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9#【支援学校時代 てんかん#1】

 Sは中学、高校と同じ特別支援学校に通っていました。放課後等デイサービスに通いながら、週に2回は日中一時支援の預かり所に通っていました。

 ※日中一時支援とは障害児(者)が親の就労やその他の事情により見守りを目的とした、預かりしてくれる場。管轄が市町村の為、市町村によってかなりの差がある。
 制度的には良いが、事業所自体が少なく、単体での運営はあまり見られない。他の事業と併用して開業されることが多い。

 一方、放課後等デイサービス(放デイ)は申請後、利用可能となり、18歳までなどの年齢制限がある。又、職員の資格や人員体制、療育を目的にしているなどの規制がある。需要は多く、昨今、事業所の数は増えており圧倒的にこちらの事業所数の方が多いが、虐待や不正など良く無い事例も見られニュースなどで取り上げられている。 

 大切な子供を預ける親としては、何ヶ所か見学、体験などを通してじっくり決めたいのですが、我が子の特性に合う場所、親の思いを受け止めてくれる所など全てを満してもらえる事業所に出会うのは少々難しいのではないでしょうか…。
 しかしながら親自身の心身の安定や就労などの事情で他者に預けた方が良いのは言うまでもありません。

 …と言うわけで、私の経験から、何ヶ所か違う所を併用利用するなどで視点を広げるのは良い方法だと思います。
 その他にいろんな情報をキャッチしておくことも必要だと思います。できるなら相談員や他の保護者の方とも積極的にコミュニケーションを取りたいところですね。
 私の場合は忙し過ぎて保護者会などあまり顔を出せなかったです。

 幸いにも、Sを預かってもらっている放デイの事業所の別施設で働かせてもらっっていたので、常にSのことは相談できていましたし、何かにつけて優遇(^^)してもらっていたので、感謝しています。 
 学校などで問題が発生したり、体調不良があれば、すぐに行かせてもらっていました。ウチのような過保護気味の家庭にはちょうど良かったし、本当に有り難かったです。

 一方でSの特性として人が多いと気分が高揚してしまい大勢の中だけでは厳しいので、1日に定員3名という他所の日中一時支援で週2日はゆっくりと過ごさせてもらいました。
 これまた、ウチにとってはこのクールダウンできる環境はとても大事でした。成人後も利用できるので、期待してましたが、運営問題の為、途中で閉所となりました😢 

【てんかんのこと】
 そしてSは15歳頃から全身性のてんかん発作を度々起こすようになりました。
 初潮を迎え、抗てんかん薬も服用していたので脳内はとても不安定であったと思います。
 主に早朝が多く、発作の直前は私にしがみついてきたり、知らせてくれようとするのです。
 何度、経験しても発作の状況には慣れることはありません。前日に何があったとかは無く突然起こるので、毎回アタフタとしていました。

 Sは異変を伝えて、その後意識がなくなり、そのまま、布団の上に倒れていく→どちらかの腕や黒目が挙上し、その後、痙攣がはじまるというパターンが多かったです。

 そうなると、毎回、私はパニック気味になります。そこで冷静な息子Nが、まずは私に病院に行く用意をするように指示し、その間、Sの様子をみながら、必要なら救急車を呼んでくれる。という感じになります。とにかく息子Nの存在はありがたかったです。 

 その後も、年単位で全身性のてんかん発作がありましたが何とか日常生活は送れていました。

 そんなこんなでいろいろな人のおかげで支援学校の行事も楽しんで参加できていました。長旅の修学旅行も行くことができ、良い思い出ができました。普段、何処も連れて行ってあげれなかったので、有り難かったです😊

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