見出し画像

2#【乳児期】

 娘のSりんは39週、低体重児で産まれました。産まれつき、発達遅滞、注意散漫、多動、衝動性があり知的障がい、ADHDと自閉スペクトラム周辺の発達障がい、(発達障がいの名称はコロコロ変わるので、現在名と違ってたらすみません)てんかんを持ち併せています。 乳児期は首や腰がちゃんと座らない、ハイハイしない、歩かない、よく吐く、甲高い声でよく泣く、あまり体重が増えない、気管支炎や肺炎に掛りやすく、しょっちゅう入院する、熱性痙攣を起こす、熟睡しない、興奮しやすい…などなど😥
 第二子としてこの世に産まれてきましたが、まぁ愛想の良いニコニコした子で、まだ20代だった私は心身ともに元気だったので毎日、楽しかったです。3つ上の息子Nの発達は教科書通り(当時はスマホとかなかったので、育児本⚪︎⚪︎⚪︎クラブ参照)で問題なかったですが、クールな顔立ちで内気、人見知りが激しかったし、愛嬌はあまり無かったです。真逆の、愛想の良いSりんを連れて歩くのが楽しかったし、少々発達が遅くてもそれ程深刻には思っていなかったです。

 さすがに1歳半検診の場で他の子は歩いてたのに我が子だけ、ずり這いしてたのは焦ったぐらい。
 その後、療育を勧められ、ハイハイして筋力を付けるまで通うように言われました。予約日の前日、急にハイハイをしたので、私はその場で「昨日からハイハイしたので、もう来なくて良いですか?」と発言した事を覚えています。
 当時、同い年の夫は仕事が忙しく、その日、その場での子供の面倒はよく見てくれてはいたけど、長い目での発達や障がいについては深く考えてないように私は感じていました。
 そして小児科医や保健師、療育施設でのOTや PT、心理士など、専門家の意見に対しては荒くたい言葉で言い返していましたし、私からの相談も真剣に聞いてはくれなかったです。男4人兄弟の末っ子であり、怖いもの知らずなところがあるようでした。
 その度に私は専門家に対しての後始末をしておりました。
「こないだは主人が失礼なことを言ってしまって…Sのこと本当に可愛くて仕方ないみたいで、あのような態度に出てしまい…」と言うやり取りを何回したことでしょう。
夫なりに、初めてのことばかりで、すぐに受け入れてるなんてできなかったのでしょう。

 と言うわけで、その頃は2人の子育て(1人は多動)と療育訓練、子供の病気などでバタバタと日々が過ぎていきました。そんなこんなでSりんの子育てに疲れてきた私は息子が小学校入学と同時にSりんも近くの保育園に入れることに決めました。まだ2歳、発達も他に比べて遅れているけど、愛嬌もあり、人に揉まれて何とかなるだろうという気持ちがありました。手続きの際、やはり発達遅滞で引っかかり、結局、加配付きの障がい枠での入園となりました。周りのほうが心配していたと思うけど、私自身、何とかなるやろう^ ^と若さゆえの軽い気持ちでした。反対意見は多かったけど、人の言うことはあまり聞かない私はそんな意見を跳ね除けていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?