なぜ勉強は"脱線"させたほうがいいの?
僕は10年前から高校時代の勉強をやり直している。
きっかけは人生と仕事に大失敗をして、
やる気なくなる症候群に落ちたとき
「自分がこうなったのは穴があるからだ。1から土台を鍛えなおそう」
始めは現代文をやった。国語が苦手だから。
次に数学をやった、好きだから。
次は物理をやった、得意だから。
次は地学をやった、独学してたから。
次は化学をやった、高校時代に学んだから。
次に生物へ手を出した、苦手意識があったから。
理科を終えたら次は経済(マクロとミクロ)にいった。
数式に触れておきたかったから。
簿記にも手を出し、お金の流れが見えた。
世界史日本史倫理をやり、今は地理に手を出している。
地理の勉強は地図帳と統計が基本だ。
地図と統計の間に必ずキーワードがある。
例:フィヨルド、南南問題、灌漑、山脈と降水量
くわえて地図帳には様々な山脈、岬などがある。
山脈や岬を調べていくのが楽しい。
昨日なんか北極点と南極点を調べてしまった。
教科書にある北極や南極情報を書きなぐる。
書きなぐったうえで基地や北極南極点が知りたくなった。
スマホのグーグルアプリを使ってすぐ調べる。
すると北極南極点をはじめ、様々な現実が現れた。
極夜、白夜、セイウチ、ホッキョクグマ、原子力砕氷船、ロシア観光、
アムンゼンスコット基地、ちょっと移動する南極点……
勉強がいつの間にかロマンを味わう時間になった。
現時点でビジネスアイディアにつながるかどうかはわからんが、
少なくとも「原子力」砕氷船は僕の脳には全くないため、
物語を作るうえでのヒントにはなるだろう。
いろんな勉強においてキーワードを組み合わせたとき、何かしらのアイディアが浮かんでくるのだ。湖同士をつなげる工事のように(僕のビジネスモデルでもある)。勉強の最大メリットといえる。
さて勉強において絶対に欠かせない面倒な作業がある。
作業を行うからこそ次々と脱線できるのだ。
■なぜ勉強は読むより書くがいいか
昔の僕は基本、教科書を「読んで」いた。
あまり頭に入らなかった。
社会人になって再勉強したとき、
僕は教科書の記載項目を「書いて」いた。
一言一句ではない。キーワードや気になった部分のみだ。
一度目気にならなかったところが、
二度目だと気になる、三度目だともっと気になる。
気になるからこそ、いろんな疑問も浮かぶ。
そしたら勉強はミステリーへと化ける。
勉強とミステリーをつなげる橋は「自問」だ。
読むと書くの一番大きな違いが「疑問の質と量」だ。
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