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どちらも美しいという話 | 凡人が箱根花柳界から#5


凡人が花柳界に触れ、感じことや学んだことをつらつらとシェア。
箱根の花柳界を生きる人たちを、あなたもきっと好きになる。

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才能?努力?
先天的?後天的?

あなたはどっちだろう。

自分の才能を信じて生きる!
自分には努力しかない!

才能には勝てない、、
努力には勝てない、、


もう、それはそれはたくさんの説や言われが世界に溢れているので、
何が真だという結論は私には出せない。

ただ、芸達者な人、というのがいて、
その人は才能に謙虚で、努力を楽しんじゃってるようだ。

芸者の優美子さんと関わるようになって、才能と努力について考えさせられる。

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優美子さんとの初めましては、コロナ前にMeet Geishaの現地ショーで
訪日ゲスト相手に司会として通訳をしていた時だ。

ショーの途中で芸者さんとゲストとのおしゃべりの時間があるのだが、優美子さんはペラペラ〜と流暢な英語で説明をしてくれた。

「芸者」という日本的な、かつ私にとっては当時、非日常だった存在から、発せられる「英語」という音は出てくることを想定していないものだった。
なぜか少し神秘的だ、と感じたのを覚えている。

優美子さんはアメリカの帰国子女で、日本に戻られてからも勉強をされ、英文科の大学を出ており、翻訳のお仕事もされている。だから当然のようにペラペラだ。

で、彼女は芸者(踊りをする人:立方)であり、地方(三味線を弾く人)であり、置屋の女将、つまり経営者である。
「仕事にできること」をずいぶんたくさん持っていらっしゃる、とても多才な女性だ。

ちなみに胡弓という擦弦楽器(弓で絃をこすって音を出す楽器)を弾かれるのだが、これがなかなか習得が難しい日本の伝統的な楽器のひとつだそう。
「はじめて見た時は三味線の赤ちゃんのようで、なんてかわいいんだと思った」と話してくれた時の笑顔は少女のようだった。

優美子さんは、才能もあるし、努力もしてきた人。それを強く感じさせられる。

趣味で日本舞踊を楽しんでいたお母様からの紹介で8つの頃に始めた日本舞踊。当時日本舞踊の世界では、三回習って覚えられなかったら才能が無いと言われていたが、優美子さんは10代で師範の資格を取得し、趣味で続けるつもりだったが、踊りの先生になるにあたり三味線をはじめて、胡弓も弾けるようになって、、

芸事の才能があったのだろう。

しかしそれを支えた努力の多くは語られることはなく、美しく影に隠れている。

「通訳は喋るのが遅いから向いていなくて、、」とニッコリされて
翻訳をプロでこなせる英語力があることに対しては、とても謙虚だ。

「三味線に毎日触れてたいから」と好きなことをただ選んだだけと言わんばかりにこれまでの努力や、これからも、し続けるであろう努力については、前向きでとても楽しそうだ。

大好きなことを続ける努力の姿は明るく、多芸多才な優美子さんは美しい。


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