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私の宝物(短編小説)

その日はどんよりと雲が覆い、冬のねずみ色の空から雨がしとしとと降っていた。

当時6才だった私は心の中で「なぁんだ、せっかくの洗濯の授業なのに、雨か」と思った。それじゃ、せっかくのせんたくなのにお日様の下で干せないじゃないか。せんたくものが乾かないじゃないか、と心の中で心配しながらちょっとガッカリした気持ちになった。
私の中でせんたくとお日様はセットだったらしい。

だからこそ、逆に記憶が鮮明に残っているのだろう。雨は私たちの記憶にいつも強く残る。もし、この日が快晴だったら私はこの日のことを覚えていなかったかもしれない。こんな風に自分の心に美しく映らなかったかもしれない。全ては、起こるべくして起こっているのだ。
今見えている時間は人生のほんの一部に過ぎない。

せいかつの授業は1時間目に入っていたので朝の時間帯にも関わらず、天気が悪いせいか家庭科室は薄暗く、その壁面には水道がたくさん並んでいた。
授業が始まり先生が「せんたくはどうやってするでしょうか?」
と問いかけるとパラパラと何人かの生徒が元気よく手を挙げた。
そして先生は洗濯の方法を説明した後、2人1組でせんたくをはじめるように指示を出した。

わたしはゆういちくんという子とペアになり、洗濯をすることになった。
背は私と同じく小柄で、目は一重なのにまん丸くぱっちりとしていて華奢な男の子。
私は彼とあんまり話しをしたことがなかったので、少し気恥ずかしく、とくに大した会話もせず自分のくつ下を洗うことに取り掛かることにした。

冬なので水は冷たく、私の小さい手は直ぐにキンキンに冷えていった。
そして、私は洗い始めてから失敗した。と思った。
その日に限って私は白色のくつ下を履いてきていたのだ。おかげで全然汚れが落ちず、私は困ってしまった。
かたやゆういちくんを横目でみると、グレーベースに踵と足裏が黒色になっている靴下を持ってきていたので、あんまり汚れているように見えず手先が器用であろう彼は手際よく、くつ下を洗っていた。

私は「あーあ、私も汚れが目立たない靴下にすればよかったな」と子供ながらにおもった。そして、彼より遅く洗い終わるまいと必死に擦ってみるのだが、白色に染み付いた土汚れはなかなか落ちてくれない。
記憶は曖昧だが、お互いに黙々とそのまま靴下を私たちはくつしたを洗いつづけた。水に濡らして洗剤をつけ、ごしごしとこすり、水で流す。私は作業に集中していた。

と、先にくつ下を洗い終わってしまったらしいゆういちくんは白い靴下の汚れが落ちず悪戦苦闘している私の方を見て「手伝うよ」とも言わず、黙って私のまだ洗い終わっていない片方のくつ下を手に取って洗い始めた。
私は彼の行動に心の中でびっくりしてしまった。
普通の洋服ならまだしも、他人の汚れたくつ下を「手伝おうか?」とも聞かずに洗えるなんて。 

彼の様子をみると、「汚くて嫌だけど困っていて可哀想だから手伝ってあげよう」という感じではなく、ただ単純に私が困っていそうだから手伝うか位の気持ちで洗っていることが伝わってきた。
私は彼にいたく感動し、思わずまじまじと彼の横顔を見つめてしまった。彼は当たり前のように淡々と私のくつ下を洗ってくれた。得意げでもなく、嫌そうでもなく。
私は少し恥ずかしくなり、「ありがとう」と小さい声で彼に言った。「どういたしまして」と彼は少し微笑みながら、洗い終わったくつ下を私に渡してくれた。

「𓏸𓏸君が優しくしてくれたので好きになりました」なんて、このくらいの歳の子にはいくらだってあるし、好きになる理由なんてこんなものだろう。
他人から見たらただ「ゆういちくんに親切にして貰ったら好きになったんだね」ちゃんちゃん。めでたしめでたし。という単純な出来事でしかない。
だが、私はこの日を忘れたくないと心の底からおもった。そして、本当に忘れなかったなぁと思う。

この一連の出来事は大人になっても私の心の中で天から降り注ぐやわらかく、おだやかな陽だまりのように私の心を温め続けた。
こういう始まり方の恋が、実は1番じわじわと自分の心に効いてくるのだ。嵐のような激しい恋ではなくて。

その出来事の後、私は当たり前のように彼のことが好きになった。好きになるというより、正しくは自分の特別な人になったという感覚かもしれない。

クラスも2クラスしか無かったおかげで5年生以外は全部同じクラスだったし、小学生の6年間私の学校生活の景色の中には毎日彼がいた。

毎朝学校に来た時は彼が来ているかなと思い、来ているのがわかると嬉しかった。
お昼休みは今日は何をして遊んでいるんだろう?と気がつけば彼の姿を探した。
雨の日の休み時間に彼が本を読んでいると何の本を読んでいるのかな?と思う。
そして滅多に休むことは無い彼が、教室に居ないとどうしたんだろう?と心配したし、彼が喧嘩に負けて悔し泣きをしている時には秘密で多めに給食をよそってあげた。
そして私は彼が笑顔になっているのを見ると、例え自分が関係なくても幸せだなぁと思っていた。なんて幸せなんだろう、この人の屈託のない子供っぽいイタズラに嬉しそうな笑顔をみれることは。(自分も子供だったが)

と、こんな感じでストーカーレベルに好きだったので、学年の中で私の「好きな人」を知らない人は当然誰もおらず、小学生特有の冷やかしが嫌いだった私はあまり自分から話しかけに行くことはしていなかった。ただ、クラスがほとんど同じだったおかげでお互いに仲がいい方の友達、という認識でいたと思う。

お互い周りの目が気になる時期だし、彼も私が好意があることをもちろん知っているので口に出すことはもちろんなかった。
私の方もこんなに6年間ずっと好きだったのにそういう類のことを伝えたり言うこともなければ、わたしは中学受験の勉強と習い事で忙しかったので積極的に遊びに誘ったりすることも無かった。1日1日が本当に惜しかった。あと何日、あと何回という感じで。

彼とたまたま話せたらラッキーと心の中で思っていたし、接点がなかった日は今日はしゃべれなかったなぁと頭の中でぼんやり残念がりながら帰った。
家も近かったので、偶然帰り道に会ったりしないかなぁなんて思いながら。受け身、受け身で流れに身を任せていた所も今思えば良かったのだろうなと思う。我ながら、可愛らしい子供だった。

ただ、残念ながら意外と(?)ツンデレな私はずっと彼のことを「黙れこのチビ」と言って彼に対して突っぱね続けていた。そりゃあ6年間片思いだわ!!!と当時の自分には言ってあげたい。
だか、なんの雑念もない当時の6歳の子供が決めた直感は間違っていなかったんだなぁと今になって思うのだ。

彼を好きになって本当に良かった。

そんな恋心を今でも胸に大事にしまっていることを、あれから20年以上たった今いつの間にか毎日一緒にいる彼は知らない。
その宝物を大事に握りしめたまま、微笑みながら旅立ちたい。
生まれてきてくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。

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