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北方領土について

こんにちは。映像作家で小説家の榊正宗です。

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糖質を減らすと確かに痩せますが、今度は炭水化物が不足しすぎる問題が発生します。しかし、白米などの糖質は美味しいので油断すると食べ過ぎちゃいますよね。

かまぼこや竹輪は、適度に糖質があり、タンパク質も多いので、糖質不足を補うのには良さそうです。いま、わたしは主食をこんにゃく麺に置き換えているので、炭水化物はほとんど取ってません。こんにゃく麺に、かまぼこを足すことで、適度に炭水化物を摂りたいと思います(最低でも1日50グラムは糖質を摂りたいですね)

さて、今日のテーマは「北方領土について」です。

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🔳北方領土とは

北方領土(北方四島)とは、根室沖に浮かぶ「択捉(えとろふ)島」「国後(くなしり)島」「色丹(しこたん)島」「歯舞(はぼまい)群島」という3つの島と群島のことです。

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現在日本政府が、日本の領土であると主張しているのは上記の4つだけです。

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しかし、歴史的には千島列島20の島で日本人が活動していた時代があったそうです。20の島に日本名があります。

千島列島になぜ日本名がついてるのでしょうか?

かつて、樺太(サハリン)は、南側を日本、北側をロシアが支配していました。1875年の千島樺太交換条約で、南の樺太と千島の18島を交換し、千島列島全部が日本の領土になりました。最初は南の2島だけだったのが、交換して20島になったそうです。

あれ?これだと千島列島全部日本の領土ですよね?

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🔳千島列島の放棄

実は、ソ連の侵攻と関係なく、サンフランシスコ平和条約によって、日本は千島列島をすでに放棄しています。

1951年の条約第二条には下記のように書かれています。

日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

あらら、これって、北方領土もすでに破棄しているのでは?

ちょっとややこしいのですが、実はサンフランシスコ平和条約にはソ連は参加していないんです。このため、せっかく、日本が千島列島を放棄したのに、正式にソ連が頂くのではなく、現在に至るまで不法に占拠した状態になってる訳です。

そんなん、ソ連の落ち度やん!!

さらにややこしいのは、日本政府はこの当時、「現在北方領土と呼んでる地域は、千島には含まれない」と言ってませんでした。最近になって、やや後出しであれは千島では無いと主張しているのです。

そんなん、日本政府も駄目やん!

かつて北方四島は南千島と呼ばれていたようです。これだと「千島列島は放棄したはずなのに、なんで後出しで日本領土とか言い出したの?」と言われちゃうので、意識的に南千島という呼称をやめて、北方領土と呼んでいるわけですね。

うーん。そうとう厄介な問題だったんですね。日本人としては、日本の領土だという事を支持したいですが、こんな曖昧なことになっていると、なんとも言えませんね。日本側にも多少なりとも落ち度はあったんですねぇ。

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🔳日ソ共同宣言

日本とロシアの前身であるソ連は、一応、国交を回復しています。それが、1956年の日ソ共同宣言です。

ところが、北方領土問題の解決は先送りされました。

実は、「歯舞群島と色丹島の二島を返還してもいいかなぁ」という提案がソ連側から出ていたそうです。(※ちなみに、このときロシアは、正確には返還ではなく譲渡であると言ったそうです)

いや、返還でも譲渡でも、どっちでもいいけど、日本政府はなぜ乗らなかったの?こんなに長いこと、交渉がもつれるなら悪くない案だったのでは?と思ってしまいます。

ここがややこしいところですが、美味しいようにみえて、「平和条約を結びましょう」という提案と、二島返還(譲渡)がセットだという巧妙な提案だったんですね。そもそも、ソ連は「日ソ​中立条約」を一方的に破った前例がありますよからね。

ここで、アメリカがちゃちゃを入れたようです。「日本よ!残り二島を戻してもらわなくていいのか!それでいいのなら沖縄も返さないぞ!」と言ったとか。当時のアメリカはソ連と対立をしていた時期なので、日本とソ連の平和条約締結を妨害したかったのかもしれませんね。

そうこうしているうちに、ソ連側は「平和条約を結んでないから北方四島は全部返さんわ!」と言い出しちゃったという訳です。

うーん。ここでも交渉において日本側の落ち度があったような気がしますね……。

そもそも、北方領土とか、もともと日本人もちょっとしか住んでなかった未開の地ですよね?なんでそこまで拘るの?って気もします。

どうも、北方領土はかなりの価値があるようです。

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🔳北方領土の資源

北方領土には、石油に換算しておよそ3億6千万トンと推定される石油や天然ガス、世界の年間産出量の半分近い量の生産が見込まれるレニウムなど手付かずの豊富な地下資源が眠っていると推測されています。まあ、地下資源については、ロシアの調査なので正確なところは不明だそうですが、ロシアの天然資源・環境省によると、これら北方領土周辺の資源価値は2兆5000億ドルに上ると推計されてそうです。

なお、水産資源は世界3大漁場の内の1つに上げられるほど豊富なんですよね。島の面積は狭くても、その領海はけっこう広いわけです。

つまり、北方領土はかなり経済的価値が大きいんですね。

しかし、サハリン全体だと168万トンの石油があるわけで、資源大国のロシア側にとっては、別に北方領土を開発するほどでも無いわけですね。無資源の日本にとっては、十分欲しいんですけどぉ。

さて、資源だけでなく、歴史も大切だと思います。ここで、北方領土の歴史をもうちょっと見てみましょう。

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🔳アイヌと北方領土

実は、北方領土には日本人より前に、アイヌ民族が住んでいました。

1769年択捉島にて、ロシア人のイワン・チョールヌイという人物が、アイヌ民族を攻撃していました。これに対してアイヌ人も反撃し、1770年~1772年、ロシア人を千島から追い出すことに成功したようです。

1776年には再びロシア人が択捉島にやってきて、今度はロシア人とアイヌ人は仲良く貿易をすることになりました。しかし、1780年にウルップ島で大きな地震が起こると、ロシア人の多くはカムチャツカへ引き上げてしまったそうです。

1786年、日本人がアイヌの住んでいた択捉島を訪れます。当時の日本人は、アイヌ人を奴隷のように扱っていたそうです。ロシア人と貿易をしていたアイヌ人ですが、ロシア人が引き上げてしまったあとは、仕方なく日本人と貿易を始めたそうです。しかし、日本人のアイヌ人の扱いは悪く、クナシリ・メナシの戦いという反乱が起きてしまいました。この戦いに勝利した日本人は「大日本恵登呂府」と書いてある柱を勝手にたてたそうです。

うーん。なんか日本と北方領土の歴史って、あんまり良いイメージではないですね。「アイヌ人は日本人だ!」と言えないのは、現在のロシアにもアイヌ民族の人たちが住んでいるからなんですね。

なんだか、歴史を紐解くと、アイヌ人に申し訳ない気持ちになってしまいますね。日本もロシアも、なんというか、どっちもどっちではないかと思ってしまいました。(まあ、世界の歴史はだいたいそんなものですけど)

世界の他の国では、国境問題はどうなってるのでしょう。例えば、フランスとドイツの国境にある、アルザス=ロレーヌなどのように、資源と国境でトラブルが絶えなかった地域もあります。この地域には、ドイツ人でもフランス人でもないアルザス人と呼ばれる人が多く住んでいます。この地域のトラブルを解決するために、フランスはドイツに対して、欧州石炭鉄鋼共同体という資源の共同管理を提案します。これが、後のEU設立につながったと言われています。

日本とロシアで、アルザス地方のような事ができるか……?正直難しいと思います。ですが、平和的に国境問題を解決するなら、資源の共同管理あたりを落とし所にするのが、経済的には良さそうな気がしませんか?

とはいえ、日本とロシアが仲良くすることには、アメリカが嫌がりそうなので、難しいのかもしれません。

歴史的な日本の正義というのは、正直なところ北方領土については、あんまり無いかなぁと思いました。もちろんロシア側にもです。

せめて、落とし所として経済的には仲良くして欲しいですね。

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