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ロンググッドバイ

母と地元のホールで上映された『長いお別れ』を観た翌日。

「おばちゃんから頼まれた買い物メモにマヨネーズと書いてあるけど、冷蔵庫にまだ入っとらんか確かめてきて」と、母より命を受け、1階に住む伯母のところへ。

「伯母ちゃん、マヨネーズ、まだ入っとらんかったー?冷蔵庫見てよかー?」と許可を受けて冷蔵庫を開けると…

緑・グレー・オレンジ・赤・ピンク・青…
と、そこに広がっていたのは、“あれ?ここはカビ研究所でしたっけ?”な、彩どり豊かなカビの世界。

とりそぎ、マヨネーズの有無を確認すると、1つ、2つ、3つ…賞味期限は2021年のものと2023年4月のものと2024年…
ちなみに、ケチャップは2024年賞味期限のものが3つ。

「おばちゃん、冷蔵庫、カビ生えたり、賞味期限切れたりしているみたいだから、一緒に片付けようか〜」と、急遽冷蔵庫のお掃除隊発動。

3歳の頃だったか、幼い頃の感染症が原因で脳性まひを発症し、知的身体両方の障害者手帳を持つ伯母。自立度は高いので、祖母が亡くなって(来月13回忌)からはずっと1階で1人暮らしといっても、2階には両親に加え、1年前から私たち親子も住んでいるし、同じ敷地内には妹夫婦も住んでいるので、ゆる〜くサポートしながら一緒に暮らしている。

のであるが、自立度の高さゆえにたまにうっかりする。うっかりすると、冷蔵庫のカビ研究所化のような、思わぬ世界が進行していたりすることもままある。

2023年7月の唐揚げはまだ可愛い。
2021年のもはやもうなんだかわからない惣菜。
2021年やら2022年やらの生卵やらうずらの卵。
厚揚げか?と思いきや木綿豆腐。
干からびたきゅうりやレタス。
煮物、焼き物、味噌汁、その他もろもろ。

冷蔵庫の食べ物たちはもはや原型を失い、それぞれの豊かさで腐敗を進めている。

詰まった排水口を素手でいこうとして、思いとどまり、「おばちゃん、ごめん!さすがにこれは無理だわ〜」と内心謝りつつ、マスクとプラスチック手袋を着用して、ふたたび作業開始。

缶詰のコーンは開けるたびに別の容器に移し替え、そのまま永遠に忘れ去られる運命にあるのだろう。
コーンの入った瓶が1つ、2つ…5つ。
そのいくつかは、「あれ?これって明太子コーン??」と勘違いしそうになるのであるが、いや、いくら福岡生まれ育ちとはいえ、伯母にそんな組み合わせの発想はなかったはず、と、薄ピンクやらオレンジやらのカビの漂うコーンたちを、「SDGs…フードロス…」とかなんとかが頭の片隅をよぎる中、ザクザク処理していく。

飲みかけのオロナミンCやら数cm飲み残したペットボトルやらも、いつのものだかわからないので、「これももうよかね?」と伯母に確認しつつ、台所に流し込む。

そこではたと息子を学童に送らねばならんのだった!と思い出し、「ちょっとTを学童に送ってくるね。帰ってきたらまた一緒にするけん!」と声をかけ、息子を送り届けて帰宅し、冷蔵庫を開けると…

水に浸けておいたはずの、カビカビになって瓶から取れなくなった梅干しの種?の塩漬け??に見えるものが入った瓶が、水が切られてまた冷蔵庫へ。

「あれ?赤いマグカップ??プリンっぽいものが浮いていたやつですよね?」
な洗った後の空っぽのマグカップも、ふたたび冷蔵庫へ。

アー・ユー・バック・ホーム??
ホワーイ??

こころの中で叫びつつ、
「あれ?おばちゃん、知的っていうか、認知も入ってきてる??」
と、新たな疑念がわき上がる中、未開封のものたちへ。

2019年賞味期限のポッキーもゴミ袋にイン。
あわや見過ごしそうになるところだったヤクルトは、2020年、2021年、2022年…の計6本。
「シロタ株…シロタ株…シロタ株ならイケるのか?」と血迷いそうになるも、「いや賞味期限3年前のヤクルトはどう考えてもあかんやろ!」と冷静になり、これまた台所へ流し込む。

時折思わずえずきながら格闘すること2時間。カビ研究所はからっぽの冷蔵庫に。

ケアマネさんとの月1面談の新たな議題も思わぬところで浮上。
伯母がロンググッバイ(認知症のことをこう呼ぶ)の始まりに立っているのかいないのかはしらねども、私たちにとってはたぶん大差なく、これまで通り必要なことを必要なときにやっていくだけだろう。

『長いお別れ』は、認知症の困難さもちらっと垣間見えはするけれど、認知症のほっこり温かい部分が凝縮された映画で、山崎努さんの演技が秀逸。現実問題としては、その困難さがどれほどかは安易に語れるものではないけれど、でも映画で描かれていたような認知症の愛すべき側面も確実に存在することを、これまで出会ってきた、ときには生活を共にした、多くの認知症の人たちとその家族・ケアギバーたちは教えてくれた。新薬の承認も決まって、根本的に治すことへの期待が生まれつつある認知症だけれど、薬以上に大切なのが周囲の理解とあり方であることは、きっとこれからも変わらない。認知症の人を取り巻く世界でも、愛すべきほうに、一瞬でもより長くより多く光が当たればよいと思う。

彩り豊かなカビたちは、実は結構美しかった。(フードロスはあかんけど)


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