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With コロナで変わった世界に、keiさんが届けたい“愛着体験“【#わたしたちの厄年 インタビュー】

この記事は、2021年に本厄をむかえたライターふたりによるインタビューサイト『わたしたちの厄年』に掲載した内容を、一部再編集したものです。現在、サイトの公開期間は終了しており、noteでのみ記事を読むことができます。内容は原則、公開当時の情報になります。

コロナ禍直前の去年3月、カナダから帰国したkei さん。

今年本厄の彼女ですが、それを感じさせないくらいのパワーあふれるお話を新緑の中で語ってくれました。

コロナにも本厄にも負けない、keiさんが届けたい“体験“とは?

「1人でも生きていかなきゃ」とカナダで過ごした1年間

ーー去年の3月に1年間のワーキングホリデー※(以下ワーホリ)でカナダから帰国されたkei さんですが、そもそもなぜ海外にいこうと思われたんですか?

※ワーキングホリデー
18〜30歳の日本国民が日本とワーキングホリデー協定を結んだ国に1〜2年の間滞在できる制度。その間に就労、観光、就学することが許されている。海外留学と違い、海外で働く貴重な機会を得られるため、ワーキングホリデーを選ぶ人も多い。
(参考URL:https://www.jawhm.or.jp/step1.html 一般社団法人 ワーキングホリデー協会)

一言で言うと、1人でも生きていけるように、です(笑)

ーーというと……?

20代の最後に母と海外旅行に行ったんですけど、そこで母に「写真撮って欲しいってお願いしてきて」って言われたとき、ふと、あれ?なんて言うんだっけ…?って分からなくなったのがきっかけです。

その時は母もいたのでなんとかなったんですけど、そんな中でもし母がいなくなったらわたし何にもできないな、って極論ですけど気づいてしまったんです。
わたしの母は英語も中国語も喋れるので。

ーーむしろ英語も中国語も話せるお母様が素晴らしいです。
けどたしかにそんなお母様がそばにいたら普通に頼ってしまいますね。

そうなんです。なので自分1人だけの環境をあえて作って、1人でも生きていけるようになろうと思って色々調べた結果、ワーホリにたどり着きました。

ワーホリは対象年齢が30歳までとそのとき知って、今しかないじゃん!って思って日本を出ました。

ーーワーホリが30歳までなことをお恥ずかしながら今知りました。けどそこで決断される勇気がすごいです!

ほんとにタイミングが良かったんです。
このタイミングを逃したらもう海外でワーホリできないの!?今行かないと!って思ってました。

ーーちなみに海外留学ではなくワーホリを選ばれたのはなぜですか?

海外では英語を勉強する以外にも、自分でお金を稼ぎたかったんですよね。
普通の海外留学だと学生ビザなので基本的に向こうで働けないんです。

ーーなるほど。まさに1人で生きていくための修行ですね。
実際に向こうではどこで働いていたんですか?

パンケーキ屋でレジとバリスタをやってました。

ーーかっこいい……!

でもレジは最初緊張しました〜。慣れてしまえばルーティーンワークで、使うセリフも同じなんですけど……それでも電話だけは最後まで慣れませんでしたね。

ーー電話は日本語でもたまに聞き取りにくいですもんね。

何言ってるか全然分からなくて同僚に代わってもらったりしてました(笑)

ーーちなみにもう1つの目標としていた英語は結構話せるようになりましたか?

一応、生きていくのに困らないレベルにはなりました(笑)

向こうでも3ヶ月、語学学校に通っていたんですけど、なるべく日本人以外の人と話そうと決めていて。

おかげで英語を話すこと自体には抵抗はなくなりましたね。

ーーすごい!ワーホリ後は元々日本に戻ってくる予定だったんでしょうか?

いえ、ほんとはアメリカに行って仕事したかったんです。
だけどちょうどアメリカでコロナが感染拡大してる頃で……。

今アメリカに行っても仕事ないし、どうしようかなと思っていたら、母親がやっている仕事がかなり忙しいと聞いて、とりあえず手伝うために帰国しました。
今はそこで営業兼広報として働いています。

コロナ禍でも時間を無駄にしたくない。
自分でサイトを作れたら世界中に発信できる

ーーもともとお母様の会社だったんですね。

正確にはわたしの祖父の代のときの会社で、元々はOEM(受注生産)で海外の自社工場でタオルを製造して出荷するのがメインだったんです。

けど最近、長年のタオル作りを活かして「育てるタオル」という自社ブランドを立ち上げていて、今わたしが営業で扱っているのもこの商品になります。

表参道にショールームも去年オープンして、今年(2021年)の2月に1周年を迎えることができました。

ーー実はわたしはkeiさんにお会いする前から密かにこのタオルのファンでして。去年まさに遠方に住む友達の誕生日プレゼントにこのタオルを贈らせていただきました。
最近は雑誌などで広告も結構お見かけする気がします。

ありがとうございます。
わたしが前職でメディアへの宣伝をしていたのも活かして、最近はテレビや雑誌などで取り上げていただく機会も増えてきました。

ーーたしか前職はレコード会社でしたよね?
勝手ながら結構お忙しそうなイメージがあるのですが……。

前職は自分の部に所属するアーティストをメディアに売り出す仕事をしていました。

入社当時からいい邦楽を海外に広めたいという夢があったのですが、結構朝から晩まで働いてましたね(笑)

けどほんとに音楽が好きだからできましたし、仕事が半分趣味みたいな感じでした。
新卒で入社してから8年間働いていたのもあって、現在も前職の人と会ったりしています。
辞めてからもそういう関係を今でも持てているのはありがたいですね。


ーー前職の経験も現職で活かされていたのですね。
とはいえ現職も営業と兼務でお忙しそうですが、keiさんも今年本厄ということで何か変化はありましたか?

実は……年明けすぐに風邪を引いてしまって、そのあとも腰を痛めたりしてました……。

ーーなんと!もう大丈夫なんですか?

鍼治療を数回してもらったらすぐ良くなりました。

在宅でローデスクで仕事することが多かったので、それが原因かなと思っているんですが……同僚に「厄年ですか?」って聞かれてそこで今年厄年だと気づきました(笑)

ーー気にしていなくても、1回気づいてしまうとちょっとその後は気をつけて過ごそうかなって思っちゃいますよね。

そうなんです。正直厄年はそんなに気にしてなかったんですけど今回のこともあったので、ちょっと厄除けにも行こうかと悩んでいます(笑)

ーー是非お身体は第一で……!
ちなみにわたしがkei さんにお会いしたのは帰国後で、デザインやブランディングを学ぶオンラインスクールがきっかけでしたが、そこでも「育てるタオル」のLPサイトを課題で作られてましたよね?

帰国したのがコロナ禍の頃だったので、あまり外出もできなくて……でも時間が空いてしまうのはもったいないし、何かスキルを身につけたいなあと思っていて。

そんなときWEBデザインを学んで自分でHPを作れるようになったら世界中どこにいても物は売れるんじゃないかな?と思って勉強し始めました。

タオルを単なる消耗品としてではなく長く愛される商品にしたい

ーーkei さんの中にある、日本国内外問わずいいものを広めたいという気持ちがひしひしと伝わってきます。
ワーホリ後はアメリカで仕事をする予定だったとおっしゃっていましたが、海外でまたお仕事したい気持ちもありますか?

行きたい気持ちもありますが、今の最終目標は「育てるタオル」を海外で売っていきたいと思っています。

コロナは海外でのおうち時間も変化させているんです。
実際にコロナ禍になって日本のスリッパを使いたいと、アメリカやフランスなどから発注が増えているというニュースもあったりして。
それならゆくゆくはタオルも単なる消耗品ではなく、長く愛される商品として使ってもらえたらいいなと。

ーーコロナ禍直前まで海外にいたkeiさんだからこそ分かる気づきですね。

わたし自身、家でもこのタオルを使っていてその良さも体感していますし、商品についての知識も身についてきて、各現場を見てまわることも多くなってきました。

アメリカ向けのサイトを立ち上げたところでもあるのですが、まだ宣伝が足りてない部分も多いんです。
なのでゆくゆくはそのサイトも含め、他の国でも展開できるようにしていきたいと思っています。

ーーワーホリでの英語力と帰国後のデザインの知識をフル活用した海外展開……!個人的にこの商品のファンとしても今後が楽しみです。


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インタビューサイト 『わたしたちの厄年』より


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