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3#【保育園(加配付き)】

 園生活はやはり厳しいものがありました。昼寝しない、体調を崩しやすい、指示が入らない、他の子と同じように出来ないなどなど…その頃、Sりんは興奮すると自分の手(親指の付け根あたり)を噛むという行動を頻繁にしていました。

 今、考えると脳内は興奮しやすく(20年先にてんかん波が発見される)楽しくても、イライラしてもキーッとなるんだと思います。そのような特性の持ち主には、人が多く周りが賑やかな集団生活は最悪な環境だったと思います。加配は付いていたけど、やはり馴染めてはなかったです。
 2年程、通いましたがやはり変わらず、そして周りの子が成長していくので、差は広がるばかりでした。
 月に何度かの療育訓練の先生は一旦環境を変えた方が良いと言ってました。本心は「ほら、心配してた通りでしょう」と呆れてたと思います。

 その頃からいろんな場所での面談が増え(=問題が多発)園や心理士、発達相談、小児科医などと話すので、精神的にクタクタでした。元々、上の子の発達で相談することがなかったので、慣れないことに疲れてました。「あちこちで何回同じ事言うねん(°▽°)」って気持ちで、またそのことを帰ってから夫や、姉(保育士→1番の相談相手)、親やその他諸々に伝えるのが苦痛でした。伝えた相手からは「あ〜でもない、こ〜でもない」と責められて結局は私が怒られる…みたいな〜(・∀・)  
そして大した解決策が見つからず、結局自分で考えて動いていたような感じです。振り返るとこの頃は人に預けるより、自分の側においておく方が良かったのかな?と反省。


【私のこと】
 私は周りより少し早く、23歳で1人目を産んでたので、祖父母もまだ若かったし、当時、幼稚園勤務で独身だった姉は長期の休みなど、息子Nを凄く可愛がってくれ、成長過程全てを見守るという、甥っ子溺愛ぶりだったので、私はあまり真面目に子育てはしてなかったです。…まさか2人目でこんなに苦労するとは…😨

 3人姉弟の真ん中で育った私は子供の頃から人に頼るのが嫌いな一匹狼タイプで、人の言うことを素直に聞かない捻くれた性格です。このどうしようもない現状に毎日イライラとして上の子に当たっていました。 
 Nごめん😣 息子Nはとにかく周りの空気を読む子で常に人の顔色を見て適切に対応出来る(そうせざるを得ない環境だったのか…これまた、Sりんとは真逆😅)タイプだったので姉や祖父母、その他の親戚、ママ友など本当によく預かってくれました。
 私は人生の中で、それなりの年齢になるとある程度のことは自分で解決でき、まぁまぁいろんなことをこなせてきた(と勝手に思っている)ので子育てにつまづき、障がい者の母になるとは…思ってもいませんでした。
『これは神様から与えられた試練だ』とか『上の子で怠けてたからバチが当たった』とことあるごとに感じていました。
 そんな状況でも、愛想がよく、ニコニコして、目がクリクリのSりんは外出先で声をかけられることが多く、キッズモデルのスカウトをされることがよくありました。たまたま、同じスカウト人に声を掛けられて、「また、会いましたね〜これは必然的なご縁ですよ〜」と言われ、その時、機嫌が悪かった私は「この子は障がい児ですけど!後になって後悔されると思いますけど!」と返してはみたものの、まだしつこく、子供はどんな可能性を秘めてるかわからない…と言われ、とうとう「おばはん!うるさい!」と梅田(大阪)のど真ん中でぶち切れました。
今、考えたら、この人の言うことを素直に聞いてたら、早くからいろんな可能性が開花してたのかも^ ^このおばちゃんは良い人だったのかも…ごめんなさい、反省。

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