未知の道

小学生の時、将来の夢を書く機会があった。私は、医者と書いていた。当然、大人がいかにも喜びそうな回答だし、将来の夢が"ちゃん"とあるということで褒められた。
ただその時、とあるクラスメイトの男の子が、"ちゃんとした"将来の夢が決まってなかったから、悩んだ末、サラリーマンって書いて提出した。そしたら、先生は、"サラリーマン?!もっと他にないの??"みたいな感じの反応をしていたの覚えている。

こんな小学校の一見たわいのないエピソードを覚えているのは、私が先生の反応に少しの違和感を覚えたからだろうなと思う。

サラリーマンだって凄いんだぞ。

とくにこれは、小学生から成長した今だからこそより強く思うようになった。

就職活動を始めて、色々な業界だったり業種の存在に気がついた。

コンサル、M&A、投資銀行、データアナリスト、マーケター、人事、サプライチェーン、ファイナンスなどなど、正確にはこれらは並列に並ぶわけではないけど、私が知らなかった世界の話

もともと知らない業界もあったけど、知っている業界でも知らない仕事の役割分担があることを知る。そういう意味で、就活って楽しい〜

それと、もっと早く知りたかったな、知っておくべきだったなと思う。もし、高校生のとき、コンサルタントという仕事を知っていたら、もし、マーケターという仕事を知っていたら、今の進路を同じように進んでいたのだろうか。無知ゆえに自分の選択を狭めていなかっただろうか。

私は、自分の人生に関わる選択を毎回自分でしてきたつもりだった。だけど、それって単に視野が狭かったからその選択をしただけであって、それはつまりその視野の狭さを育んだ私の周りの環境がそれを選ぶように仕向けていたのではないか?と最近自問自答に陥る。

だって、数年前まで知ってたのは、有名な職業の人たちだけで、医者、警察官、弁護士、教師、薬剤師、研究者、不動産屋、ピアノの先生、不動産屋、、、こんな感じのちゃんと職業に名前がついてる人たちだけだったから。下手すれば、弁理士とかでさえ、高校生の自分は知っていたのかは怪しい。

でも、その視野の狭さを是正しなかった自分も昔の自分であると捉えるとすると、自分で選択したことになるだろう。そして、今後の人生でも必ずそういう場面はあると考えられる。なぜなら、人はそんな万能じゃないから。毎回毎回、取り巻く環境の全てを正確に把握してるわけじゃないもんね。だとすると、今後の自分が出来ることは、少しでも多くの情報を得ておくことなのだろう。

ただ、同時に選択肢を与えられ過ぎても幸せなのか?とうい疑問は残る。
もし、仮に絶対に叶えられない選択肢や別の幸せになれそうな選択肢を知ってしまったとしよう。その時は、叶えられない選択肢に対して羨んだり、別の道に進まなかった後悔をしてしまう気がするから、幸せになれないのかもしれない。
私には、この疑問の答えがまだ見つけられていない。でも、きっと後から選択肢に気づくいた時に勿体無いと思ってしまうから、私は選択肢を増やしていくだろうな〜

もし、冒頭のような小学生に出会うことが出来るのなら、胸を張って、今就きたい仕事が分からなくてもいいよと教えてあげたい。そして、自分が知っている職業だけに捉われず、幅広い職業があるから、視野を広く持ってねと言いたい。

そして、そもそも将来の夢=就きたい職業みたいになってるけど、本当は"お金持ちになりたい""結婚して幸せな家庭を築きたい""海外旅行いっぱいしたい"とか仕事に縛られない回答で全然良いし、むしろ、仕事を人生の中心に置きたいと思ってなければそっちの方が健全なのかもなと思う。

これらの意見は、今の私、キャリア形成をまだ始めていなくて、その方向性をいよいよ決め始めている私の意見。
今後自分が人生を重ねて、この意見がどんな風に発展していくのか、変わっていくのかが自分でも楽しみ。

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