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【第4回】正直TKA,過去-1

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

私は1983年に大阪市立大学医学部を卒業した。以降留学するまでの10年間は私のTKA遍歴上は有史以前である。暗黒時代と言ってもよい。TKAを教えてくれた人はいなかったし,自分で本を読んでもわからなかった。それには指導者側の問題と,TKA自体が混乱期であったという背景がある。

指導者の問題

当時TKAを指導する立場にあった人といえば股関節外科医,リウマチ(RA)専門医,スポーツ整形外科医ということになる。手術数は比べ物にならないほど少なく(推定5,000例程度?? 信頼できる資料が手に入るのは90年代半ば以降になる),時代背景を考えれば皆が知識不足であったことは致し方ない。

しかしそれ以上にTKAという術式への関心・評価が低く,熱意のある指導者が少なかったことは間違いない。歴史的にはわが国でも,岡山大学の山本純己先生や日本医大の吉野愼一先生らが,独自の人工関節を使用していたはずだが (少なくとも当時の大阪では),TKAへの関心は薄かった。

股関節外科医

わが国では歴史的にTHA surgeonが幅を利かせていて,TKA surgeonは肩身が狭い(折に触れてそう感じてきた。ひがみも少しはあると思う)。当時は,二次性変形性股関節症を扱う股関節外科は骨切り術も含めて整形外科の王道・花形であった。なかでもTHAは最新の術式として,除痛効果と長期成績が報告され,その地位を確立していた。

確かにTHAは“20世紀で最も成功した術式”と言われるだけあり,除痛効果や愁訴の少なさではTKAはやや分が悪い。“人生変わりました”と術直後に言ってもらえるのはやはりTHAなのである。さらにTHAでは靱帯バランスやKinematicsという概念がないので,その複雑さ,難解なこともTHA surgeonがTKAを心底愛せない原因になっている(のではないかと思う)。要するに彼ら(THA surgeon)にとっては,日頃美味しいものを食べすぎているのでTKAは”美味しくない”し,少々“めんどくさい”のだ。

RA専門医

私が研修した大阪労災病院ではリウマチ科は整形外科から独立していて接点が多いとは言えず,それはそれで残念なことだったが,そこでTKAについて多くを学べたかと言えば疑問である。なぜなら,リウマチ専門医にとってTKAは多数の手術の中の一つに過ぎず,必ずしも専門性が高いわけではなかったからである。

彼らにとってTKAは現在も“One of many surgeries”である。さらに炎症性疾患であるため変形が多様で,高度屈曲拘縮や外反膝が多いことも系統立った論理的な指導を難しくしていた。

スポーツ整形外科医

靱帯や半月板,軟骨を修復するのが彼らの本業であるから,自分たちの苦心の作品を破壊,除去してしまうTKAは“野蛮”で“面白くない”手術であろうことは想像に難くない。とは言えサルベージ(敗戦処理?)としては必要なので,表立っては存在意義を否定はしないが,愛着があるはずはない(と思う)。彼らが自らTKAを行うこともあるが,その際も概して“優柔不断“(CRやUKA派が多い)。

私は材料工学的見地からデザインを考えるFunctional approachの信奉者なので,解剖を重視し,残せる物は残そうと言うAnatomical approachとは根っこのところで相容れないのである。つまり,TKAはスポーツ整形外科医にとって嗜好の合わない”不味い食事“なのだ。

こう考えてみると当時TKAを教えてくれる人がいなかったことにも合点がいく。指導する立場にある人(股関節外科医,リウマチ専門医,スポーツ整形外科医)の知識はともかく,熱意,愛着などは期待すべくもなかったのである。面白いことに彼らのTKAへのスタンスは程度の差こそあれ現在も生きている。三つ子の魂百までで,考え方の根本が理解できれば,さまざまな意見があっても余裕を持って対応できるし,場合よっては批判もやり過ごすことができるだろう。

(つづく)


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