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こんにちは。メディカルイラストレーター(MI)のロボです。

今回は私の生い立ちやメディックメディアに入社した経緯、現在の業務内容などをおはなしできればと思います。

【この記事のまとめ】

●理系絵描きの生きる道
●物作りの仕事にデッサン経験はあった方がいい!
●人を繋ぐ力が業務に活きる!

漫画やアニメに夢中な幼少期

私の出身は千葉の田舎。子どもの時からよく怪獣やロボットを描いて妄想に耽っておりました。
最初に作り手として影響を受けたのは藤子・F・不二雄さんだったかな。あとは水木しげるさんのゲゲゲの鬼太郎に夢中でした。

小〜中学生の頃は、鳥山明さんのドラゴンボールにハマり、たくさん模写をしたり、パロディーの漫画を描いたりしていました。
絵を描いていると常に友だちが話しかけてくれるし、先生も褒めてくれるので、それがすごく楽しかったです。漠然と「絵を描くことを仕事にできたらいいなあ」と思っていました。

当時から絵はコミュニケーション手段のひとつだった

理系ながらに絵の勉強

絵を描くことは好きでしたが、化学素材メーカーに勤務していた父の影響と、男は理系!という安直な考えから、高校は理系に進みました(理系科目自体は嫌いじゃなかった)。
一浪後に京都にある大学の理系学科に進学したのですが、入学後すぐにギャップを感じました。まわりの友だちや先輩たちは、本当に理系科目が好きだったし、当たり前ですが、それを職にしたいと思ってこの学科に入ってきていました。
みんなと比較すると自分はそこまで理系の職に就きたいわけではなかったし、人生設計を真剣に考えていなかったなぁと、気づかされました。

大学生の早い段階で悩めたことが、結果的によかったのかもしれない。

自分は将来何になりたいんだろうと悩んでいた時、宮崎駿さんの自伝本に出会います。宮崎駿さん自身も芸術系の大学ではなかったけれど、学生時代に画塾に通って毎日デッサンに打ち込んでいた、という記載が目にとまり、理系の大学にいるからといって、絵を描くことから離れなくてもいいんだ!と気づきました。そして、真剣に絵を描くことと向き合ってみよう!と決意します。

和気あいあいとやっているお絵かき教室ではなく、本格的にクロッキーや人体デッサンに力を入れている画塾を見つけ、大学に通いながら毎日深夜まで絵を描くという生活を4年間続けました。アルバイトもしながら、ヘトヘトになる毎日でしたが、芸術家の先輩たちと切磋琢磨した日々はとても濃密で、充実していました。

デッサンは業務に必要なのか

ここでちょっと話題が脱線するのですが、メディックメディアのMIになるのにデッサンを学んでいることはマストではありません。社内でデッサン経験者は3〜4人ぐらい。デッサンができなくてもメディックメディアではMIになれます*。ですが、私自身は、デッサンで培ったことが非常に業務にいかされているなと感じることがあります。
*メディックメディアのMIは、デッサンのノウハウよりも絵で上手く説明できる力や発想力を重要視しているため。

デッサンをやっていても、絵が上達するわけではありません。デッサンができる=絵が上手い、という考え方は違うと私は思っています。
絵の上手さ(画力)は、好きな絵を模写する、毎日意識しながら絵を描くことを続ければ勝手に上がっていくものです。あと才能です。

私は、デッサンは画力向上が主たる目的ではなく、どういうアプローチでモチーフを絵(2D)に落とし込むか、限られた時間の中でどういった手順で絵を作っていくかの“思考を学ぶ訓練”だと考えています。

1つの絵を描く時に、考慮すべきことがたくさんあることを知れるのがデッサン。

学生時代にたくさんデッサンに取り組んでいたおかげで、与えられた仕事への適応能力や効率よく制作手順を考えて実行できる力が付いたと思っています。また、描いた絵をみんなに観てもらい、先生から評価される経験を数多く積めたので、メンタル面でも大分鍛えられたなぁと感じます。そういった点で、デッサンはやっておいて損はないです。

学生時代の自分のデッサン

あと仕事で役に立つのはクロッキー(速描画)です。クロッキーは2〜10分の短時間で、モデルさんを描く訓練です。これを続けていくと、絵を描くスピードが速くなるのと、様々なポーズや角度での人体の見え方をストックできるので、仕事で人を描くときに役立ちます。
ササッと絵が描ける、頭にあるイメージを即座に具現化できるという力は、絵を仕事にするうえで大変重宝します。

学生時代のクロッキー

絵でコミュニケーションをとる

私が通っていた大学は規模が大きくなく、学科の人数は各学年で25人ぐらい。そのため先生たちとの距離が近く、学部が違ってもみんな顔見知り、みたいなところでした。
理系学科なのに画塾に通っていることがまわりに面白がられ、学生時代から、大学のパンフレット作りに携わったり、学科のホームページや学祭のポスターをデザインしたりしていました。

学生時代の制作物

私自身のキャラクターや性格もあるのかもしれませんが、人の話を聞き、思ったイメージをビジュアル化して返す、つまり絵を対話の道具にするというイラストレーターの仕事でとても大切な"コミュニケーション力”を、学生時代に多く養えたことは非常に大きかったなと思います。

短期間の海外留学も経験したのですが、そこで親しくなった文学部の教授の話についていくために、意識的にたくさん良質な映画を観た経験も、アイデアやイメージの蓄積につながっていますね。

人を知るために、その人が好きな作品などを見る、という癖がつきました。

こういった様々な物作りの経験と、まわりの人をどう喜ばせるか、どう期待に応えるかを常に考えていたことが今の業務の礎となっているのかなと感じます。

大学卒業〜メディック入社の経緯

大学生活も終盤になるにつれ、私もまわりと同じように就活を始めます。ですが、単純に絵だけで食っていくことが自分らしいのか、理系学科で学んだことも活かせる生き方はできないか、とまた悩んでしまいます。もう少し考える期間を作ろうと芸術系の大学院を受けますが、落ちてしまいます。

実家に戻って2ヵ月ほどぶらぶら過ごしていた時、たまたま医学部に進学していた地元の同級生とご飯を食べる機会がありました。そこでメディックメディアの『病気がみえる』を知ります。アルバイト募集ページの、「理系出身で絵が描ける人募集」の文言に、まさに自分じゃないか!と運命を感じ、興奮のあまり翌日、会社の門をたたきました

いきなり、アポ無しでポートフォリオだけもって会社を訪ねたのですが、今考えるとなぜあの時あんな行動力があったのか、不思議で仕方がありません(今でもネタにされることがしばしばある)。

第一印象は、やばいやつ来た。だった(byイラストレーターグループリーダーおにく

非常識な訪問にもかかわらず、寛容な社長とイラストレーターグループのリーダーに作品集を見てもらえました。偶然にもイラストレーターの人手が必要だったということもあり、アルバイトとして雇ってもらえることになりました。
数ヵ月間アルバイトとして業務に取り組んでいたら、実力が認められて契約社員になり、数年を経て正社員にならないかとお話をいただき、2016年に正式に入社、という流れで現在に至ります。

※上記は会社が今よりも小規模だった頃の超イレギュラーな対応です。メディックメディアへの入社に関しては必ず会社案内に従ってください。

というわけで、非正規ルートで試験を受けずに入社してしまったわけですが、今考えると毎日の業務がずっと試験のようなものだったんだろうなと思います。

今思うと、試験に受かったと思えるような記憶がない…(リーダー色々とご迷惑おかけしました)

今の業務とグループでの立ち位置

私のメイン業務は、イラストを多用した「みえる」シリーズの編集・組版や販促物の作成です。それに加えて、SNS活動や動画作成、会社のホームページ関連のイラスト、キャラクターデザイン…と、様々な物作りに関わらせてもらっており、たいへんありがたく、楽しい毎日を過ごしています。

会社で作ったものたち

作り手としてだけでなく、イラストレーター業務のマニュアル整備や後輩指導を経験し、今ではイラストレーターの仕事の割り振りなどを行うサブリーダーという立場になりました。
社内のイラストレーターは皆それぞれ得意分野をもっており、それを活かして活躍している人が多いのです。メンバー同士を繋ぐ存在として、各自の実力が遺憾なく発揮できるよう、グループ全体の志気を高めていければと思っております。

私自身とにかく物作りが大好きなので、業務以外にも同僚の似顔絵を描いたり、イベントで動画を作ったりしてます。今後も会社全体を盛り上げて楽しませていきたいです。

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