見出し画像

抑圧の中で響く詩〜ローゼ・アウスレンダー〜

3月11日はチェルノヴィッツ(現ウクライナ領)の詩人、ローゼ・アウスレンダーが生まれた日。(1901年3月11日 - 1988年1月3日)ユダヤ系ドイツ人作家。迫害や流浪の運命に翻弄されながらも、なお人間への、言葉への信頼を失わず、生き延びるために書き続けた、20世紀ドイツを代表する詩人。


皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

公式LINEへの登録で、毎月偉人・貴人のカレンダーを配信中。
最下部からご登録ください。


オーストリア=ハンガリー帝国領ブコヴィナのチェルノヴィッツ(現ウクライナ領)で生まれる。この地域では、ドイツ人、ウクライナ人、ルーマニア人、ユダヤ人などが共存して平和な生活を享受していた。

1939年にポーランドに侵攻したドイツ軍は、2年後にはこの地域を占領。ドイツ系ユダヤ人は敵視され、弾圧され、排除の標的とされた。ゲットーが作られ、ユダヤ人の強制収容者への移送が始まり、毒ガスによる虐殺が繰り返された。

チェルノヴィッツに住んでいた約6万人のユダヤ人のなかで、戦後の生存者は5000人にすぎなかった。ローゼは、母とともに地下室や防空壕に隠れて逃走しながら、詩を書き続け、過酷な出来事の細部を記録しようとした。

初めての詩集『虹』Der Regenbogenは1939年に出版されたが目下消失。

第二次大戦中の1941~44年ゲットーでの迫害の時を生きぬき、46年アメリカに移住、詩の翻訳などして、1948年にアメリカの国籍を取得する。

1956年までは戦争のトラウマのため、ドイツ語を使わず、英語の作品のみを書き続けた。

61年帰欧。1964年にウイーンに移住するが、反ユダヤ主義の風潮を恐れ、翌年に友人たちの住むドイツのデュッセルドルフに移った。

65年ゲットー時代の詩も含む詩集『盲目の夏(Blinder Sommer)』でドイツ文壇に復帰、以後20冊を超える詩集が刊行され、多くの文学賞を受賞した。

彼女にとって、「詩を書くこと」は「呼吸すること、生きること」であり、同時に、「死者たちのために生きること」であった。

詩作は老人ホームの病床で最期まで続けられた。

失われた故郷、同胞のユダヤ人の強いられた死、ことば、生きのびた自己の存在、苦しみと老い、記憶、愛といった問題が、繰り返し詩の主題となった。

”なぜ今まで生きてきた
私にはわからない そのわけは
まだこれからも私の呼吸は続く
いつそれがやむのか そして
噴水の言葉は
窓の向こうの
ポプラをはきだす緑は
犬の鳴き声 そして日曜の鐘は
鶫の声 錯綜する騒音は
血で血を洗う兄弟の争いは
また この歯の痛みは
ずきずきする頭の痛みは
ああ 捨て去られた魂は
なぜ なんのために
私はわからない
それでいい
何も私はわからない”
BY  ローゼ・アウスレンダー


サロンドフルールイコア公式LINE
お友達登録でウーマンズストーリーカレンダーを配信しています🌹

▶友達追加はこちらから

🌷 青木恵インスタグラム
🌷 ikoa 公式サイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?