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【第8回】正直TKA,過去-5

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

病理学教室と整形外科

私は大阪市立大学(もうこの名前はなく大阪公立大学になってしまった・・・ まだ違和感があるし,正直ちょっと寂しい)医学部第二病理学教室で学位を取得した。当時は整形外科から毎年2名ずつ大学院に入学し,一部は助手になっていたので,10人近い若手整形外科医が在籍するという,むさ苦しくも活気のある場所であった。

とはいえ“基礎医学を学ぶエリート整形外科医達”と言う絵とはほど遠い。学位論文のための実験と病理解剖の他は,(臨床のdutyはなく,時間は有り余るほどあった)バイトに明け暮れる毎日であった。大学院生でも収入は軽く一千万を越え,助手にでもなろうものなら,それこそ経済的には左うちわであった。折しもバブルの絶頂期,ゴルフに熱を上げる者(私)や宅建の資格を取る者,そして投機的なマンション投資に走る先輩もいたりして,それはそれで自由で楽しい毎日だった。

病理時代の集合写真,前列中央が嶋崎教授,後列左から二人目が筆者(散髪しろよー)。
この写真に10名の整形外科医が写っている。

だから本家の整形外科から見れば,亜流も亜流の落ちこぼれ軍団であり,“病理レジャークラブ”と揶揄されていたのも無理からぬ事であった。最先端の臨床(当時はそう見えた)を学ぶ本家の大学院生達が,やたら眩しく見えたものである。しかしその落ちこぼれの中から,私も含めて小林章郎先生や大橋博嗣先生ら,現在の人工関節グループの中心となる人材が巣立ったのだから分からない。これは偶然なのだろうか? 私はそうは思わない。そこには無駄に見えても“ゆっくり考える時間”があったし,何よりも“一流の頭脳”を持つ指導者が居てくれた。当時の嶋崎昌義教授である。本物の頭脳の傍に居れば,若い我々が影響を受けないはずはない。話を聞いたり,その考え方を知るだけでも得るものはとても大きかったのである。

嶋崎先生は大阪大学卒業後,若くして和歌山県立医科大学の教授になり,その後大阪市大に赴任されたのだが,“モノが違うわ・・,こりゃかなわん”と感じさせる人であった。常に“包括的な視野”を持ち,何よりScientifically honestだった。特に印象に残っているのは,たとえ話が秀逸であった事である。当時聞いた数々の当意即妙の“たとえ話”は,俯瞰的に物事の本質を見極める能力があってこそのものだと今になって判る。例を挙げてみよう。実験をサボっていると,怒られるわけではないがこう言われる。

“なあ格谷君,グズグズしていているとバスに乗り遅れる。すると次に電車に乗り遅れて,飛行機にも乗り遅れる。そして最終的にはロケットに乗り遅れてしまうんや・・・” 最初は真意がつかめない。どういう事かな? と思う。しかしよく考えると,“が,大きな成果を出すために(複利の効果も含めて)一番大事だ”と言う真理の見事なたとえ話になっているのである。

もう一つ例を挙げてみる,病理標本を見ている時の言葉である。

“生卵は顕微鏡で見れんやろ。だからゆで卵にして(固定して),スライスにして(薄切)見ているんや”

私はこれ以上に病理標本の本質を,簡潔かつ鮮やかに表現した例えを知らない。

これらのたとえ話で分かるように,禅問答のようだが,常に一段上から見て本質をつかんでいるから示唆に富んでいる。50周年記念誌の対談で先生は“大体なんでも,なんか知らんけど,モヤモヤしているうちに分かってくる。あんまりきっちりやっててもしんどいばっかりやからね”と述べておられるが,実は個別的な生化学の知識も豊富だから,全体と部分のバランスが絶妙なのである。

ここで聞いてほしいのは,嶋崎先生が如何に偉かったかという話だけではない。とても個人的な感想になるのだが,この一見(全く)無駄な病理時代は,次にジャンプするためにかがむ時間だったように思う。実際この時期を経なければ留学しても,時間を持て余して悶々とするばかりだったに違いない。嶋崎先生流に言えば“若いときにきっちり頑張りすぎてもしんどいばっかりやからね”という事になるのだろうか。

そして結局は,それでも諦めずにやり続けるしかない,と言うありきたりだが,普遍の真理に至る。留学先が“TKAの超大物”だったことや,帰国時に旧勢力が一掃されて大学勤務になった事,そしてある程度の経済的余裕があった事等,私が多くの好運に恵まれた事は間違いない。だから現在自分があるのは(少なく見積もっても)8割以上は好運のせいであったと自覚している。“人生万事塞翁が馬”だから何が幸い(災い)するかは誰にも読めない。

しかし,しかし,それでも,なのである。ここはとても大事な部分だからしっかり聞いてほしい。どんな好運も準備していないと(気付かないうちに)通り過ぎて行ってしまう。「好運は用意された心のみに宿る」“Chance favors the prepared mind”。幸運に後ろ髪はないのだ。

私の“用意”が病理時代の”一見無駄“な時間だったのか,それとも留学中のあがきだったのか,それとももっと以前の何かだったのかは私にも分からない。ただ怠惰を極めた学生時代にも,何故か英語学校にだけは通っていた。いつか外国に行きたい(行くんだ)と思っていたのだろう。そして留学中はプー太郎で終わらないように必死であがいた。”ここは本場,今が正念場“だとはっきり自覚していたから。

嶋崎先生だったらなんと仰有るだろう?”なんか知らんけど,モヤモヤしているうちに,いろんな事が繋がってくるんやなぁ“とでも言われるだろうか? そして”バスに乗り遅れんようにな“と静かに諭されるに違いない。が,大きな成果を出すために(複利効果も含めて)何よりも重要なのだから。

(つづく)


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