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自炊を手放した話。

もう、無理しなくていいかな。

そう思ったとき、ふっと肩の力が抜けた。
同時に、私の中でくすぶっていた欲求が、殻をやぶってあふれ出しそうになるような感覚を覚えた。

わたしは、長年続けていた自炊を手放すことにした。
自炊とは、日々の食事を自分で作ることである。完全に手放すのではなく週2、3日の食事を、自炊しなくてすむ方法に変えるだけ。それでもわたしにとっては革命的な決断だ。
この決意を、noteに少ししたためておこうと思う。

自炊を続けてきた理由

まったく料理をしなかったわたしが自炊をはじめたきっかけは、大学進学ではじめた一人暮らしだ。毎食外食したり、スーパーやコンビニで買ってきたりすれば食費がかさむ。すなわち食費節約のため、料理経験ゼロから自炊をはじめたのだが、意外とはまってしまった。

わたしはもともと食べることが好きで、手芸や工作など自分の手でものを作ることも好きだった。自炊することで、食べたいものを自分で作れることにおもしろさを感じ、次第にさまざまな料理に挑戦するようになった。

就職を機に大学生時代の家から引っ越すことになり、料理にはまったわたしが新居を決める第一条件は「3口コンロがあること」だった。社会人になってからも毎日自炊を続けた。飲み会で帰りが遅くなった翌朝も、眠い目をこすりながら、作り置きのおかずをつめた弁当を作って出勤していた。

毎日食と向き合ってきたわたしは、次第に食べ物と健康、自分が食べたものがどのように自分のからだをつくるのか、ということについて興味を持つようになった。ついに新卒で就職した会社を5年で退職し、栄養士の専門学校へ入学した。学校の調理実習で料理を作り、バイト先のスペイン料理屋さんでは調理補助をし、家でもごはんを作る日々を2年間続けた。

栄養士資格を取得して再び社会へ出てからも、毎日自炊を続けた。ときに冷凍食品やレトルト食品、スーパーで売っている惣菜に頼ることもあったが、基本は自炊。小鉢にはいった副菜一品でも、自分が作った料理が食卓に並ばない日はほぼなかった。

それは、頼っていながらも外で購入したものはからだによくないという意識があり、自炊をすることで「わたしは生活に手を抜いていない」とひとり自己満足にひたっていたのかもしれない、と今では思う。

自炊に感じた違和感

わたしは、食べることが好き。だから、自分が食べたいと思ったものを作って食べられる「料理」は楽しかった。それは裏を返せば「料理そのものはそこまで好きというわけではない」ということに、わたしは次第に気づきはじめた。

当時、職場が家から離れていたために通勤時間が長く、家にいられる時間が少なかったので、毎日キッチンに立つ生活を送るのが難しくなった。そのためわたしは、休日に大量に作り置きをしておくことにした。

近所のスーパーが安売りをする日曜日の午前中に食材を買い込み、午後はひたすら料理をして1週間分のおかずの作り置きを仕込み続ける。気がつけば夕方で、その日の夕飯を作って1日が終わる。そのように日曜日を過ごす生活が数年続いた。

料理が心から好きであれば、きっとそんな1日も趣味のように楽しめるのだろう。でもいつしかわたしは、その生活に自分が疲弊していることに気づいた。

仕事と長い通勤時間で、自分の時間がもてない平日が終わり、やっと訪れた休日。しかしその貴重な1日が、平日を生きぬいていくためだけにこなしている買い物と作り置きで終わる。
それ以外の自由な時間はまったく、ない。
好きな読書も、コーヒーを飲んでぼーっとする時間も、お酒のみながら夫とゆっくりすごす時間も、ない。休日であるはずの日曜日に、自炊で疲れきっている自分がいることに気づいたのだ。

そんな違和感を感じながらも、家計節約のため、健康のため、時間のない平日をのりきるため、こうするしかないと心のどこかで自分に言い聞かせながら、1週間のリズムとして習慣化された日曜日を何度も繰り返した。

いつのまにか、限界がわたしのそばまで来ていた。

自炊を続けるより大切なこと

「nosh、やってみようかな」
少しだけ緊張しながら、でもそんなそぶりは見せないよう、できるだけ普段どおりに発した言葉。夫は「ああ、いいんじゃない」と、今日の夕飯はパスタでいい?と聞いたときと同じように返事をした。

自炊を手放そう、と決意したときに頭に浮かんだのはnoshだった。夫と親しくしている独身の同僚が、ほぼ毎食noshを使っている、という話を夫から聞いていたからだ。

noshとは宅配食サービスのことで、シェフと管理栄養士が開発した食事が冷凍状態で家まで届き、電子レンジで温めるだけで手軽に健康的な食事をとることができる、という特徴がある。
調べると同様のサービスは他社でも多く展開されているが、夫の知人が利用していて好評価しているという点で、noshに興味を持った。

自炊と比べれば、もちろん食費は高くなる。冷凍食品だけれど味はおいしいのか、満足できる量なのか、わからないところもあった。

もちろん自炊のよいところもある。だから家での食事のすべてを置きかえるのではなく、平日の夜や在宅勤務する夫の昼ごはんを一部noshにして、休日は食べたいものを自分で作って大好きなお酒といっしょに楽しむ、とめりはりをつけることができれば、ふたたび料理楽しく付き合えるのではないだろうか。

自炊をはじめた頃は、純粋に料理が楽しかった。食べたいものをいつでも食べられて、食費の節約にもなり、自炊を続けられている自分を「えらいなぁ」と自画自賛していたところも大いにあった。

時が経てば、当たり前に人の思考は変化する。
生活している環境や取り入れた情報によってわたしの中の優先順位が変わり、自炊よりも大切にしたいことができただけなのだ。でもわたしは、自分の変化をなかなか受け入れられず、そのギャップにひとりで苦しみ、自分で自分の首をしめていた。

今のわたしは、自由に使える時間がほしい。
肩の力をぬいて息をつける時間がほしい。
未来の自分にゆっくり向き合える時間がほしい。

ふと聞こえた自分の声にそっと耳を傾けたとき、わたし自身の苦しみに気づいた。その苦しみと向き合い、ひねり出した現時点の解決策が「自炊を手放す」ことだった。

長年の習慣をやめることをおしいとも感じるし、食費がかさむというデメリットもある。でもきっと、手に入れた自由な時間はわたしに、あたらしい世界をもたらしてくれるだろう。いや、自分の力であたらしい世界を引きよせるのだ、自炊を手放すかわりに。

今後も、それまで続けていたことを手放し、あたらしいことを取り入れるというサイクルを何度も繰り返して、わたしは生きていくのだろう。手放すことは多かれ少なかれ痛みやさびしさをともなうけれども、かわりにあたらしいことを自分のスタンダードにすることは心躍る。
自分が変化することを許し、あたらしい世界への扉を何枚も開いて、自分をアップグレードしていきたい。

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