抑圧の中で響く詩〜ローゼ・アウスレンダー〜
3月11日はチェルノヴィッツ(現ウクライナ領)の詩人、ローゼ・アウスレンダーが生まれた日。(1901年3月11日 - 1988年1月3日)ユダヤ系ドイツ人作家。迫害や流浪の運命に翻弄されながらも、なお人間への、言葉への信頼を失わず、生き延びるために書き続けた、20世紀ドイツを代表する詩人。
オーストリア=ハンガリー帝国領ブコヴィナのチェルノヴィッツ(現ウクライナ領)で生まれる。この地域では、ドイツ人、ウクライナ人、ルーマニア人、ユダヤ人などが共存して平和な生活を享受していた。
1939年にポーランドに侵攻したドイツ軍は、2年後にはこの地域を占領。ドイツ系ユダヤ人は敵視され、弾圧され、排除の標的とされた。ゲットーが作られ、ユダヤ人の強制収容者への移送が始まり、毒ガスによる虐殺が繰り返された。
チェルノヴィッツに住んでいた約6万人のユダヤ人のなかで、戦後の生存者は5000人にすぎなかった。ローゼは、母とともに地下室や防空壕に隠れて逃走しながら、詩を書き続け、過酷な出来事の細部を記録しようとした。
初めての詩集『虹』Der Regenbogenは1939年に出版されたが目下消失。
第二次大戦中の1941~44年ゲットーでの迫害の時を生きぬき、46年アメリカに移住、詩の翻訳などして、1948年にアメリカの国籍を取得する。
1956年までは戦争のトラウマのため、ドイツ語を使わず、英語の作品のみを書き続けた。
61年帰欧。1964年にウイーンに移住するが、反ユダヤ主義の風潮を恐れ、翌年に友人たちの住むドイツのデュッセルドルフに移った。
65年ゲットー時代の詩も含む詩集『盲目の夏(Blinder Sommer)』でドイツ文壇に復帰、以後20冊を超える詩集が刊行され、多くの文学賞を受賞した。
彼女にとって、「詩を書くこと」は「呼吸すること、生きること」であり、同時に、「死者たちのために生きること」であった。
詩作は老人ホームの病床で最期まで続けられた。
失われた故郷、同胞のユダヤ人の強いられた死、ことば、生きのびた自己の存在、苦しみと老い、記憶、愛といった問題が、繰り返し詩の主題となった。
”なぜ今まで生きてきた
私にはわからない そのわけは
まだこれからも私の呼吸は続く
いつそれがやむのか そして
噴水の言葉は
窓の向こうの
ポプラをはきだす緑は
犬の鳴き声 そして日曜の鐘は
鶫の声 錯綜する騒音は
血で血を洗う兄弟の争いは
また この歯の痛みは
ずきずきする頭の痛みは
ああ 捨て去られた魂は
なぜ なんのために
私はわからない
それでいい
何も私はわからない”
BY ローゼ・アウスレンダー
サロンドフルールイコア公式LINE
お友達登録でウーマンズストーリーカレンダーを配信しています🌹
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?