デカカブトムシと、バトル

私は乗用車ほどの大きな藍色のカブトムシと戦っている。これは自転車で10分ほどの近所の公園に置いてあるオブジェクトであるのだが、突如として私に襲いかかってきた。いや、襲いかかってきたという表現はこのカブトムシに対して不誠実だろう。私がこれの縄張りに入ってしまったために、排除されようとしているだけなのだから。

一つ断るとするならば、これは現実である。現実であるが私にとっての、私だけの現実であり、他者から見たときにこれは現実ではないという事だ。つまり夢、明晰夢である。夢の世界だからといってそこが、少なくとも私にとっては虚構ではなく、全く現実の延長線上にあるのだ。

このカブトムシは私がこの地に越してきた、一年と数ヶ月前には公園にいた。私ははじめ、これを単なる遊具として認識していた。春には桜が、夏前になると紫陽花が咲き、気温が落ちてくると枝についた葉も色づき、下草も茶色に変色する、よくある公園にブランコなどとともに置かれているただの遊具であると。しかし、よく観察するほどにその認識は改めさせられる。まず、遊具としての機能は全くと言っていいほどにないのだ。タコなどの生き物をモチーフにした遊具は大抵滑り台の機能を持ち合わせ、そこに存在するだけの理由がある。具体的に言えば、公園を利用する児童を楽しませるという理由がある。このほかにもベンチやゴミ箱も同様に、公園に存在しうるだけの理由がある。どこまでも人間のために奉仕する存在としての役目を持っている。しかしながら、このカブトムシにはそんな理由づけなどなく、ただカブトムシである。かと言って、芸術的なオブジェクトなんて代物ではない。藍色の塗装はところどころ禿げ、灰色の地が顔を覗かせている。それに私は何度もこの公園に足を運んでいるが、児童や幼児がこのカブトムシに足をかけ、登っている所を見たことがそもそもない。繰り返すが、このカブトムシは公園という合理的な空間において、カブトムシであるというだけで存在し、その存在をアイデンティティとしているのだ。

その単なる存在としてのカブトムシが動き出した。私がいつものように夜の散歩のついでにその公園に入り、これもまた、いつものようにタバコを咥えながらカブトムシに登ろうと足をかけたときに突如として動き出した。昆虫特有の無機質な外骨格が、決して多くはない街灯を反射してじめじめとした光沢を放っている。六本の足の節を軋ませながらカブトムシは自立した。私も幼少期にカブトムシを飼育していたことがあるからわかる、これは明らかに威嚇だと。角を持ち上げ、前足を少したて、体を大きく見せている。ただでさえ巨大な体躯が私の目にはさらに大きく見える。

戦わねば

なぜか私はそう思った。思った時には体は動いているとはよく言ったもので、喧嘩も対してしたことがないのに直感的にボクサーのようなファイティングポーズを取っている。とは言え、私に戦えるような知識はなく、さらに人間が厳しい自然界を生き抜く術として開発した武器の数々は手に握られていない。それどころか、タバコに火をつけるためのライターすらない。このカブトムシが動く前までは持っていたはずなのだが。八方塞がり、これが私の置かれている状況だろう。私はこの巨大なカブトムシと戦わないといけないのだから。幸い、カブトムシの動きは緩慢だ。試しに拳を握り、不恰好に突き出してみる。おそらくカブトムシには傷一つつかない。それもそうだ。カブトムシは鉄、もしくはコンクリートで出来ているのだから。これもまたカブトムシの外骨格が非常に硬かったために私の拳にはかなりの痛みがある。もう殴る事はできないだろう。私にそれまでの気合いや根性は備わっていない。かと言って蹴ることもできない。私は生身でこのカブトムシと戦うのは半ば諦めていた。ただ一回攻撃が通用しなかっただけではあるが、その圧倒的なまでの強固さに戦意を失っていた。しかし、ファイティングポーズはまだ解除できていない。緩慢だと思っていたカブトムシの動きがいつの間に鋭くなっている。いや、鋭く動くのはその大きすぎる角だけなのだが。その角が私を持ち上げ投げ飛ばした。投げ飛ばされた私は私の身長より高く舞い、重力によって加速され地面に叩きつけられた。痛い。なんとか受け身らしき物は取れたため、腕や脚が曲がってはいけない方向に向いている事はないが、それでも痛いものは痛い。ここまで痛かった事が人生の中で一度もなかったことを幸せに思えるくらいには痛い。私はたまらずに逃げることにした。公園をナワバリにしているカブトムシは公園の外までは追ってこれまい、との考えから、無様にも這いつくばって逃げた。公園から出られる、そう思ってなんとか立ち上がり、公園の柵を越えた。その途端、私はカブトムシの前にいた。

戦わねば

私は先程、いや今敗走をした相手の前に再び突き出された。戦っても勝てないことなど分かり切っている。それでも戦う必要性を強く感じ、再度ファイティングポーズをとる。しかし、握った拳に力はなく、膝は笑っている。私は表面上は戦う姿勢を見せているが、それすらも崩れてきている。ファイティングポーズを取りながら、私は後退りをするしかない。未だにカブトムシの動きは緩やかである。私は唯一、ギリギリ残っている知性を総動員させて、逃げた。十分に距離を取って、明確な意思を持って逃走した。公園の柵を越えるまで、走った。逃げられる、と確信を持っていた。しかし柵を越えた途端、私は再度カブトムシと対峙することになった。

戦わねば

どうやらそう思わされているらしい。この試行回数でこの結論に達した。しかし、この気づきは何ももたらす事はない。私がこれに気づいたとて、公園からは逃げられず、目の前には私を加害せんとするカブトムシがいるのだから。それでも私は僅かばかりの思考を取り戻した。肉体的に勝てないのであれば、舌戦をしなければ良い事にも気づいていた。とっさに、

「話し合おう、私たちは分かり合えるはずだ」

と言っていた。カブトムシからの返事は当然ない。ないが、威嚇が少し治ったように思う。それを肯定の仕草だと思い込んで私は続ける。

「私が君のナワバリに入ったことは本当に申し訳なかった。しかし公園は私たち人間に奉仕するための施設だという認識だった。重ねて私の思慮の浅さをお詫び申し上げる。」

と言った。普段人に媚び諂っていたおかげで、謝罪の文がこんなにも流暢に出てくるなんて、と私は自画自賛をした。しばしの沈黙が流れる。とは言っても喋っているのは私だけでカブトムシは一言も発していないから当然だと言えば当然なのだが、私はカブトムシが考えているのだと思い込むことしかできない。しばしの後、カブトムシは

「いいよ」

と言った。そのまま角を持ち上げた。どうやら空を見ているらしい。それを私は許しの証だと解釈し、駆け出した。公園の柵を走りながらも、恐る恐る抜けると私は公園から出ることができた。私はこの恐ろしい状況から抜け出した事に安堵し、家に帰るべく自転車に跨ろうとしたが、自転車がない。自転車の鍵はあるのだが、本体がない。なぜかを一瞬考えたが、ないならないで仕方ない。私は歩き出した。

明らかに遠い。いつもであれば歩けば15分ほどで家に着くのだが、進んでいるはずなのに中々着かない。怪談でよくありがちなループを陥っているわけではない。それだけは確実だ。景色はながら、同じ風景に遭遇はしていないのだから。いくつかの川を跨ぎ、緩やかな坂を登って降りて、学校、幼稚園、コンビニエンスストア、銀行、消防署、タワーマンション、それと数多くのアパートや一軒家などの住宅の数々をとっくに越している。ようやく家についた。体感では何倍もの時間がかかっている。ようやくほとんど完全に安心して、ドアノブを捻るとカギが掛かっている。普段は鍵など掛けないのにである。しかし私のポケットには自転車の鍵が入っている。それを鍵穴に入れると、さも当然かのように解錠できた。家の中に入るとどっと疲れがでる。そのまま私はなんとかベッドに倒れ込もうとした。ところまでは覚ている。私は起きると頭痛がした。昨晩の夢が強烈に脳にこびりついている。この頭痛は私が夢の中でも懸命に生き抜いた証であるとして許容しつつ、部屋のドアを内側から確認する。勿論施錠されており、玄関の鍵の定位置となっている下駄箱の上には、家の鍵と自転車の本鍵と予備の鍵が揃って置いてある。私は安堵すると同時にこの現実に硬く拘束されている事実に少しだけ失望する。荒唐無稽な現実からの治外法権である夢の世界ではなく、ほとんどが予測可能な現実を生きなければならない事実に。鍵は確認した、その次は自転車である。アパートの駐輪場へと家を寝巻きにビーチサンダルを履いた状態で出ると外はまだ暗かった。外へ出て、階段の上から首を伸ばして駐輪場を見るが私の自転車はそこにはなかった。自転車がないと焦ると同時に私の心は少し踊っている。まだ夢の世界であるのだと。折角、夢の世界にいるだし冒険をしなければならない。そのまま私は階段を降り、外へ歩き出した。

外は先程カブトムシと死闘を繰り広げたものとは一変している気がする。無論夜であり、私は暗い街にいるのだが、その街がどこかおかしいのだ。私は公園へと向かう途中でそう思いながらも、確信が持てずにいた。たくさんの住宅がある事には変わりない。その住宅もアパートメントやマンション、一軒家など様々な個性を放っている事にも変わりはない。ミステリ小説に登場するような洋館もあれば、大量の人間を収容するタワーマンション、高床式の水害に強い住宅が建っている。勿論これらに何もおかしい点はない。そのまま歩みを進めて、先程カブトムシから逃走した道を逆走していると、ロケットのサイロや古墳が見えてくることも全く変わりがない。幼稚園から高校までの一貫の私立の教育施設があったり、24時間営業のディスカウントストアがあるのも当然の光景だろう。ただ、私はどこかがおかしいと思いながら進んでいる。公園が見える場所までくるとその入り口の手前に鍵のかかっていない、フローティングボードがある。私は安堵した。フローティングボードという高価なものを無くしてはたまらないからだ。公園の入り口まで来て、公園の中を確認すると先程私と戦っていたカブトムシはすでにいなかった。自我のあるカブトムシなのだから当然どこかに行ったのだろう。その代わりにその公園を支配していたのはマンホールであった。大量のマンホールの集合体が圧倒的な質量で存在している。その色や形は様々であり、いつも見かけるような正11角形のものだけでなく、立方体のものがあったり、ゲル状のマンホールまで集結している。マンホールは一つでは知性が少ないため、集合体を一つの個体として生存しているのだ。私はこれは公園に入るべきではないと判断し、フローティングボードの電源を入れてそれに乗った。私の左手には丸めた本が握られており、無くしていたはずのライターで火をつけ、知識を吸引しながら家に帰る事にした。どうやらこの本からは実存の破壊が学べるらしい。フローティングボードの記憶装置にアクセスし、家を選んだ。フローティングボードのAIはいつも最適な道を選んでくれる。最近は深夜でも、バイクや馬車、時空間転送機の渋滞が酷く、適当な道を選んでいると家の耐用年数を超えていて帰るべき場所がないなんてこともザラにあるからだ。フローティングボードは私の来た道を戻るのではなく、そのまま逆向きに進み出した。今日はどんな道で帰るのだろうと、期待しているとそのまま一気に上昇しようとしている。私は高いところが大の苦手なのだ。いくら安全な手段でも怖いものは怖いのである。上昇している途中でうどんに絡まってフローティングボードは止まってしまった。30mくらいしか上昇しておらず、飛び降りてもなんら問題ない距離なのだが、後々が面倒だ。麺類は絶滅のおそれがあるために自分で切除する事はできず、管理局に問い合わせをして対応してもらう必要があるのだ。その役所に明日電話しようと脳内の後付けメモリにメモを残しつつ、止まったフローティングボードから決死の思いで飛び降り、私は歩き出した。その頃には知識の吸引はあらかた終わっていた。この脳に知識が流入する感覚が忘れられずに、健康寿命を削り愚行権を行使しながらも本の吸引をするのだ。歩いているとメガロドンやデュラハンとすれ違う。たくさんの移民がいるが全員愛想良く会釈してくれる。現地民としてのプライドから、それ以上に丁寧な挨拶は忘れない。そのまま17分30秒ほど歩くと私の住むアパートに着いた。アパートのオートロックを舌の形の認識で解錠し、施錠されていない部屋のドアを開いて私はゴム粒子のシャワーを浴びた後にベッドに入った。随分と現実に忠実な夢であって、荒唐無稽なカブトムシとのバトルが恋しいが嘆いていても仕方ない。とはいえ、街がどこかおかしいなんていう妄想は私のどこから来た感情なのだろうと考えていたが、つまらない夢を見るのも因果律で決まっている事なのだろう、と思いながら夢からログアウトするために目を閉じた。

次の朝、つまり昨日から見て来年の3日に目を覚ますと世界は当たり前の夜だった。私は現実に帰ってきた。勿論夢なんてものはいくら修辞をして現実と同じ強度を持っていると言っても私は現実で生きなければならないのだ、なんてニヒルな感情になっていると、電信が来ていた。それによると私のモバイルスペースシップが化石で見つかったらしいのだ。いつもの事ながら面倒である。そちらで処分するなり部品を取るなり好きにしてくださいと返信を冷蔵庫に入れる。いくら役所仕事とはいえ、個人が無数に持つ宇宙船なんて勝手にしてくれと思いながら起き抜けに8つある内の一つの腕を食べる。いつもと変わらない日常に戻ってきてしまったことを後悔する。未知の世界に行きたいと思いながら毎回寝るのは楽しいが、どこか想像可能な夢しか見ることのできない自分に嫌気がさす。そんな思考ルーティンに入っているうちに夜が浅くなってきてしまった。まずい、私はやることがあったのだ。初等教育の前半である年齢だといっても大量の課題がある。それの提出が今世紀までだったことをすっかり忘れていた。もう間に合いそうにないがせめてもの悪意として、提出するかと諦めてダークマターと食欲を煮詰め始めて、上水に混入させて投げやりに終わらせた。とりあえず今やらなければならない事は終わったから隣の第三世界を訪ね、マスクの脱着を繰り返す遊戯をする。懐古主義と笑われることも多いが蒸気でリフレッシュするのは私たちの古来からの伝統だろう。そうしているうちに寝なければならないと脳内線虫が訴えている。ほとんど眠気のない私はたっぷりの覚醒成分の入ったソフトの注射を額にあったはずの目に差し、無重力空間の寝室へ入り、身なりを整えて機械化した下半身の電源を落とした。

起きるとそこは古いアパートの一室だった。間取りは1Kと呼ばれるものだろう。、私はこの世界が夢だと確信する。つまりこれは明晰夢である。荒唐無稽な夢の一員として組み込まれていることを嬉しく思う。それと同時にここは現実であり、この世界がどう変調してもこの世界を懸命に生きなければならないと覚悟を決める。私はこの世界が快楽に満ち溢れていても、苦痛しかないような世界でもこの世界を生きる必要があるのだ。ふと窓を見ると空は暗く灰色で豪雨で道ゆく人を見ると湿度、温度ともに極端に低いらしいことがわかる。私はなんと居心地のいいことだろうと思い、アパートの扉を開いて階段を駆け降り、自転車に飛び乗った。その起きた時の格好、寝癖が渦巻いて何年も着ている寝巻きのままで。しかしそれでいいのだ。ここは夢であり、現実であると同時に現実の治外法権なのだ。ここでは一切のしがらみがないのだ。私のための空間。それが夢であるのだ。私は今を最大限に生きようとする。自転車に乗りながら、タバコに火をつけ深く吸い込み、派手に咳き込みながら住宅街を自転車で駆け抜ける。もちろん読書のための本も忘れてはいない。私は晴れやかな気持ちでいつもの公園を目指した。

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