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学びすぎると死にたくなる問題とイベントご案内

※だらだらっと自分の心地よさをそのままに書いてます。

おのれの学び環境

やりたいことのために、やらなきゃいけないことが生まれるっていう感じなんだけど、それが多くなりすぎると、やりたいことがやれなくなるってゆージレンマは、不況サイクルに似ているな…と感じる。ようは、箱の大きさの問題だ。わたしの箱が小さいのだった。

そんななか、ゆるくて、心地よい某氏の喋りの中で、楽しく学べる午前でした…。知らんかったわー。みたいなことって、衝撃的である必要なくって、こんな感じのゆるさが、めちゃくちゃわたしにとって、心地よく学べた。

自分が欲しい学びがはっきりしてるからなんだろうなぁ。一方通行でも聞いちゃうもんね。そこには、興味があるからという意識立てをしてるからなんだ。

グラフっていいよね

直線と直線の交わる点部分とか、曲線と直線が交わる点と点の間にできる膨らみの形状だったり、全ては交わる前提であると、点をもとに、前か後ろか右か左か上か下とかを見極めてけばいい。グラフって本当に素晴らしいね。考えた人最高だろ。

グラフ的な見方をしつつ、自分の学んだ結果から価値を見出したり、考え方変えたり、行動に移す際に、それ以上に知って、もっと得しよう、大きくしよう、広げたろうってすると、途端に点が結べなくなったり、線と線の差が開きすぎて遠くなっちゃったり、逆転しちゃってたり、黄金比的なものから離れてっちゃうのもすごい。それってのは、AIの過学習にも似ている。学習しすぎると精度が出ない問題ね。

学びすぎると死にたくなる問題

わたしは、学ぶことは案外好きだけど、冷めてるとこがあって、熱量はあまり出せないので、スピードとか量とかはあんまり出せないタイプで。

学ぶことは大切だが、学びすぎると死にたくなる時がある。(あった)

いつからか、死ぬほど読みあさってた本を読まないようにわざとしたり、人の話を聞かないようにしたり、人が何してるとか、一般的に言われるリサーチやマーケティングってやつをしない主義になった。(ただの根暗)

思考と思考が喧嘩して、へんな化学変化起こして猛毒になる。

それ以上の情報を入れないようにしようという判断すら、バランスって言って仕舞えばかっこいいけど、自分で思考して、どう行動に移すか?ということにこそ、自由選択があり、なおかつ、その選択ができるための比較対象を知り、さらには、使い方みちや、使い方も比較できるというのは、自分の幸せの基準を決めてく上で、すごく助かると思う。

自分の幸せの基準を決めていくために、学びはあるほうが良いけれど、学ぶ内容や学び方は、工夫しないと過学習になって死にたくなるなぁって。あれ、また死にたくなる話になったけど、「知らないことの価値」って、わたしは大事にしたいなと思います。

知らないことは、素晴らしいことなんだ。

知らないことの価値

知って欲しい!って思ってる人が多すぎるこの世の中で、「知らない」ということの価値を大切にして欲しいし、だからこそ、自分の幸せの基準を設定する上で、道具の使い方だけを知っておけば、知ろうとするときに便利だよってお話。

知らなくていいことで幸せなこともたくさんあるから。

だからこそ、知りたいことってことは、自分の中でものすごく見つけやすくなるんじゃないかなって。

知らんけど。

冒頭の絵は、絵心なんて学んだことのないわたしが書いた、昔見たアニメ「クリーミーマミ」です。冒頭用の画像が良いものがなく、知らないことは果たしていいのかを問いたいがために選びました。

本題

というわけで、本題です。(!)

イベントやります。進学校である東明館(キングダムの作者の原先生の母校)の理事長様である、素晴らしい人間性をお持ちで尊敬する荒井さんと、人間性でいうと、足元にも及ばないわたしのようなものが、一緒にお話ししようじゃないのよってゆー、オンライントークイベントが開催されます。

混沌とする現代の中で、どのように生きていくのか、そのためにどう学びの環境があると良いのかなんか、そんなお話をするんじゃないかなってイベントです。

ぜひご参加ください。


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