするに二十代後半といったところか。相手の男はその四歳年上ということは、三十代くらいか。

 いったいどういう関係なんだ?

「そんなことない。わたしはあなたをずっと見てきた。あなたは成長したわ。それに、今日はわたしとあなたが付き合い始めてちょうど四年目なんだよ」

 これは意外。カップルかよ! マジかよ! ねえ、ちょっと? どんな組み合わせ? すっげぇ気になるんだけど。あれか、元引きこもりニートだけど、意外とギャルゲーとかで女性の攻略とか極めてる系のオタクが、なにかの間違いで彼女落としちゃった的な?

「ぼく、まだ、先生とつきあってる自覚ないんだ……ぼくたちその……出会いがアレだったからさ……」

「そうね……わたしとあなたは確かに、NPO職員とその依頼者の息子さんという関係だったけど、わたしはもう会社を辞めているし、あなただって自立できていると思うわ」

 ちょっと待てぇーぃ。落ち着け、俺……。なんて情報量が多いカップルなんだ。えっと、つまりNPOってのは引きこもりを更生させる系の、あれだ、なんだっけ、俗に言うリースお姉さんとかいうやつか? うーん……これって、言い方悪いけど、ミイラ取りがミイラにみたいなやつ?

「でも、付き合い始めてすぐに、ぼく……あっちに行っちゃったから……」

「だから聞かせてほしいの。あなたの物語を――」

 えっ? なに、この会話。ちょっと待って下さいよ。相手の男はニートを卒業してから、この女性とつきあいはじめてすぐに外国とかに行ってたのか? それにしても、このお姉さん――年下だけど落ち着いているのであえてお姉さんと呼ぶ――は、なに言い出してるのだ。「あなたの物語を――」って、それ日常会話で使わないよね。

 やっぱ、お姉さんもちょっと痛い人なのか? 

「……ぼくはずっと病院で眠っていただけだし、ぼくの話なんか誰も信じちゃくれないよ……今日も病院の検査で妄想だって言われた」

「わたしは信じるわ」

 ああ、なるほど、病気だったのか。ニートを卒業してすぐに病気になるとか、大変だったんだなぁ。しかし、このお姉さんいい人だな。っていうか、いい人すぎる。

「聞かせて。あなたの異世界での冒険譚を――」

 俺は盛大にコーヒーを吹き出した。

 ちょっと待てぇーぃ! 異世界ってあの異世界? 俺が言うのもなんだが、異世界転生とかないからね! フィクションだから! 現実の話じゃないからね! アニメだからねっ!

「あの日……ぼくは、自宅に戻る途中でトラックにはねられた。そしてこちらの世界で俺の体は病院へと運ばれ、魂は異世界へと転生した……」

 定番のトラック転生キタ―ッ! っていうか、トラック業界怒っていい気がするわ。

「そして、ぼくの魂は転生して、気がつくとまるで、いつもプレイしていたゲームのような世界にいたんだ」

 ああ、なんか俺、わかったかも。言いにくい――というか、盗み聞きしてるだけだから言わないけど――けど、彼はたぶん事故にあったときに頭を打つかなにかして、その影響でそんな妄想を抱いてるってところか。お姉さんは、それを分かっていて、やんわりと話を合わせていると……。それなら、なんとか辻褄が合う。やっぱり、このお姉さんすげえいい人だ!

「その異世界でぼくは、青い髪のエルフに出会ったんだ」

「へぇー。その娘はどんな娘だったの? 何歳くらい? わたし詳しくないけどエルフって長生きなんでしょ?」

 ちょっと待てぇーぃ! いや異世界ではよくあるパターンだけども。あと、お姉さんちょっと怒ってるぞ! 妄想でもお姉さんを怒らせるのは良くないぞ!

「……彼女はとてもきれいな娘だった。年齢は十七歳だと言ってた。転生したぼくは、若返っていて彼女と同い年だったんだ……あっ、でも、ただ、信じてほしいんだけど、ぼくと彼女は……」

「分かってるわ。どうせ、なにもなかったんでしょ」

「うん……」

 なにも無かったんかーい! せっかく異世界に転生して、いや、それは妄想にしても、何もないまま戻ってきたのかい? 駄目だよ。そんなの視聴者がついてこないよ。せっかくの異世界なんだからエルフとイチャイチャしようよ!

「ナツメくんは、きっと、その子を守りたかったのよね」

 ちょっと待てぇーぃ! いや、青い髪のエルフに、ナツメくんって、それってまさか? 

「先生のことをわすれたことは無かったよ……でも、ぼく、彼女の夢を叶えてあげたくなったんだ……青い髪のエルフ――ミレイアは、その国の王様になるために頑張ってたんだ」

 俺は再び壮大にコーヒーを吹き出した。

 ミレイア――。

 俺がいま紹介文を書いてるアニメのヒロインじゃねぇか! 設定もまんまじゃねぇか! パクリやめろ! っていうか、ただの妄想だし、パクリじゃないのか……。落ち着け、俺。とにかく、ナツメくん、それ……たぶん、アニメを見ただけ! アニメの記憶と現実がごっちゃになってるだけだからね! あれか、なにかの偶然かアニメの主人公と同じ名前で感情移入しすぎちゃった系か。

「でも、彼女――ミレイアはあの世界では、忌み嫌われる存在だった。青い髪のエルフは、差別されていたんだ」

 うん。それ、知ってるわ。その設定、俺、ちょー知ってるわ。

「ぼくが学校ではずっといじめられてたのは知ってるよね? それで人間不信になって引きこもりになったんだ。あの頃は、たぶん世界に背を向けていたんだと思う。だから、ぼく、先生みたいになりたいと思ったんだ。先生がぼくを救ってくれたように、ぼくもミレイアを助けたいと思ったんだ」

「わたしのはそんな大げさなものじゃないわよ。あの頃はそれが、仕事だったし。でも、その気持、すごくナツメくんらしいと思う」

 なんかちょっといい話風になってるけど、ガチで妄想ヤバいやつだからねっ! お姉さんもちょっと寄り添いすぎ!

「ぼくはあの世界で、ミレイアを王にするために騎士になったんだ。そしていろいろな敵と戦った」

「すごいね……でも、大変だったんじゃないの? その、ナツメくんはあんまり戦ったりするタイプじゃないと思ったんだけど」

 あっ、お姉さん。それはですね。チートですよ。ちゃんと、チート能力が与えられているんです。お約束なんです。

「うん。たしかに、ぼくは異世界でも魔法はほとんど使えなかったし、特別な技術や体力もなかった。あと、こっちの世界の知識なんてまるで役に立たなかった。でも、ひとつだけ特別な力があったんだ」

「それはどんな力だったの?」

「魂のセーブ」――魂のセーブ。
と俺は、心のなかでぴったりとナツメくんのセリフにあわせてつぶやいた。無いわーっ! っていうか、まんまやないかーい!

「ぼくがはじめて訪れた街なんかには、探すと、あちこちに不思議な石が置いてあって、その石に触れるとゲームのセーブみたいにそこからやり直しができるんだ。ロードという呪文を発動すると、ぼくはいつでもセーブポイントに戻ることができた。ぼくはこの力を使って、何度も窮地を乗り越えたんだ」

「ロードは何回も出来るの?」

「ゲームと違って、一回だけ。やり直すと石は壊れてしまうんだ。だから、ぼくは訪れた地で、見つけた石の数だけやりなおせるチャンスを使って、なんとか戦い抜いてきたんだ」

 このあたりの設定はちょっとだけ斬新だったんだよなぁ。一つの町でやりなおせる回数に制約があり緊張感があった。石を探しだすところも面白いんだよな。石に触れるタイミングも重要でそのあたりの駆け引きが面白かった。俺はこのアニメの紹介記事で、そのあたりをこのアニメの押しのポイントとにしようと思ってたから……っていうかこのまま、ナツメくんの妄想を原稿にまとめたら今日の仕事、終わりじゃね?

 それからしばらく、ナツメとミレイアの異世界での冒険の話が続いた。その内容は、まるっきりアニメのストーリーまんまだった。俺は話を聞きながら、ポイントを文章に書き写した。いやー。マジで助かるわ~。とくに、お姉さんの感想が的確で良いわ~。この二人の会話をまとめるだけで今日の原稿はマジで完成しそうだわ~。

 ところが、ナツメの妄想はあるところで、放送中のアニメのエピソードを超えてしまったのだ。原作派だったのかな? と思ったが、驚くことに、今連載されている原作のエピソードすら消化してしまった。

 そして、ついに物語は原作の先にあるクライマックスに差し掛かっていた。

「ナツメくんはどうやって元の世界に戻ってこれたの?」

 そうだ! アニメどころか、原作でも主人公のナツメが異世界から戻ってくる話はまだない。ってことは、この世界に戻ってきている――という設定の、ナツメくんの妄想には結末まであることになる! 

「旅の最後に、ぼくたちの前に立ちはだかったのは、ぼくと同じ異世界転生者だったんだ」

 えーっ! そんな展開になるの? マジで、予想できんかったわ! っていうか、それ妄想だよね? あ~っ! 妄想でネタバレされるとは思わなかったわ! これが当たってたら、俺アニメライターやめるわ! マジで!

「世界の半分を滅ぼしたという魔女の正体は、百年前にこの世界に転生してきた異世界転生者だった。ぼくの権能――魂のセーブも彼女が作ったものだった」

 ほほう。なるほど、そうきましたか。うーん。ありそうな気もしないでもないけど、どうなんだろう? でも、めっちゃ続きが気になる!

「異世界転生者である魔女は、百年かけて自分が元の世界に戻る方法を考えていたんだ。その方法は……」

 ふむふむ。素人の妄想にドキドキしちゃってる俺どうなの? でも気になるわっ! 

「……エルフと異世界転生者の魂を融合させて、そのエネルギーを体内に取り込むこと……魔女は、転生者である俺とエルフであるミレイアの魂を使って自分だけが元の世界に戻ろうとしたんだ」

 ちょっと待てぇーぃ! それまずいじゃん! ぜったい犠牲者がでるやつじゃん!

「ぼくはミレイアを守りたかたんだ。でも、ミレイアは最後に、自分の魂を犠牲にして、自ら魔女と融合して……」そういってナツメは涙声になった。

 あーっ! なるほどね……それでナツメくん、君はこの世界に戻ってこれたのか……って、ミレイア死んでるやん! バッドエンドやん! マジでやめて、変な妄想のネタバレで、後味悪いバッドエンドにするのマジでやめて! こっちが辛いわ! 泣きたいのこっちだわ!

「あなたは悪くないわ。あなたは自分の運命に従っただけ!……わたしは、ナツメくんがこの世界に戻れて良かったと、素直にそう思うわ……」

 お姉さん。ナツメくんはある意味まっとうな現実に戻れてませんよ―。たぶん、非常にまずい状態ですよー。

「……違うんだ。やっぱりぼくが悪いんだ。ぼくはあの世界で成長しようとしなかった。だから、最後はあんな結末に……」

 しかたないぞ。ナツメくん。君は素人なんだから、もう少し何本か作品を書いていくうちに、納得のいく結末が書けるようになる……じゃなかった、そうじゃない。これはもっとシビアな話だ。このカップル、ちょっと流石にまずくね? 精神的に病んでる相手に介護者が感情しすぎるってやつか……。共依存ってやつだろうか。お姉さんはいい人だと思うけど、それじゃあ、ナツメくんは妄想から抜け出せないよ……。

「あのね。ナツメくん……わたしは、ミレイアさんの気持ち、すっごくわかるな……。あの日、ナツメくんが事故にあった日、わたしはたぶんミレイアさんと同じことを考えていたの。事故に合うのがナツメくんじゃなくて、わたしだったら良かったのにって、わたしが身代わりになれるのなら、ナツメくんを助けたいって」

 お姉さん、いい人だなぁ。その気持は、共依存かもしれないけど、考えてみれば、恋愛と共依存の違いなんて大差ないのかもしれんな。ミイラ取りがミイラになんて思ってすまん。これはこれで、愛の形なんだろう。

「すみません! デザートのバニラアイスです!」
 そう言って、アルバイトの店員がアイスクリームを二つ持ってきた。

「ところで、ほんとうに、お二つでよろしかったですかー?」と店員が確認するように聞いた。

「あ、はい。二つであってます」とナツメは言った。

 それからしばらく、どういうわけか、二人の会話は聞こえなかった。俺はどうしても気になって、トイレに行くふりをして、後ろの席をチラリと横目でみながら通り過ぎた。

 そこには驚くべき真実の光景があった――。

 少し小走りで、トイレに着くと俺はかなり取り乱した。ちょっとまて、落ち着け、俺。どういうことだ。お姉さんは先に帰ったのか? いや、席を立った気配は無かった。店員も、アイスを二つ運んできていたではないか? あの席には確かに、料理の皿は二人分あった。

 しかし、そこに居たのは、三十代くらいの男、ひとりだけだった。

 「ほんとうに、お二つでよろしかったですか?」

 さっき、店員はそういった。そうだ、そんな聞き方で確認するのは、二人いる場合ではない。

 俺はトイレから戻りながら、料理が二人分並んでいる机に、確かに一人だけで座っている三十代の男の姿を横目に見ながら自分の席に座った。

 そして、すぐにスマホを使って「ナツメ 町田 事故」で検索をかけてみた。

 あった、たぶんこの記事だ――。

◆◆◆

 XX日午後4時20分ごろ、町田市中町2丁目の市道で、道路を横断していた男女がトラックにはねられる事故が発生しました。この事故で、町田市のNPO職員・結城ハルカさん(二十八歳)が死亡しました。隣を歩いていた無職・本田ナツメさん(三十二歳)は重体で病院に搬送されたもの命に別状はないとのことです。

◆◆◆

 俺はそのニュース記事を読み終えて、すべてを悟った。異世界転生の物語は、本田ナツメがこの事故にあった経験を元に生み出した妄想だったのだ。

 だが待てよ。いままで俺が聞いてた会話はいったい……。俺は少し背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「ここのバニラアイスおいしいわよね。シンプルで。わたし、アイスはバニラが一番好きかなぁ」

 おいおいおい! お姉さんの声が再び聞こえた。俺は立ち上がって、お姉さんの姿を確認したい衝動にかられたが、ぐっと気持ちを押さえて、耳をすませた。これは俺の仮説だが、さっき店員さんが来たことで、なにかこう霊的なものが途切れて、彼女は姿を消したのではないだろうか。

 俺は恐怖と好奇心で、後ろの会話に釘付けになった。

「そういえば、異世界にはアイスがなかったんだ。ぼく、ひきこもりだったけど、お菓子作りは得意だったから、なんとか異世界で材料を集めてバニラアイスをつくったら、これが大ヒットしちゃって……ぼく、なんかやっちゃいました? 的な……元の世界の知識が唯一活かせたエピソードだったなぁ……」

 あれ? そんな話あったけな? 原作……っていうか、それはもういい。妄想異世界の話はもういいから、お姉さんの話が俺は気になる。怖いけど、気になる! めっちゃ気になる!

「あのね……ナツメくん。実は、今日は大切な話があるの」

「えっ?」と本田ナツメは言った。

「わたしたち、もう会えない……と思う」と結城ハルカは言った。

 ええっ! いや、そうだけど、そうだよね! うん、そうなるよね……。なんか、もう何重にも重いわ。どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか、全然わからなくなってきたわ。仕事でめっちゃアニメみている俺にも、この展開は予想できなかったわ。っていうか、ここまでやると、今の視聴者はついてこれないんじゃなかろうか。現実ってすげぇ。やべえわ。現実、マジでやべえわ……。っていうか、これ現実なのか?

「そっか、先生も、ミレイアも、ぼくを置いていくんだ……ぼくが駄目なやつだから、ぼくみたいな引きこもりのニートなんか、人に愛される資格なんかなかったんだ!」とナツメは少し自暴自棄になって言った。

「違うっ! ミレイアさんは、あなたを愛していた! だから、あなたを助けたいと思ったの! わたしも同じだった! ねえ、ナツメくん……わたしも、たぶんミレイアさんも、ナツメくんとずっと一緒にいるんだよ。肉体が失われても、わたし達の魂は、あなたの中にあるの……ずっとあなたの中で生き続ける……だからね……会えなくなっても、さみしくなんかないんだよ……」

 お姉さん……なんていい人なんだ。俺はいつの間にかもらい泣きしていた。そして、しばらくすると、お姉さんの気配が消えるのを俺は感じた。その後、お姉さんの声が聞こえることはなく、男性がすすり泣く声だけが聞こえていた。

「お下げして宜しいでしょうか」とアルバイト店員の女性の声が聞こえた。

「はい」と本田ナツメは答えた。

 それから、本田ナツメは、紙ナプキンで鼻を噛むと、席を立って一人でレジへと向かった。

 本田ナツメの異世界転生の話が本当だったか妄想だったかは俺には分からない。いま放送されているアニメや、WEBに連載されている小説が、彼となんらかの関係がある可能性は否定できなかった。

 もしかすると、あの小説の作者は彼なのかもしれないと、俺は思った。

 もし今日俺が聞いた会話――とくに亡くなっている結城ハルカの声が、俺の妄想でないとするならば、幽霊が存在する世界で、異世界が実在したとしても不思議ではない気がした。

 後日、「セーブもできる異世界ライフ」の最新話がWEBで公開された。めずらしく、立て続けに更新され、物語はついに最終回を迎えることになった。

 最終回に至る展開は、レストランで聞いた話と完全に一致していた。俺はこの物語の結末を知っている。最終話で、魔女とミレイアは融合してミレイアは命を落とし、ナツメは元の世界に戻るのだ。なんとも後味の悪いバッドエンドだ。

 俺は少し重い気持ちで、最終話を指でスクロールさせながら読み進める。

 そして、その結末に驚いた。

 本田ナツメは、魔女とミレイアが融合しようとするその瞬間、ロードを発動させたのだ! そう、彼はこの戦いの前にセーブを仕込んでいたのだ。

 そして、二回目の戦いでみごと魔女を倒し、本田ナツメは異世界に残ることを選んだ。

 ミレイアとナツメは異世界で結ばれ末永く幸せに暮らした――というハッピーエンドをもって、物語は幕をおろした。

 ナツメはラスボスと戦った地方で、元の世界のバニラの木と似た植物を発見していた。物語の大団円で、彼はその植物から元の世界のバニラアイスを再現し、異世界の人々に振る舞った。バニラアイスは異世界で大ヒット商品になったそうだ。

 なんだよ。あの話は作り話かよ。そして、ここであのときのバニラアイスの伏線を回収すんのかよ。

 これは俺の推測に過ぎないが「セーブもできる異世界ライフ」という作品は、あのレストランで、本田ナツメと結城ハルカの幽霊が会話することで生まれたんじゃなかろうか。いや、きっとそうだ。俺はそう思いたい。

 最終回を読み終えた俺は、なんだか少し晴れやかな気持ちになった。

 しかし、その翌日、アニメ界に大ニュースが報じられた。

 大ヒットアニメ、「セーブもできる異世界ライフ」の作者が亡くなったということだった。

 作者の本名は、小説の主人公と同じ、本田ナツメだったことも公表され、ネットではかなり話題になっていた。彼は、まるで自身の小説と同様にトラックにはねられたことがあり、しばらく昏睡状態だったことなども公表された。彼は事故の後遺症で闘病生活を送りながら小説を執筆していたが、最終回を書きあげたあと、容態が急変し亡くなったそうだ。

 皮肉なことに、物語をハッピーエンドにした彼は、自身の人生がバッドエンドになってしまったのだ。

 俺は、あのレストランで、いまも時々アニメの紹介文の原稿を書いている。

 もしかしたら、本田ナツメと結城ハルカの会話が聞こえるんじゃないかと期待して――。



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