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吾輩は猫である。あの漱石も魅了したニャンコたちを描いた画家〜ルイス・ウェイン〜

8月5日は、猫を擬人化した画家、ルイス・ウェインが生まれた日。(1860年8月5日 - 1939年7月4日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。

ロンドンで生まれたウェインは、
ウェスト・ロンドン美術学校を卒業し、
短期間教師として働いた後、
フリーのイラストレーターに。

1884年、妹の友人、エミリー・リチャードソンと結婚し、
幸福な結婚生活を送ったが、
その期間は短く、3年後ガンで亡くしている。
夫妻は白黒の毛並みをしたピーターという猫をこよなく愛し、しばしば絵のモデルとした。



写実的なものが多かった。
が、やがて後ろ足で立ちながら笑顔を浮かべ、
洋服を着こなし、クリスマスを祝ったり、
ゴルフに興じたりと人と同様人生を楽しむ猫となっていった。
ウェインの作品は高い人気を博し、
何冊もの子供向けの本を手がけたり、
ニューヨークに住んでいた時期には新聞の漫画を描いたりもした。

SF作家として有名なH. G. ウェルズも彼のファンであった。
しかし1900年代になると、
ウェインの総合失調症が悪化し、
ロンドン市内の劣悪なスプリングフィールド精神病院に入院。

ウェインが病院に隔離されていることが知られるようになると、
H・G・ウェルズなどの嘆願と
当時の首相スタンリー・ボールドウィンの介入により、
彼の治療環境は改善されるようになった。
ウェインは別の病院へと移され、
続いて1930年には北ロンドンハートフォードシャーの
ナプスバリー病院へと転院した。
この病院には患者たちのために心地よい庭が用意されており、
そこには数匹の猫が飼育されていた。
ウェインは死去するまでの9年間をこの施設で過ごし、
本来の穏やかな性格を少しずつ取り戻していった。
気が向けば以前のように猫の絵に取りかかった。
その作品は原色を多用した色使い、
花を模した抽象的な幾何学模様などで構成されていた。



彼の人生は、昨年映画化されました。
『ルイス・ウェイン生涯愛した妻と猫』
猫好きさんは見たかしら。


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