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生きる事が下手な話を人にして、昇華したい話。

どうも久々に「舟を編む」を読んで、職場で泣いている女です。 「より」を付け忘れて追加で送るような人はぜひ読んでみて欲しいです。

何かと人が生み出す言葉に一喜一憂していますし、自分が生み出す言葉の是非について生み出すまでも、発しても尚悩む事が多々あります。1つの助詞とってもその是非について考えます。また、形に残らず声で発しても、メールやライン等で形の残る文字として発しても気になって気になって、その一言一句についてずっと考えています。
だからこそ、大切な人へ送る言葉は出来る限り最善の言葉を用いたいのでゆっくり考えたいし、ファンレターは下書きして読み直して清書書きを行い数日かけて完成させます。
ただ、(良くない意味で)返信に困る物事に対しての返答もまた、返信が遅くなるので傍から見れば境い目が分かりにくい所が難点です。なので、私のラインの返答が遅ければ遅いほど、私が考えに考え抜いて返信をしている事を理解してくれる人と生涯仲良くしていきたい今日この頃です。
他のSNSは基本全体(主にフォロワー各位)に向けてですが、ライン(特に個別チャット)は明らかにその相手に向かって一直線のため、自分もお相手も逃げ場がありません。そのため、一言一句選んで悩んで試行錯誤して送りたいし、悩んだ末にスタンプを1個送るときもあります。
ただ、この話をしても共感してくれる友人はほぼ居ないですが、長年の付き合いの末に理解してくれる人ばかりなので、ゆっくり返事を返して行こうと思います。からのこれ。

ノリと勢いで会話した結果だと供述しており...

タイトルのとおり、自分が自分に対して「生きるの下手だな!!!」と思ったことをまとめてみます。これを読んで、どこかの誰かしらに笑いでも癒やしでも共感でも何でも良いので、少しでもお届けできたらと思います。


地元のバス停で逆方面のバスに乗る

最寄りのバス停で乗り遅れたために、何度利用した事か分からない位には利用しているであろうバス停に走りました。そもそもバスの乗車時間を調べていたにも関わらず、のんびりお茶を呑んでいたら乗り過ごす方が人として駄目なんです。加えて、田舎だしどうせ少し位遅れてくるやろと浅はかにも見込んでいたら、定刻通りに来たバス。どう考えても私が悪いです。
そして、いつも乗る側のバス停に立ってバスを待つことにしました。
すると、反対側に来たバスの案内表示に釣られて駆け込み乗車して座りました。
時間調整中だったようで、停車していたところに、別の乗客が来て行き先を確認していました。そう言われてみると...と思い、運転手さんに行き先を確認したら、案の定逆方面へ行くバスだったのでそそくさ降りました。
結局、いつものバス停を案内され、数分後に来たバスに乗って友人との待ち合わせに間に合いました。ちなみにこの時の最終手段は徒歩(約30分)なんですけど、先日回り道したり通話しながら歩いたら、1時間半かかりました。マジック。

目薬をする時にマスクを外す

疲れ目に効くと謳った目薬を眠気対策によくさしているのですが、絶対に不要なこの所作。ここ最近、ほぼ毎回しています。マスクをしていてもいなくても目は出ているにも関わらず、目は覆われていないのに、何故か無意識にしてしまいます。
もっと重症な時は、マスクを外して目薬を顔にふりかけている時がありました。ちなみに一滴も目には入りませんでした。何故だか目から涙が出ました。

「何でだろう?」が止まらない

人から見たらどうでも良い事に部類分けされる事でも気になってしょうがない性分です。良くないのは、近くに人がいたら、その人にも聞いてしまう事です。特にお互い知らない事だど、絶対答えが見つからないので不毛な会話になってしまうので、人に聞く前に調べる癖をつけたいと思います。
ここ最近だと、何故七夕に人は願いを祈るんだろうと思いました。神社はお賽銭という名の対価を支払っているのでまだ分かります。でも、七夕に対して一銭も投資していないのに、勝手に短冊に願いをこめてお願いするのは勝手過ぎるのではないかと。織姫と彦星もいい迷惑ではないかとふと思いました。この話と「織姫と彦星って年一回ほぼ確定イベで逢えるなら、遠距離恋愛にしては、何気に好条件では?」という話を初対面の人にしたら返答に困られていました。そりゃそうだ。
また、数珠つなぎのようにどんどん深みにハマっていくので、調べれば調べる程疑問が増えるというジレンマ。今ふと思ったのが、「クリーム色」は皆々肌色のようなベージュのような色を想像しますが、抹茶クリームは緑だしショートケーキの生クリームは真っ白だし、このクリームは一体何のクリームの色を指しているのか、世界共通認識の色なのか、はたまた疑問が止まりません。

自分の価値を低く提示して、他人からよく見られたい

人に自分の事を過小評価してもらった上で、正当な評価を受けたいと思う時があります。嘘です、常日ごろから思っています。平たく言うなら、「ヤンキーが雨の中、子犬を介抱する姿に胸を打たれる」に近い部分があります。元の評価があまり良くないと、失敗をしても「思っていた(過小評価が実質本来の評価)とおり」となり、誰にも叱られることはありません。ただ、成功を収めると「元の評価(過小評価) を超えて、凄い!」もなると考えてしまいます。故に、人(距離感関係無く四方八方)に対しての、自分の価値への謙遜は怠りませんし、敢えて自分の価値下げを行う事により、自分の身を守ろうとする浅はかな人です。
ただ、ふと「私友達いないから」という話を鉄板トークのように距離感遠目の人々にしていたのですが、自分のスケジュールを見直してみると、ほぼ毎月遊ぶ友人が4名、年に数回遊ぶ友人が数人います。充分に居るであろう友人に失礼な事を言ってきたなと反省しました。これからは、「私友人少ないから」に言い換えしようと思います。多くはないと思うけど、私には十二分です。 カレンダーを見たら、7月はワクチン接種日以外のほぼ全ての週末に友人と遊ぶ約束をしていました。驚愕です。
また、この話とほぼ同義ですが、人に対して「私趣味と呼べるもの無いから」と言いがちです。下記記事にも書いていますが、「趣味です」と相手に対して提示して、万が一自分よりも相手の方が詳しかった場合かつ相手にとって趣味にも満たないものであったり、優先順位の低い趣味であった場合、私の立場が無いという自己防衛的な考えがあって、中々気軽に言えません。

ただ、日々の話を周りにしていると、「めちゃめちゃ趣味あるじゃん」と言われます。
確かにカメラを持って、職場の方のお子さんやその友人達(親以外面識無し)を撮影しに、1人で片道1時間かけて大会を観に行ったりしましたし、聴いているラジオ番組のパーソナリティの番組の聖地に行きたくなって東北へ行く旅行を企てるし、ライビュ後にDJ中村ポーズで友人とプリクラを撮るし、集中豪雨の日に屋根があるからという理由で片道3時間かけて友人と鍾乳洞に行く人です。今回のサムネはその鍾乳洞での写真です。暗闇でのカメラ撮影は初めてだったので、レタッチ含めて勉強になりました。でも、ふと思うと、屋根があるという理由で地元のイオンに日和ることなく、鍾乳洞をチョイスした自分の感性、イカれているけど大好きです。
そして、書きながら「趣味というカテゴライズをしなくても、毎日楽しいからまあいっか」という結論にたどり着きました。ちなみに直近の楽しみは、ナンバーショットで何を着るか、ネイル何色をするか問題2022夏です。

映画の前売りを買った上で、上映が終わる

珍しく映画の前売り券を買って、公開を半年前から楽しみにしていたのに、仕事と他人との予定を詰め込み過ぎて、地元での上映が気付いたら終わっていました。そんな事ある...??手元には使われなかったムビチケと前売りの特典カードだけが残りました。
公式にお金を落とせたと思って、配信があることを切に願うばかりです。

書き出せばキリが無いので、また書き溜めて投稿したいと思います。

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