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母の昔話 と 私の長所

「恵は昔からそうだった。」そう言って、母が話す幼い頃の私の話を、ふと、思い出すことがある。母の〈昔の話〉が好きで、母自身が小さい頃の話もよく聴いた。絵本の読み聞かせも好きだったが、それよりもわくわくした。何度も聞いているので最初がいつかは思い出せないが、中学生か高校生の頃、いや小学生の頃だったかもしれない。だから、今から20年くらい前のことになる(ひゃっ)。私には記憶がないのに、話の部分が生活に馴染みのある場所だったこともあり、わりと具体的な景色を伴って、時折、思い出す風景がある。

近くのスーパーへ買い物にいったときのこと。母は売り場を見て回る間、お菓子売り場で私たち姉弟を待たせるようにしていたそうで「1つだけ、選んでいいよ」と2人をそこに残していった。弟はなるべく母のそばを離れたくないといった様子で、お菓子をパッと選んで母についていく。姉の私はというと、母が買い物を終えて、まだ居るかな?と戻ると、〔重さは・・・大きさは・・・クッキーかなぁ・・・チョコかなぁ・・・〕という心の声が聞こえるほど、一つとっては別のものを手に取り、また一つ戻しては別なものと比べ、真剣な眼差しでしゃがみ込んでいたという。「一つのお菓子を選ぶのに、恵は本当に本気だった」と母は言った。

また、母と昼間に駅へと歩いていた時のこと。道すがら、自転車で立ち漕ぎしても登り切るのは難しいくらいのコンクリートの坂道があり、母と私はその坂道を駅に向かって下ろうとしていたところだった。幼い私は片手にペロペロキャンディ(死語?ー棒の先についた飴で、舐めながら持ち歩ける)を持っていて、それはそれはご機嫌だったらしい。満面の笑みで得意気に、下り坂に差し掛かった時、私はつまづいた。衝動的に、手をつくだろうと、母は思った。しかし、私は手をつかなかった。両方の手を後ろに突き出し、顔面からその坂道を下った。「・・なんで!!」と母は驚いたが、時もうすでに遅し。顔面ずるむけで血だらけの私。「だからあなたの鼻は低いのでは・・」と冗談まじりに言う母が、当時、様子を見聞きするところによると、飴を、汚したくなかったらしい。

2つの話から、食べ物への執着がすごい恵、という話になる。確かにそれも間違いないのだが、私はこれらの話を【未来教育ナイト 木村泰子✖️工藤勇一✖️山本崇雄】のスペシャルトークイベント参加中に、すーっと思い出していた。

『学校はどうあるべきか?』というテーマで語られた御三方のトークは2時間半の枠を優に超えて、有料参加者250人越のブレイクアウトルーム対話(懇親会)を削っても進行していた(それを皆が求めている雰囲気があった)。登壇者から繰り出される密度高く具体的な表現は、それぞれが実際に感じ、行動して、目にした経験から紡ぎ出されている。ぐっと喉から鼻に押し寄せる感覚で思わず目が潤む言葉たちや、身体に入ってきても掴みきれず動き続ける言葉たちも、充実した映画を一本見る以上に感じるものがあった。

・本音で語れる場    自分から、自分らしく、自分の言葉で語る

・得意不得意、長所欠点もチームとして対応できる環境(学校=社会)

・言葉は伝わって初めて価値をもつ、言葉を交わして対話して、相手と通じ合うものが見つかる、そういう言葉を選んでいく

今の自分から、ふっと抜けて、幼い頃の私を思い起こしたのは、この辺りの言葉をうけてのことだと思う。登壇者の経験の断片を載せた言葉を聴きながら、母の視点を通して、自分を俯瞰して眺める私・・・(トークはちゃんと聴いています)。


〔自分の得意なことって、はっきりと言葉にできない・・・〕そんなことをここ最近ぼんやりと考えていた。4月に新渡戸文化学園に赴任し、錚々たる仲間からこれでもかと刺激を受け、めくるめくスピード感で過ごしてきたこの2ヶ月、体調も崩したけど、職場環境には相当恵まれている。自主性を重んじる体制と、お互いの長所でお互いを支え合おうという気が溢れている。「ハピネスクリエイター」という最上位目標も明確で、子どもたちの将来(卒業後彼らが活躍する社会)をイメージしたこの目標は、私も強く望むところだ。わからないことや、納得がいかないことにも遠慮なく手をあげられる空気感も心地よい。そんな教育現場に携われて、私の表情はここ数年の中でもすこぶる良かったはずだ。ただ、自分が誰のどんな役に立てるのか、広報活動も必要な私立において、ここを確率することが必要な気にもさせられていた。

自分の長所を勢いに任せてどーんと言い切ってしまう時には傲りが含まれていたり、自分を枠に嵌めてしまうような恐ろしさがあったり。しかし、幼い頃の自分の姿にすでに現れているではないか、そう思った。場面や立ち居振る舞いでイメージするとまだいいが、「我慢強い」「観察力がある」「目の前のことにコミットできる」などひとことにするとなんとなく限定されてしまう。だってそんなこと、状況によりけりだろう・・・。考えることよりも、感じることが優っていた幼少期の自分は、どうも頭でっかちになりがちな今の自分の肩を、すとん、と、落としてくれた。改めて、今、地面に足がついた気がした。なんのことはない、自分が感じることを信じて、自分のできることを、自分のできる形で行動することだ。そんなことをこのトークイベントを通して自分の中に象れたように感じた。


『学校の未来をつくる、未来とは、明日の学校をどうつくるか』

深呼吸して、まずは感じよう。

笑顔で、自分で選び、自分らしく行動したい。

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