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榊正宗はガチャ禁止法案の成立を支持します!

突然ですが、ガチャ禁止法案の成立を支持します!

「ゲーム1日60分は“違憲” 男子高校生と母親が提訴 」という香川県の条例に対して裁判を起こした高校生のニュースが話題になってますよね。

https://www.fnn.jp/articles/-/90783?fbclid=IwAR0FTM86t9aoMjsXAulFAyMbB9VIgvJuUh-0rIvy-oFiSsVz-2FKlG1XWJs

いきなりタイトルと逆の事を言いますが、この香川県の条例は流石におかしいと思います。というか絶対におかしい。なんで、プレイヤー側に対して規制してるのかと。これは、麻薬もそうなんですけど、売ってる側を主に罰しろよと言いたい。

この条例については私も絶対に反対です。

たしかにゲームは依存症を引き起こします。というか、そうなるように設計して作ります。ゲームクリエイターとして言いますが、面白いゲームってのは、そういうものですよ。というより、大半の娯楽は、なんらかの依存症を引き起こします。小説だって文学なんていっても面白いものは依存性がありますよ。しかし、それ以上に娯楽にはストレスを軽減してくれる面があり、そのバランスで娯楽は人の生活を豊にするものなのです。そもそも、依存症はその仕組みのバランスが崩れたときに発生するものです。普通に、仕事や学業に励んでいれば、時間的に致命的な依存症は起きません。

ですが、「ガチャ」に関しては、これはもう、絶対にアカンやつです。

とはいえ、ガチャ禁止法案とか、だれも言い出してない法案の話を突然言われても、ピンとこないというか、むしろ反対するプレイヤーさんのほうが多いでしょう。「ガチャ」面白いですもんね。レアキャラ(というかいまやレアはむしろハズレでウルトラスーパーデラックスレア?とかじゃないとレアじゃないみたいですが)が出たら、ほんと嬉しいですよね。

榊正宗って誰だよ?お前ごときにガチャの禁止のアレコレを言う資格あんのかよ、氏ねよこのクソ雑魚カタツムリが!とかいうお気持ちを表明されそうなので、ちょっと補足しておきます。私は、ガチャに対して何かを言う資格というよりも責任があると感じています。今回の記事は、大きな批判もあると覚悟しておりますが、あえて書くことにしました。炎上商法という訳でもありません。むしろ、炎上は懲り懲りです。なので、できれば最後まで読んでいただけますと幸いです。

2007年8月27日までは、携帯電話向けにゲーム内アイテム課金というものは存在しませんでした。(もちろんガチャも)当時は、iモードのiアプリでの月額課金がメインだったのです。

日本で初めて携帯電話向けにゲーム内アイテム課金を導入したのは、DeNAとエイタロウソフトが共同開発した「Master of Fantasia」という携帯電話初の3DオンラインRPGです。ちなみに、このゲームのサーバーシステム開発を担当したのが私だったりします。(開発時の話は今回は掘り下げません。また機会があれば)

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Master of Fantasia
仮想通貨「モバゴールド」を使ってアイテムを購入できるようにした。モバゴールドはこれまでアバターアイテム購入用だったが、初めてゲームでも利用可能にした。

ガチャについては、初期は実装せずに、アイテムの販売をメインで行っていました。当時ガチャはすでにPCオンラインゲームでも問題になっており、RMT(リアルマネートレーディング)などの問題もあるため、アイテム課金についても、携帯ゲーム業界はかなりセンシティブになってました。理由は、携帯電話のアプリというのは、公共の電波に相当する携帯電話専用の電波領域を使うため、PCのインターネットと比較して倫理的に厳しい面があったからです。

当時は実験で、1万円で購入できる最強の剣とかを販売してみたら、これが売れるんですよね。「Master of Fantasia」はかなり好調な売上となりました。原価がほぼ無いに等しいただのデータでこれほどお金をとっていいのか?ということは何度も議論しました。

しかし、時は流れ、アイテム課金もガチャ課金もすっかり普通に導入されるようになり、いまやガチャのないスマホ向けゲームは存在しないのではないかという勢いでガチャが標準実装されるようになりました。

その結果、現在では多くのガチャ依存症と思われる人が目立つようになりました。破産するまで、ガチャにお金をつぎ込む人も少なくありません。海外では、ガチャをルートボックスと呼んでおり、すでになんらかの規制をしている国も増えています。

ルートボックス(ガチャ)は、ギャンブルなのか?

そういう議論が各国で行われているようです。ガチャは現金を対価としていませんから、ギャンブルでは無いように思われます。実際、ギャンブル規制の歴史をみるとわかりますが、賭博の売上は昔から暴力団などの非合法組織の資金源となっており、税金として国の財源にならない事が規制の最大の理由だったりします。ちゃんと国にお金が入る公営ギャンブルや、パチンコ(三店方式なんかの問題はありますが)が合法となっているのは納税されるからです。これはガチャを実装しているソシャゲも同じです。

https://ameblo.jp/fujisue-kenzo/entry-12606070703.html
2-2.ルートボックス規制
コンピュータゲームにおいてプレイヤーにゲーム内のアイテム等をランダムで付与する方式のことであり、日本では通称「ガチャ」と呼ばれる。ルートボックスは、ユーザーの射幸心を煽るギャンブル的要素が色濃い、課金システムと組み合わせれば実質的にギャンブルと同然であるとして、ここ数年、各国で規制強化を求める動きが見られている。

アメリカ
2019年、米共和党のジョシュ・ホーリー上院議員が子供向けゲームでの有料ルートボックスなどを禁じる法案を提出している。

オランダ
2018年、賭博法違反のゲームにルートボックスの見直しを指示するなど規制強化に動き始めている。

ベルギー
2018年、賭博委員会が一部ゲームのルートボックスを賭博の一種と指摘している。

しかし、ガチャの問題はそこではありません。

ガチャ最大の問題は、ほぼ原価が存在しないものに対して、無制限に販売可能な【錬金術のような禁忌の商品】という点にあります。まあ、『レアキャラにはそれなりのイラスト費用等をかけてあるのでただのデータとはいえ原価がある』というところがギリギリ合法のラインと言えるでしょう。レアなキャラクターのイラストが欲しくて納得してガチャを回しているといえるからです。レベルアップするだけのガチャというのがあったらかなり違法ラインに近くなると思います。(とはいえ、それでも絵師に支払う原価に対して利益率が高すぎです。利益をイラストレーターに還元するなら良いですけど、ほとんどの会社はガチャ向けのイラストは固定買取であり、著作人格権も不行使特約ですからね)

少し話は変わりますが、スマホゲームでは、「石」っていうのがありますよね。宝石とかそんなの。あれは、アプリストアが原価のないデータを無制限で販売しないように、アイテム課金にはなんらかの物質的なイメージを持たせるように規約に盛り込んでいるため、「石」のような物質を買わせると言う回りくどい過程が存在するのです。だれもが納得してデータにお金を払う時代になったので意味が無い規約になってますが、ソシャゲ黎明期は、データの価値についてセンシティブだったのです。

ちょっと話が難しくなりましたね。簡単に説明すると、原価がほぼないもの(利益率が高すぎるもの)を無限に販売して利益をあげることは、税金として国にお金が戻るとしても社会的に価値あるモノの生産を促し生活を豊にするというお金本来の意義に反する流通を生み出す危険性があるのです。(お金の存在意義については今回は掘り下げません)

原価ゼロの商品で利益をあげまくったら大問題ですよね?
(原価ゼロの商品なんてあるの?と疑問に思うかもしれませんが、利益として十分リクープしたあとの利益が無限に続けば、それは原価ゼロと言えます。ゲーム全体の原価(サーバー費、運営費、広告費)ではなく、ゲーム内のデータがもつ価値の話です)
ちょっと難しいのは、「イラスト制作費をリクープしたガチャが原価ゼロなら、デジタルデータはすべて原価ゼロじゃないの?」という問題についてです。デジタルデータはある意味、無限に複製できますからね。ガチャと通常のデジタルデータ販売の違いは、通常のデータ販売よりもガチャの消費金額と利益率のほうが大幅に高いところにあります。また、外れのイラストを使いまわせるという部分も通常のデータ販売と異なるガチャの特徴です。とはいえ、イラストの存在が、ガチャは原価ゼロの単なるデータではないという大義名分となっている事は事実です。なので、私の考えとしては、ほぼ原価ゼロに近いグレーな商品がガチャであるという認識です。ガチャの販売手法を、デジタルの漫画に置き換えると、分かりやすいと思います。もしデジタル漫画が、何回もガチャを回して、当たりがでるまで同じ話数しか読めないとしたら、ちょっとおかしいな?と思いませんか。デジタルデータが原価ゼロでないのは、対価として適正な価格で消費されるからです。さらに電子書籍は著者に対して印税を払い続けます。じゃあ、ガチャも絵師に印税払えばいいじゃんというのも一つの解決案でしょう。また、ユーザー的には「当たったり、外れたり、ガチャを回している時間そのものが楽しいんだ!」と言われれば、まあ、そこに厳密な対価の定義はないので、この論争はなかなか難しいところがあるとは思います。深刻な依存症が背景になければ、一般的な感覚と乖離するほど明らかに時間とお金を無駄にしていても、個人の自由だと言えなくはありません。

ガチャに限らず優良誤認で見かけの価値が高いデジタル商品があったとして(つまりは詐欺ですが)、無限に架空の価値を生み出して、大量のお金がそこに流れ込むとどうなるでしょうか?一部は税金として国に戻るものの、脱税や節税をされると、かなりのお金は一部の人のものになります。(貧富の差が拡大します)これが社会にとってあまり宜しくないのです。

つまり、ガチャという仕組みで利益を出し過ぎている業界は、すでにかなりギリギリの黒に近いグレーゾーンに来ているのです。その上、射幸性をあおる仕組みで、依存症になる人間が多数出ており、重大な社会問題になっていることは疑う余地はないかと思います。

じゃあ、節度をもってプレイさせればいいんじゃないの?依存症になるのは、自己責任じゃないの?っていうのが、まさに香川県の条例なわけですね。(たぶんあんまりゲームに詳しくない人が考えたのでしょう)

はい、そう言えば、そのとおりです。じゃあ、自己責任なら、もう大麻も解禁しろよと。国で販売したら良いじゃん。とかいう極論になりそうですが、ここはグッと我慢して、一番の本題をのべます。

私はガチャが原価ゼロだからとか、依存症を引き起こすからとか、ギャンブルだから規制しろと言いたい訳ではありません。

ゲームは世界に誇る日本の文化です。

アニメとともに、世界に輸出し、多くのファンをつくり、日本という国を好きになってもらうための、とても重要な平和外交につながる輸出品なのです。実際に、日本のアニメやゲームが好きで日本に来る外国人は大勢居ます。パンデミックが収束すれば、また大勢の観光客が日本に来てくれると思います。

ところが、残念ながら、いまの日本はかつてのゲーム大国ではありません。ガチャに依存したゲーム業界は、ほんとうに価値のある人生に影響をあたえるほど心に残るような面白いゲーム(名作と呼べるようなゲーム)を作れなくなってきています。ガチャの面白さは否定しません。あれは、ある意味不可抗力です。でも、面白ければ何でも良いわけではないんです。
グレシャムの法則のように悪貨は良貨を駆逐するという点について、問題視しているのです。(もちろん悪貨とはガチャゲーの事です)

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