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訳語選びは悩ましい

専門用語に対してどの訳語を採用するか。翻訳本の編集では,その最後の最後まで頭を悩ませる問題です。

 複数の訳者陣による本では,訳者によって同一の専門用語に対する訳語が異なることは珍しくありません。そして,それに気がつかないまま校正が進んでしまうと,最後は慌てることに。本文の校正がほぼ終了する頃に「索引」を作成するのですが,その際に,そうした訳語の不統一が発見されることが多く,印刷スケジュールが迫るなか,大慌てで修正を入れるという惨事に見舞われることになります。『カンデル神経科学』の場合も,同じ神経科学といえども専門領域によって使い方が異なる用語はたくさんあるので,こうした修正時に細心の注意が必要なことは言うまでもありません。

 ただし,改訂の場合,初版作成時に比べると,訳語採用の統一作業はかなりラクになります。『カンデル神経科学 第2版』でも,初版における訳語の統一方針に則って翻訳を進めたので,最後のドタバタはずっと減りました。

 例をあげましょう。representationという言葉ですが,神経科学では一般に,「表象」あるいは「表現」と訳されることが多いと思います。初版作成時に,「表現」を採用することに決め,第2版でもその方針を維持しました。

 とはいえ,基本方針は統一しても,状況あるいは文脈に応じて訳語を調整することは必要になります。例えば,representationの場合,neural representationなら「神経表現」,internal representationならば「内的表現」とします。これらは問題ないのですが,representation単独の場合は,単に「表現」となるので,expressionと区別がつきにくくなってしまう,という問題が発生します。そういうときには,representationという英語をカッコで補ったり,周囲の日本語のテニオハを調整したりして,誤解がないように努めたりすることになるのです。

 この「表現」単独問題に対して,悩んだあげく,エイヤーっと大なたをふるいたくなって,例えばneuralやinternalが付いていないにもかかわらず,「神経」や「内的」という日本語を補って,「神経表現」や「内的表現」としてしまうという戦略も思いつくでしょう。しかし,この場合,「神経表現」と「内的表現」は,意味がほぼ同じとはいえ,研究領域によっては厳密な言い分けが必要な場合もあります(「神経表現」と,それに行く手前の段階である「内的表現」の区別が必要なときなど)。ですから,勝手にどちらかを補うわけにもいきません。

 訳語に悩まされる作業は続きます。

20220901   Yoshiko Fujikawa