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紫の神そらにしろしめす(後篇その2) どらま・えろいこみこ



 目にも綾なる婆娑羅ばさらな麗子像、遠景に見ゆる。そはゴシック迷宮いろのインバネスに口紅とスーツのシックな出で立ち、華奢な白レェスの日傘を翳し、昼の仮面を剥ぎ取ったる池の沈鬱な光につつまれ妖しくうち捨てられたる洋館とその家族どもの敷地廃墟に、星雲をひろげる幻影の街を迷いたり。



 いまや麗子は、先祖のブラヴァツキーの苗字を我が物顔で帯刀していた。その「街」には家族どもの夢の跡の残り火がくすぶる。家族どもは、強兵のための施設を敷き詰めて普通の小学校や中学校などは全く考慮せず平和産業や安定産業を軽視し、地下に大規模な武器工場やダンヌンツィオ無修正本印刷所を隠した自動車教習所兼テルミン演奏スクールや、暗号学院や間諜学院といった、「黒ミサの集会場」ばかり建てていた。
 家族ども全員を、恐怖と絶望にたたきおとすありとあらゆる力、それは画力であり語彙力であり、想像力でもあるちからを、死によってやまのように手に入れた麗子は、それがたとえ「けだものの強さ」であったとしても、ちからを与えてくれたアニメやマンガに、心からの、目盛りの針が振り切った善意からの恩返しをするつもりで、家族どもの死体の傷に塩を大量に塗り込んだのだ。善と悪の両方が必要とされて世界の均衡がうまれるというマニ教を、アニメや漫画に読み取っていた麗子は家族どもを 燔 祭はんさい Holocaust קורבן עולהの供物にし、マニ教の永遠の活性の願いをこめて神の悪の養分として捧げていた。
 いまや彼等は、先祖代々にわたってインチキ交霊術インチキ黒ミサをくりかえし、僧侶・軍人・詩人たちの心のうすぐらさと重すぎる財布を刺戟して成り上がり、爵位も土地も世界じゅうから騙し放題だまし取った伝説の詐欺師一家であり、数えきれない程の死刑囚の輩出一家になっていた。詐欺が破綻するたびに、家族の誰かが死刑にされるたびに、家族共はどさくさにまぎれて逃げ続け逃げ切って、ドイツを去り、ロシアを越えて、二ホンへと逃げ延びた一族の、家系樹のいちばんてっぺんにはラクダの番人で泥棒の老人がすわりこんで藪にらみの眼光を明滅させていた。先祖たちは、霊験あらたかな土地を買い占めているつもりで「この土地を買い取る者には必ず凶運が来る」と陰口された土地ばかりを我が身に吸い寄せていた。代々にわたる地霊の超自然な存在による庇護の正体は、性根の腐った霊の大所帯のでたらめ適当きまぐれであった。家族どもが地上から消えてなくなるや否や、霊はみんなどこかへ姿を消していた。 
 麗子は、廃園の土地の底でカラッポな椅子の群をさらした地霊の楽屋に、廃園の地を囲むK…町の地霊の公爵邸で厚遇されているコック長をなげこみ、そして東京の地霊が後宮に棲まわせて、旗本の能楽師並みの特権をあたえている何人もの愛妾をなげこんだ。その力を貸してくれたのは、麗子がブラヴァツキーHelena Blavatskyとの霊的会話のなかで紹介してもらったロシアの妖怪の何人かだった。廃園は息を吹き返す、かがやかしい街へと。
   
 街なかで、レイコ・ブラヴァツキーの先祖がロシアに建てた農奴劇場で豪奢な衣裳の合唱団にうたわせた露西亜語の『メサイヤ』の詳細な上演記録をはじめロシアの15県に所有していた領地からの地代ありったけを蕩尽し皇帝皇族の嫉妬を買ったほどの宇宙論的に華麗な舞台公演かずかずの記録を詳述した小さな本を買い求めると、手乗り文庫はロシア貴族劇場の壮大さに酔い痴れ、自分が劇場のうまれかわりであるのだと盲信する。文庫は 表紙がエンボスに 天も地も 小口も 天鵞絨彩ビロードいろどりに 粧飾した  自 分 を 飛 び 出 し 絵 本 に 化 身 さ せ る。  
 日傘で悠々と闊歩する方角に築かれた、サイレント映画を専門に上映しつづける映画館で『ファウスト』をピアノ伴奏つきで観、次にむかったその場所の、腐食の具合たるや聖牌に刻まれて向かい合うさながらヴェヌスの猥褻愛とタンホイザーの冒瀆愛の横顔を窓にも扉にも供物台の飾りのように刻み込んだ3階建築の小劇場へと踏みこみ、「死のゆび」という曲が演劇の中核になった舞台公演の、おそらくは初日に遭遇した。「死のゆび」はレイコも知っている曲だった。淫靡で華麗な歌詞と音楽との、不純な手のとりあいが生んだ感銘度が理性を宙吊りにし迷走へといざなう味わいは比類も無かった。公演は曲名と「2021年」をつなげてタイトルにし、「2020年代の疫病以降、私達はかつての社会を複製した世界へと移住し、角としっぽと翼を生やした」と公演台本のセリフの一部を副題にし、劇場のまえではその副題が客入れの掛け声になって響きわたる。舞台発声と拡声器をつかった声が否応なく冴えわたる。客はみな2020年代には冬でも夏でも年中にわたって誰もがいついかなるときにもつけていたという風邪マスクを装着し、会場へと入っていった。感染症に罹らずにパンデミックを乗り切った思い出を膨らませて2020年代当時を懐かしむ客や、レイコと同じくらいの齢の10代の客の風邪マスクの鬱陶しさへの訴えを横切り、最高級の生地で織った戦記絵巻装飾の自家製マスクをつけ、この劇団の持ち味だという既存の権威をこえた水位での狂気すれすれのいとなみに劇団の意図を超えて淫した一団が会場を悠々と闊歩する。水溶液化したゴシック宮廷の暗闘がしみついた絨毯水面の刺繍の謎絵の鏡張りから頭と胴体を生やした一団の頭上から溶液の大粒の黒い血玉がその黒さを青く濃くしたたらせ、妄想の領域に閉じ込められたパンデミックの阿鼻叫喚がぶあつい刺繍マスクととともに虚無をみすえる目の、爛熟したペシミズムへと降りそそぎ、チケットを買わずにあがりこんだ顔が無蓋なレイコの眼と正面衝突した。
 レイコには今が、2021年からはるか離れた西暦2046年であることに特段の感慨があるわけではなく、マスク姿が強烈な一団に対して、麗子には憧れであっても憧れるだけでしかないブラヴァツキーのヨーロッパの幻覚を見たので、気おくれを味わったのだが、同時に家族どもが2022年に大がかりな詐欺の被害を受けたことを思い浮かべていた。
 旧華族の伯爵家を自称する人物が、京都在住のまちがいなく本物のアフリカ王族の末裔をともなって訪れ、ドイツあたりの、どこかの一帯を所有し王政を復古させる正当な権利があるのだと、家族どもに信じ込ませたのだ。相手に信じたいことを信じ込ませる詐欺師の弁舌の説得力。もっともらしい旧華族の証明。詐欺師がつれてきたアフリカ人はオーダーメイドな身なりに耳毛をちらつかせながら、絶対と無謬をほこる代々の先祖をとりまく廷臣と側室の数個師団と王母や王弟や聖職者や寵臣たちの権力劇がくりひろげるハムレットの疑心暗鬼とオレステスの復讐心さながらのデモーニッシュを京都弁でよどみなくまくしたてたので、万事において大袈裟を好む家族どもが騙される舞台はちゃんと張られていたのだが、決定的だったのが、その詐欺師が感染疫病対処の真面目さと対面者への誠実をうそぶく、清潔な医療用マスクを端正に嵌めていたことだった。アフリカ人は口承こうしょう文化圏の神の子の末裔にふさわしくよくしゃべっている間ずっとマスクをつけていなかったとか、その元アフリカ王族は詐欺師が自分の清潔感誠実さと対比させるためのいわば当て馬であったのだとか、インターネットでも当時の騒ぎの記録は虚々実々な長文怪文で閲覧できる。するとおどろいたことに、既に佳境に入った舞台のうえで、カゾクどもが恥をさらした、当の詐欺騒動が始まったではないか!いやもう、その騙されっぷりときたら...
 舞台を観るまえに観たサイレント映画『ファウスト』の画面からついてきて、モノクロの画面に、伴奏ピアノを従えたメフィストフェレスがレイコの横にすわって教えてくれた。この場面は実によく調べて造ってあり、脚本家のセリフは家族どもから聞き取ったり現場の密談をじかに盗聴したかのようにリアルであるのだと教えてくれる。
 おやおや家族どもが、西洋鎧(みたいなもの)を着始めた。軽い材質で出来た馬上槍みたいなものを振り回している。そして重い材質の、西洋博物館と犯罪博物館の陳列品みたいなもののうめつくしが場面の見せ場でいっせいに倒れたのだが、それは演出ではなく公演事故だった。客の目のまえで倒壊がうみだした粉塵が炎の音を立て、粉塵の幕のなかに、落下した魔術師の人肉人血の地獄墜ちの一群が能楽でえがく仮面劇の一幕を。幕は、能楽の衣裳のいかずちの夜にさらした色彩を吸って、粉塵のうごめきと綯い交ざった縞もようの蛾の輪舞を発し、さながら影絵の虎。レイコは客たちの生き身と一緒に、死者の大笑いを爆発させた。

 詐欺騒動の場面でのアクシデントの嵐が過ぎ去り、ステージにはダンサーが結集する。ステージの空気が、垂直に引き締まるのが、死者の視神経にもつたわってくる。「死のゆび」の前奏が、ピアノで響きわたった。

後篇その2 2


 歌声とダンサーはみんなが女の子だった。ツノと尻尾と翼に、清潔な学生制服をまとい、獣性に回帰し、幸福にみちた可愛さではなく矛盾にみちた華奢に覆われていた。 
 観客が目をひらく。その視線がダンスの全身にかよった血と感銘でえがきあげた、夕ぞらの刺繍カーテンの布の乳白色に触れて這いまわる。乳白色は、無鉄砲にあかるい希望をしめすようないろに締め上げられて皺のすじをうかべ、K...町と東京の老廃な我が身のなかに、なんとも不可思議な、酸味を分泌し続ける、わかわかしい緊張した力が潜むのをあじわった。人を誘惑し脳膜を焼き尽し昂奮へと強制させてやまない締め上げられた布と皺に、だれもが焼けつくような、金色の、若く緊張しつづける視線を食い入らせていた。誰かの漫画にこんなセリフが出てきた。「窃視者には年齢が無い」。ダンスのちからが、世界をさかさまにえがき、ゆびから媚薬をしたたらせるのを目撃すると、幻覚に囚われた青年の目の脈管は憤怒のような活気にみたされ、目をつかさどる筋肉は弾力に溢れ、感情はローマの帝国的繁栄をきわだたせる大火のように燃え上がった。生き生きと、焼けつくような、幾万本ともしれぬ針の視線が、布を突き、皺のすじを突いた。

後篇その2 3 (2)

壊爛(かいらん)の バビロンめがけ
蜘蛛の巣めがけて ダイビング
夕空のカーテンに くらくら 浮かぶシルエット
寝台から這い出した白蛇(はくじゃ) しろへび
粘りきった蜜を しゃぶって しゃぶって
ゆらめく
まだらいろのよこがお
金色の目で ゆびさきを追いかける
媚薬は苦く
水銀のしずくを
打ち鳴らす

死のう 死のう




 芝居に紛れ込んでいた死者たちが、地獄の視力で麗子に気が付き、駆け寄り、麗子の手をひっぱって、ステージのうえに麗子を上げた。引き上げられたカーテンのむこうからまず初めに香りが来た、ついで蛇のしろい肌の、苦く甘い締めつけが。「死のゆび」のピアニストが、メフィストフェレスを躍動させるサイレント映画「ファウスト」の伴奏ピアニストと同じシルエットを放つのがみえる。ピアノが水銀のミルククラウンを聳やかす。麗子は媚薬の海に沈んでいく、沈んでいく。  
 舞台のうえでは麗子を中心に芝居全体が水銀の水滴の密度で凝縮していた。芝居は、生きている者を煽るストーリーを脱ぎ捨て、媚薬の苦みに沈んでいく麗子に、照明を当て、うたごえと舞と音楽を集中させていた。しかし誰もが、生きている目をひろげていて、死者の眼で観ている客は誰一人いなかった。
 メフィストフェレスの顔が麗子のねそべった耳をあまく噛んだ。顔面が水面をえがき、水底からメイドの顔が浮かび上がる。
 

 途端に、すべては廃れた敷地へと戻る。   
 
 洋館の廃墟の敷地に、善も悪もすべて奪われていたK…町と東京は、風が吹いて眼も開けられない様なひどい埃が夜の巷にひろがっていた。

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